「曖昧な棋力にどう向き合うのか?」について考察していきます。

曖昧な棋力にどう向き合うのか

レーティング制の導入

アマチュアの対局には「ハンデ戦」が付き物です。

互先で打てる相手を探すのはネットでも時間がかかるため、2,3子くらいの手合い差は許容して打つことが多いでしょう。

特に囲碁教室や碁会所などはお客さんの人数が少ないので、ハンデ戦の対局が当たり前となっています。

ひと昔前は「一段級差一子」という手合い割が明確に決まっていました。

しかしいつの間にか「レーティング制」を導入するネット碁や碁会所が増えてきました。

レーティングとは勝ち負けによって持ち点を動かして、より正確な棋力を計ろうというものです。

碁会所では「1勝に付き+1P(ポイント)」「1敗に付き-1P(ポイント)」というのが主流になっています。

そして「1P(ポイント)に付きコミ1目のハンデ」が付きます。

仮に初段を「100P」に設定しましょう。

Aさん初段(100P)vsBさん初段(100P)の手合いは通常の「互先コミ6目半」になります。

対局の結果、Aさんが勝てば「101P」Bさんが勝てば「99P」になります。

この2人がすぐに再戦した場合、手合いは2ポイント差を考慮して「定先コミ4目半」となります。

つまり白番をAさん(101P)が持ち、黒番のBさん(99P)は4目半のコミしか出さなくて構いません。

このように勝ち負けによって細かくハンデを付けることで、より平等な手合いを目指しているのです。

いわゆる「強い初段」とか「弱い初段」といった曖昧な概念はありません。

「6Pでコミ6目分」下がりますから、94Pになった時点で初段(100P)との手合いは「定先コミ半目出し」となります。

すなわち、事実上「初段vs1級」の手合い割になります。

通常の一段級差一子に当てはめると「定先・持碁白勝ち」というわけです。

また7P差になると白から「逆コミ」をもらい、定先で対局します。

逆コミ6目半より先は「2子局コミ6目半」になり、同じようにコミを減らしていくわけです。

※14P差に付き、1子のハンデ差になります。

場所によってレーティングシステムに違いはありますが、「勝ち負けによって変動する」ことには変わりありません。

とあるネット碁では一定数の勝ち負けによって「昇級・昇段」または「降級・降段」が決まります。

初段なら同じ初段同士「互先コミ6目半」の手合い割は変わりません。

そうすると「昇段できそうな勝ち星の多い初段」と「降段しそうな負け星の多い初段」などに分かれます。

いわゆる「強い初段」と「弱い初段」といったところでしょうか。

持ち点によって「コミ(ハンデ)」が動いてしまうのは、対局における前提条件が変わってしまうので得策ではありません。

その点、段級位の上下を点数や勝ち星で調整するのは理に適っています。

どうあれ「コミ6目半」や「定先・2子」といったハンデに煩わしいコミが付くことはありません。

思う存分、盤上に集中できます。

ただし、本来の置き石やコミの在り方を考えれば持ち点によってハンデを変えたほうがよいかもしれません。

初段の棋譜を解説します!【十局目】

詳しくはこちらをご覧ください。

いずれにしても、不満のない「平等な勝負(ハンデ戦)」が求められています。

権威の失墜

とにかく勝負事になると「不平・不満」が噴出して、大会ルールや制度の在り方を非難する傾向があります。

特に段級位に関しては顕著であり、日本棋院の「段級位認定大会」や「認定問題」のシステムはすでに破綻しています。

級位戦の場合、4戦のうち「2勝2敗」すれば有料で免状を獲得することができます。

「3勝1敗」なら半額、「4戦全勝」なら無料で免状を獲得できるのです。

この時点で「おかしいな」と思ったあなたはなかなか勘が鋭いですね。

そうです、2勝2敗で昇級できるのはどう考えてもおかしいでしょう。

なぜなら1級の免状が欲しくて集まる方は皆「2級」のはずです。

2級同士が争って2勝2敗の成績であれば、間違いなく「2級」の実力しか認められません。

それを「お金払ってくれたら昇級させますよ」とは権威のかけらもない商売根性丸出しでしょう。

日本棋院発行の「週刊碁」あるいは「月刊碁ワールド」に掲載されている「認定問題」も同様に価値がありません。

「誰が解いたかわからない」というツッコミはこの際、置いておきましょう。

それよりも「時間無制限」の「選択問題」というのが、あまりにも実戦的ではありません。

実際の対局でいつまでも時間をかけるのは一種のマナー違反ですし、大会になれば持ち時間が限られています。

それに囲碁を打つ上で「選択肢が限られている」というのはナンセンス以外の何物でもありません。

とある九段のトップ棋士は「認定問題、全然当たんないんだよね」という趣旨の発言をしています。

それもそのはずです。

囲碁において勝負を勝ちに導く道筋は決して1通りではありません。

幾多のルートがあり、人それぞれ選択する勝ち筋が違います。

仮に正解以外の選択肢が明らかに間違っていれば、消去法で正解を導き出すこともできるでしょう。

しかしそれだと簡単になってしまうので、差別化できない「微妙な」問題ばかり出題されています。

はっきり言って「棋力」と「認定問題が解ける」ことはまったく関わり合いがありません。

ちなみに私は「出題傾向」や「好み」を検証して知っているので、いとも簡単に解くことができます。

ただ棋力とはまったく無関係であり、結局のところ紙面に掲載されている問題を解いたところで免状は「有料」になります。

商売するのは構いませんが、民間資格として価値を見い出すことはありません。

私の場合「六段」という棋力は「総合的な判断」に基づいて名乗っています。

囲碁教室、碁会所、ネット碁、認定大会、アマチュア一般棋戦など様々な場所で対局を試みています。

その上で、六段であれば恥ずかしくないと思えるからこそ堂々と名乗っています。

ところが巷の碁会所ではセミプロの方が「十一段」と名乗っていたり、元院生が「九段」と名乗ったりとインフレが進んでおかしなことになっています。

彼らの言い分も「わからないことはない」ので、何とも言えません。

囲碁の棋力はどうなっているのか?

