「囲碁仲間・囲碁友達をメリットとは何か?」について考察していきます。

囲碁仲間・囲碁友達を作るメリット

生涯にわたる関係

囲碁をしていて良かったと思うことの1つに「生涯の友」を得たという実感があります。

囲碁は何歳からでも始めることができるため、いくつになっても同世代の友人を得ることができます。

あなたが学生時代に一生懸命頑張った部活動を大人になってから続けていくのは大変なものでしょう。

どうしても加齢と共に体力の低下を免れることはできないからです。

その点では、スポーツよりも文化系のほうが長く続けやすいのではないでしょうか?

とはいえ音楽の「楽器」のような道具が必要な分野において、新しく始めるのはなかなか難しいといった部分もあります。

要するに「一緒に楽器やりませんか?」とは誘いづらいわけです。

勿論、経験者同士ならいくらでも交流を持つのは容易いでしょう。

しかし初心者を引っ張ってくるのは、決して並大抵のことではありません。

初期投資のかかる分野を共有するのは、大人になってからでは困難であると言えます。

それでも一念発起して始めたり、仲間を誘ったりしたとしましょう。

その場合「仲間」とチームを組む分野よりも「個人」で行う分野のほうがはるかに長続きします。

スポーツなら「チーム競技」、音楽なら「バンド」といったように仲間が必要な分野では関係を築きやすい分、人間関係を維持するのが大変なのです。

ダンスや漫才のような「2人組」であっても、生涯にわたり関係を継続していくのは難しいと言わざるを得ません。

スポーツ全般は「体力の低下」、文化系全般は「初期投資がかかる」、仲間や相方が必要な分野では「人間関係が難しい」という難点をそれぞれ抱えています。

それなら文化系で初期投資のかからない、それでいて1人でもできる分野を選択するのがよいのかもしれません。

美術や書道など道具にこだわらなければ、今すぐにでも始められます。

ただし本当に1人でもできる分野は、そもそも仲間・友達ができません。

今どき料理教室に通わなくても、ネットにいくらでも美味しい料理の作り方がアップされています。

絵や書を学ぶのもまた然りです。

これからの時代、いろんな分野の知識や技術をネットから簡単に拾うことができます。

物事を習得するには「自主練」が欠かせませんから、教室に通うよりむしろ1人で学ぶほうが効率的かもしれません。

囲碁も当然ながら「1人でもできる」分野になります。

究極的には「AI」と遊んでいれば良いわけですからね。

しかし囲碁のような「対戦」では、やはり「対人」というのがこの上ない醍醐味ではないでしょうか?

対人というのは、決して「1人ではできない」はずです。

先ほどのように「仲間と組む」のではなく、あくまでも「敵と戦う」からこそ人間関係の妙があります。

味方(仲間)との関係がこじれるのは厄介ですが、敵(相手)との関係がこじれても何ら問題ありません。

盤を挟めば敵同士なわけですから、気に食わなければ思う存分叩きのめせばよいのです。

生涯の仲間・友達を作る上での囲碁の優位性は以下の通りになります。

・体力的に続けやすい

(碁会所にシニアの方が多いことで証明されている)

・初期投資がかからない

(ネットの無料ゲームならタダなので、始めやすい)

・1人でもできる

(ペアやチームを組む必要がなく、人間関係に苦労しない)

・相手がいないと成り立たない

(「2人揃ってはじめて神の一手に一歩近づく」)

※最後のセリフは漫画「ヒカルの碁」の名場面です。

同じような分野としてよく比較されるのは「将棋」でしょう。

私は将棋も指しますが、将棋はいかんせん「勝ち負けが厳しい」印象を受けます。

囲碁みたいに「5目負けだけど、良い勝負だった」というような「平和」で「曖昧な」決着の仕方はありません。

どちらかの「王」を追い詰めるまで勝負が終わらないのですから、正直「勝ったら天国、負けたら地獄」と感じています。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは真逆で、将棋の負けは相手のことを嫌いになるくらい悔しいものです。

囲碁は「よく分からない」「はっきりしない」のが短所であり、また長所でもあります。

囲碁はまるでワインの「ロゼ」のようにあらゆる面において、バランスの取れた分野になります。

文化系でありながらスポーツのような「対人戦」でもあり、終局が曖昧であるため「平和」のまま決着がつきます。

無論、大石を取り「中押し勝ち」といったような激しい決着を迎えることもあります。

そこがまさに囲碁の「柔軟なところ」であり、「投了の権利」は常に敗者のものです。

勝者が大石を取って勝負を強制終了させたり、投了を催促することはできません。

あくまでも終局は「両者の合意」によって行われる紳士的なゲームなのです。

だからこそ囲碁を通じて知り合った仲間とは、生涯にわたって関わり合える「友達」になれます。

一局を打ち終えたあとは友人として、また一局を打つときは敵同士としてマンネリ化しないよい関係を築けるのです。

友達の作り方

私は田舎から上京してきたとき、囲碁友達は1人もいませんでした。

その当時に流行っていたSNSである「mixi(ミクシィ)」がきっかけで、現在の友人関係を築いています。

しかしながらネット全盛の今だからこそ、見知らぬ相手と下手に関わりを持つのはリスクが高いかもしれません。

囲碁を通じて友人を作るためには「対局する」のが一番手っ取り早いのではないでしょうか?

