「1年で囲碁初段になるためにはどうすればよいのか?」について考察していきます。

1年で囲碁初段になるには

マイペースでは無理

あなたは今、有段者ですか?

それとも級位者でしょうか?

初段になるためにしてきたこと、初段になるためにしていることは人それぞれ違うのかもしれません。

囲碁教室に通っている方やネット対戦をしている方、独学で本を読んでいる方まで様々でしょう。

囲碁に限らず、物事を上達するためには「絶対的な」ある1つの法則が存在します。

これは誰しもわかっていることで、しかしほとんどの方は実践できていないことでもあります。

それは「レベルの高いところで勉強する」というものです。

英語をマスターしたければ、英会話スクールに通うのではなく留学するほうが上達しやすいでしょう。

絵画をやりたいならすぐにでも美術学校に入って勉強するべきです。

受験勉強のために有名進学塾に通うのと何ら変わりありません。

ここで大切なのは「塾」に通うことであり、決して「家庭教師」ではないという点です。

囲碁ならハイレベルな「研究会」に通うことと、教え上手な「インストラクター」に教えを乞うのは意味合いが異なります。

人は何かしら学びたいと思ったときに「期間」という縛りを設けようとします。

「1年で〇〇になりたい」といったように、短期間で成果を出そうとしがちです。

これは「可能なこと」であり、「不可能なこと」でもあります。

話としては簡単です。

「カリキュラム」について来れるなら可能であり、「マイペース」に徹するなら不可能でしょう。

また「ゆるいカリキュラム」でもダメです。

囲碁教室や英会話スクールなど「ある程度集客しなくてはならない」場所において、厳しいカリキュラムを組むことはできません。

囲碁インストラクターや家庭教師など「あなたに合わせた勉強法」を謳っているものでは、とても期間内に目標を達成することはできません。

人が目指すハードルはいつでも高く、それを乗り越えるためには並大抵の努力ではいけません。

完全に「あなたのペースに合わせる」のであれば、下手に目標を決めないほうがよいでしょう。

あるいは客観的にあなたの取り組みを見てもらい、目標を設定してもらうのが現実的です。

週一回、囲碁教室に通って得られる成果は「10年で初段」なら申し分ないくらいです。

始めた時期が遅い方や休みがちな方は「15年~20年」ほどかかると見ておきましょう。

「囲碁に興味あるから始めてみようと思ったけど、そんなにかかるなんてとても無理です」

「囲碁を始めてからもう数十年経つけど、いまだに級位者なのはなぜですか?」

こんな声が聞こえてきそうですね。

小中学校なら義務教育のため誰でも無事に卒業することができます。

しかし高校、大学はカリキュラムをこなして「単位」を得なくてはいけません。

高校では出席日数を満たしていれば、多少の不良でも卒業することができます。

ですが、大学はそう甘くありません。

課題をこなして単位を得ながら、最後は卒論を書かなくては「大卒」を認められません。

だいたい大学囲碁部に入っている学生は在学中、囲碁に明け暮れて留年するといったパターンをよく見かけます。

何が言いたいのかというと、時間の経過と共に自動的に級位が上がっていくものではないということです。

はっきり言って「囲碁歴」など何の意味もありません。

どんな世界でも「1年でも早く始めていれば先輩」という風潮がありますが、実力とは何の関係もありません。

例えば「囲碁歴10年」といっても内容が人それぞれ異なります。

ある人は「10年間、毎日やってきたけど初段になれないよ」と言います。

またある人は「10年続けてきたけど、週一で教室に通うくらいじゃ難しいね」と言います。

そしてある人は「10年前に始めて1年くらい頑張ったけど、今はもうやる時間がないね」と言います。

10年間の内容がどうであろうと「囲碁歴10年」ということには変わりありません。

基本的に「入門」してからの年数を言うので、始めた時期が早ければ早いほど囲碁歴は長くなります。

ただ囲碁歴の長さを自慢する人は誰もいませんね。

多くの方は「自虐」として語ります。

「これだけやっているのにまだこんなもんだよ」といった感じです。

囲碁は才能の世界ですから、上達するのが早ければ早いほど評価が高まります。

また「残り年数」が多いほど、期待もされやすいというものです。

「1年で初段」を達成する方の中で、例えば「子ども」なら将来有望と目されます。

それが小学校低学年や幼稚園生なら尚更です。

プロ棋士は無理でもアマ高段者であれば余裕で到達できると思われます。

しかし5,60代の「大人」では、そこから上達するのはさらなる負荷を必要とします。

なるべく早く始めていたほうが有利なのは疑いようもありません。

始めるのが遅ければ遅いほど、吸収率も悪くなり体力的な負担も大きくなります。

それでも「1年で初段」を志すのなら、これまで以上に腹をくくって取り組みましょう。