詳しくはこちらをご覧ください。

棋力というものは「どこ」の「誰」を基準にするかによって、変動が激しすぎます。

とはいえ、「十一段」を名乗るのはやり過ぎでしょう。

「実力十三段」と謳われた本因坊道策でさえ、現代に蘇れば中韓の棋士とよい勝負ではないでしょうか?

棋力を「相対的に」計ろうとすると、必ずどこかで歪みが生じてしまうのです。

己を知ること

棋力を自己申告することはどこで対局するにしても必要不可欠なことです。

申告した棋力でしばらく打ってみて「あなたはここだと〇級だね」と言われることが一般的です。

場所によってはえらく「辛い」ところもあり、自己申告「初段」の方が「3,4級」で打たされることも珍しくありません。

まさしく「郷に入りては郷に従え」の言葉通りです。

厄介なことに「謙虚に」棋力を申告すると、勝ちすぎてしまってかえってひんしゅくを買ってしまいます。

かといって「高めに」棋力を申告するのは、図々しいと思われてしまうかもしれません。

都内の碁会所で「五段」を名乗る方が三段の方を「3子の手合い」で打ち負かしているのを見かけました。

ちなみに私は当の五段の方を同じく「3子の手合い」でボコボコに打ち負かしています。

もし三段の方の棋力を基準とするなら、私は「アマ九段」を名乗らなくてはいけません。

しかし実際には「三段の方」や「五段の方」そして「私(六段)」の棋力は極めて妥当なのです。

ハンデ戦でよく起こるこの現象を「置き碁マジック」と呼んでいます。

置き碁マジックを使えば、いくらでも置き石を「置かせる」ことが可能になります。

「実力十三段」と謳われた本因坊道策を始め、「打ち込み十番碁」を戦い抜いた呉清源も同じような手法を用いています。

勝負を行うときには「前提条件」が必須であり、条件によって結果が変わることは大いにあり得ます。

三段と五段の方が「互先」で対戦すれば、三段の方が勝つ可能性も十分にあります。

無差別クラスの大会で当たればよいのです。

お互いの棋力がわからずにプレッシャーを感じることがなければ、2子の棋力差など関係ありません。

対局相手との棋力差を細かく分ければ分けるほど、わずかな差も大きく感じてしまうのです。

つまり「平等な手合い割」「公平な勝負」を実現することは、逆に「棋力格差」を広げてしまうことに他なりません。

勝負において盤外の余計な情報は不要です。

盤上で己の最善を尽くすことに集中していれば、自然と勝ちに近づきます。

そもそも「勝ちたいのか?」それとも「上達したいのか?」といった姿勢によっても結果が大きく変わります。

勝ちたい人は「前提条件」にこだわります。

適正な棋力を申告した上での適切なハンデによって、勝ち負けを争いたいのです。

上達したい人は「対局内容」にこだわります。

ハンデが適当かどうかはさておき、「自分の打つ手」をより意識して盤面に臨みます。

勝ちたい人の目線は「対局相手」に向いており、上達したい人の目線は「自分自身」に向いています。

囲碁に限らず「勝ちたい!」と思ったら、徹底的に相手を研究するでしょう。

勝負の世界で生き残るためには「敵を知る」ことが何よりも大切なのです。

また囲碁に限らず「上手くなりたい!」と思ったら、己を鍛えることに没頭します。

詰碁を解いたり、棋譜並べをしたり、局後に検討して反省したりすることでしょう。

日々成長したいと願って研鑽を積めば、対局するときの手合い割りなど「どうでもいい」のです。

なぜなら「勝ち負けによって」ではなく、あなたの「上達によって」ハンデが変わり得るからです。

勝ち負けによって上達を感じるのではなく、上達することで自然と勝てるようになることが理想的です。

これは同じようなことですが、意識している方向がまったく違います。

「結果」を重視する姿勢では、いつまで経っても「内容」が良くなることはありません。

「内容」を重視することで、勝っても負けても長い目で見て「結果」が付いてくるのです。

アマチュアこそ「オール互先」の手合い割で打つべきなのかもしれません。

「ハンデ戦」は棋力差を問わない素晴らしい対局形式のはずでしたが、細かくし過ぎて本来の良さを見失っています。

19×19路の囲碁において「平等な」あるいは「公平な」勝負というものは足枷にしかなりません。

もっと雄大にもっと奥深く、必要以上に考え過ぎずもっと「アバウト」に盤上を捉えることが囲碁の神髄なのです。

「細かいことは気にしない」というおおらかな気持ちを持って、日々の対局に臨んでみてはいかがでしょうか。