すなわち「大会に出る」ということです。

真剣勝負を通して相手と関わり合うのは、だいぶ親近感を持つことになります。

もちろん教室に通ったり、碁会所へ打ちに行くのもよいでしょう。

とはいえ良い出会いを「場所」によって左右されるのは、あまり得策とは言えません。

教室や碁会所は通える場所が限られてきますし、すでにその場所の「雰囲気」が出来上がっています。

その雰囲気に上手く解けこめなくては「居場所がない」といった事態に陥りかねません。

やはりよき友人を作るには「1対1」の関係を築いていくのが分かりやすいでしょう。

そのためには大会に出場することが必要不可欠です。

だいたい「段級位認定大会」や「宝酒造杯」で同じ段級位に出場していれば、自然と顔馴染みになります。

そもそも級位者が参加できる大会自体そう多くありませんから、あちこちの大会で顔を合わせるなんて偶然はザラにあります。

有段者でも伸び悩んで停滞していれば、その分だけ過去の対戦相手に出会う確率が上がるでしょう。

上達しないのは何も悪いことばかりではないのです。

さすがに何度も顔を合わせていれば「あら、あの時はどうも」とつい声をかけたくもなります。

これは学生から大人まで、よくある出来事です。

田舎なら大会等のイベントが少ない分だけ参加人数が限られていますから、出会う確率も上がります。

都会なら参加人数が多い分、大会等のイベントが多く催されています。

さすがに対局のないイベントで顔見知りになるのは無理でしょうが、何度も熱戦を繰り広げた相手の顔は忘れないものです。

教室や碁会所、あるいはサークルの仲間と内輪で関わっているとなかなか新しく出会う機会も訪れないでしょう。

そういう人は相手からも声をかけづらいですからね。

都内に住む女性であれば、先日行われた「勝負美人杯」に出場するのもお勧めです。

なぜなら囲碁界は女性が少なく、より仲間意識を感じるからに他なりません。

有段者、特に高段者の方は局後に「検討」するのが効果的でしょう。

相手を覚える、また相手に覚えてもらうには「対話」するのが一番です。

検討もなしに対局を終えてしまっては、碁の内容から相手のことまで残る記憶も残らなくなります。

ネット対局が記憶に残りづらいのは、検討をしないからに他なりません。

検討では自分と相手の考えを言い合うわけですから、おのずとお互いにどんな思考回路なのか分かってきます。

もう少し強くなると「対局内容」によって、相手の人となりが見えてくるようになります。

もし囲碁を通じて恋人を作りたい方はぜひ相手の方と対局&検討をしてみてください。

中盤以降は碁形により打つべき場所が限られてきますが、布石ではその人自身の考え方が浮き彫りとなります。

堅実なのか、柔軟なのか、欲張りなのか、怖がりなのかといった目に見えない情報を汲み取ることができます。

無論、あなた自身の情報も相手に伝わっています。

碁の面白いところはまさにここです。

性格によって棋風が形を成し、盤上で争うことにより相性までもはっきりしてきます。

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こういうことを言うと「私は弱いから相手の打ち方なんて分かりません」と仰る方もいます。

しかし本当に分からないのか、今一度考え直してみましょう。

例えば、いつも対局している仲間を想像してみてください。

その人の癖や傾向というのは、そう簡単に変わるものではありません。

これは棋力に関係なく同じ人と打ち続けていれば、よく分かります。

対戦相手の分析はそのまま「性格診断」へとつながります。

これを突き詰めていくと次第に「対局内容」を見るだけで、その人の大まかな性格を把握することができます。

とはいえ最初のうちは難しいので、相手の方と一緒に「局後の検討」をしてみるとよいでしょう。

この局面ではいったい何を考えていたのか、お互いに答え合わせをする必要があります。

この「検討」というのは、級位者の方にとって非常に厄介なものになります。

なぜならそれまで打っていた内容を覚えられないからです。

正確には覚えようとしていないだけですが、ともかく検討をする習慣が身に付いていません。

それではせっかく相手のことを知ろうとしているのに、決定的に情報不足となってしまいます。

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検討ができないにしろ、少なくとも「感想戦」だけはやっておいたほうがよいでしょう。

並べ返しせず、対局内容を振り返るだけでも少なからず効果があります。

大切なのは相手のことを知ろうとする気持ちです。

碁の内容を分析することは勝つためにも必須ですし、また「人を知ること」は囲碁の楽しみの1つでもあります。

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いずれにせよ、大会に出ていろんな人と対局してみましょう!

囲碁は人それぞれ打ち方が違いますから、その違いを味わうだけでもプラスになります。

気づきの大切さ

囲碁を打つ仲間・友達を作るのは上達するうえで必ず役に立ちます。

お互いに切磋琢磨するだけではなく、知識を共有することができるからです。

定石をよく知る人、最新の研究を追っている人、囲碁界の情報に詳しい人など、それぞれ囲碁に対するアプローチの仕方が異なります。

また棋力があなたより上の場合、いろいろな打ち方や考え方を教えてもらえます。

勿論、あなたが伝えられる知識や経験もたくさんあるはずです。

1対1の付き合いだけではなく仲間を増やしていくことで、より多くの知識を共有することができます。

先ほどSNSで見知らぬ人と関わり合うのはリスクを伴うと話しましたが、一度会っていればその不安もかなり払拭されるでしょう。

大会等で顔見知りになっておき、それからTwitter(ツイッター)などのSNSで声をかければよいのです。

今どきネットに疎いというのは、マイナス要素でしかありません。

人との関わり合いが根本から変わってきていますから、時代の流れに逆らわず付いて行くのが賢明でしょう。

効率のよい囲碁の上達法とは?

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今の若い世代の方には「リアルで対局したことがない」という方もいます。

そういう人に限って「初段」の実力だったりするのだから恐ろしいものです。

上達するにはいかに効率よく知識を習得していくかというのが欠かせません。

お勧めの本や勉強法、体験談を聞く機会が多ければ多いほど、判断材料が豊富になります。

人類史の発展を鑑みても、知識をお互いに共有するのは必要不可欠と言ってよいでしょう。

人とのつながりを大切にしたほうが今よりも棋力が伸びていくのは確かです。

それに1人で強くなってもつまらないと感じてしまいます。

囲碁というゲーム自体が「相対的な」ものですから、やはり他者との比較により上達するほうがもっと楽しくなります。

実は最短で強くなりたいのであれば、ひたすら自分1人で黙々と勉強するに越したことはありません。

そういう厳しい訓練に耐えられる方なら、自宅のPCと睨めっこしながらネット碁を打つというのは最善の上達法です。

しかし何事も1人では続かないのが人間の常でしょう。

囲碁を何十年も続けている人は教室や碁会所に定期的に通っています。

それは囲碁を打つという名目の元、仲間の顔を見に来ているということに他なりません。

大きな大会やイベントに参加すれば、必ずと言って良いほど顔馴染みと遭遇します。

ある囲碁教室では講義の最中寝ていて、教室が終わったあと仲間とご飯を食べに行くのが楽しみという方までいます。

囲碁に限らず、結局のところ物事を長続きさせるコツは「人付き合い」なのです。

ちなみに末永くお付き合いするコツは「全力で潰しに行かない」いわゆる八百長です。

囲碁は「王将を詰ます」みたいな決着の仕方を回避することができます。

もちろん真剣勝負を臨む方には八百長は失礼な行為に当たるかもしれません。

とはいえそこは勝ちを譲らなければ、何ら問題ありません。

ここで言う「八百長」とは相撲で使われるような申し合わせではなく、本来の意味合いを用いています。

八百長の由来は以下の通りです。

八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。

しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。

(参照元 ウィキペディア)

すなわち八百長とは「上手の思惑通りに事を運ぶ」という意味になります。

私はよく上手の方から「たまには負けないとダメだよ」と再三言われていました。

「何でわざと負けないといけないんだ?」と思っていましたが、それも「芸のうち」というわけです。

勝負ですからわざと負ける必要はどこにもありません。

ただそれと同じくらい大勝ちする意味はないでしょう。

対局が終わってから「よい勝負でしたね」とお互いを称え合えるくらいの関係がちょうどよいのです。

これは「技術的」にも「気持ち的」にもそう簡単にできることではありません。

つい勝てそうなら「100目でも勝ってやろう」としてしまいがちです。

また早く勝ちを確定させたい意味でも、大差を付けて勝ちたいのは当然の心理でしょう。

しかしそこをグッと堪えて、相手の方にも花を持たせるような打ち方ができれば1人前です。

どんなに強くても「ただ強いだけの人」は碁打ちとして半人前に過ぎません。

得てしてそういう方はネット碁に多い印象を受けます。

ネット碁を打っていて不快な思いをしたことはありませんか?

六段であってもチャットで喧嘩を売ってくる未熟な人もいます。

それは画面の向こう側にいる相手のことを尊重していないからこそできる行為でしょう。

つまり「1人よがり」であり、碁に対する冒涜でもあります。

囲碁は2人で作り上げるものです。

相手を叩きのめしてやろうという気持ちでは、本当の意味で上達することなどできません。

ただ強くなることに大した意味はありません。

そのことに気づかせてくれるのが、囲碁仲間であり囲碁友達なのです。

囲碁というゲーム自体「気づき」の連続であり、上達していくほどいろいろなことに気づかされます。

無論、それは相手あってのことでしょう。

相手を尊重することで学びを得、学びを得ることで上達し、上達することにより相手を尊重する心の余裕が生まれます。

この好循環を得るためには「囲碁仲間・囲碁友達(碁敵・ライバル)」の存在が必要不可欠となります。

ぜひ素敵な仲間と出会えるようにいろんな場所へ足を運んでみてください。