今までかけてきた「年数」もあなたの「年齢」もすべて忘れて没頭するしかありません。

実戦的な感覚

先ほども申し上げたように「1年で初段」を目指すなら「レベルの高いところで勉強する」のが最も効果的です。

あなたのペースに合わせていては、いつまで経っても目標に届きません。

それはあなた自身が一番わかっていることでしょう。

初段になるためのカリキュラムなんて腐るほど世の中に出回っています。

それを「挫折せずに」取り組めるかどうか、そこが上達のポイントになります。

挫折しないためには「1人でやらないこと」です。

かなり厳しい負荷をかけながら、それでも挫折せずに取り組める方はとっくの昔に有段者になっています。

級位者の方と有段者の方では、明らかに根本的な姿勢が違います。

級位者の方は「ダイエットできずにもがいている人」であり、

有段者の方は「理想の体型(マッチョ・モデル)を目指している人」です。

どちらも「筋トレ」や「食事制限」が必要不可欠になりますが、意識のかけ方がまるっきり異なります。

何となく「痩せたらいいな」と思っている方がモデル体型になれるわけがありません。

自らの意識改革をするためには「周りの環境」を変える必要があります。

1人でやるのは論外であり、まず長続きしません。

1人で続けて上達できるのはごく一部の方に限られるでしょう。

今の時代は「ネット碁」があるので、1人で上達するハードルは低くなっていることも確かです。

とはいえ、あえてネット碁はお勧めしません。

なぜなら「レベルの高い人」とマッチングしてもらうことができず、ほとんど近い棋力の人としか打てないからです。

初級者の方が有段者の方に相手してもらうことはまずありません。

チャンスがあるとすれば、碁会所などリアルの対局だけとなります。

上手くコミュニケーションできれば、ネットでも強い人と打つことは確かに可能です。

あるいはインストラクターの方に習おうと考えている方もいるかもしれません。

しかしそれは悪手です。

なぜならまともな人であれば相応の手加減をしたり、適切なハンデを設けるからです。

せっかく強い人と打つ機会を得ても、ハードルを下げてしまっては元の木阿弥です。

やるからには「互先または定先」がベストです。

棋力差がかけ離れている場合でも「6子以上」置くのはよくありません。

二桁級の方なら「4子または5子」一桁級の方なら「2子または3子」にとどめておきましょう。

短期間での上達においては9路盤・13路盤での対局も控えたほうがよいでしょう。

強い人と打つメリットは「大局観」を養うことに他なりません。

狭い盤を攻略するには「読み」で事足りますが、広い19路盤を打ち回すには「大局観」が必須になります。

狭い盤にハンデを置いたら、ただの「読みのゲーム」になってしまいます。

囲碁で読みが大切なのは、むしろ「初段になってから」でしょう。

それまでは、大局観のほうが読みよりもはるかに重要な要素となります。

いわゆる「勝ち負けを気にしない」というのも「大局観が大事」というのと同じことです。

初めのうちは「形」が出来上がっていないので、あちらこちらで事件が起きるのは仕方ありません。

ただ勘違いしてはいけないのが、形が出来上がっていないものを「読み」で補おうとするのは無理だということです。

いわゆるAlphaGo以前のAIの打ち方そのものでしょう。

「囲碁でAIが人間を超えるには少なくとも30年かかる」と言われていた所以でもあります。

すなわち「当たりを付ける」能力こそ、AIにはない人間の「感性」だと思われていたわけです。

将棋と違い、囲碁は初めからどこに打ってもよいため「見当が付かない」といった特徴があります。

逆にそこさえ分かれば、あとは「どうとでもなる」と言っても過言ではありません。

以前、聞いたことのある話で面白いエピソードを紹介しましょう。

囲碁七段格ある強い人が脳梗塞で半身不随になってしまいました。

ところが脳をやられたにもかかわらず、囲碁の実力はほとんど落ちませんでした。

置き石にして2子程度下がったくらいで、大病を患ったにしては影響が少なすぎます。

実は脳梗塞でやられたのは「左脳」だったらしいのです。

左脳とは計算や言語を主に司っており、囲碁では「読み」を担っています。

つまり読めなくなったとしても、形や筋を覚えていれば対局には何ら差し支えないということです。

またこれとは逆の話もあります。

同じく脳梗塞により、右脳をやられたしまった方のエピソードです。

とある本で読んだその話は「プロ棋士」の先生のものでした。

悲しいことに、その先生の棋力は推定5級くらいまで下がってしまったそうです。

右脳は主に「感覚」を司っているため、囲碁における「大局観」を担っています。

大局観を失ってしまうのは、囲碁の実力を大きく損なうことに他なりません。

このエピソードから言えることは、少なくとも囲碁は「感覚8:読み2」というゲーム性であるということです。

ある程度のレベルまで達すると「どう打っても1局」という境地になりますが、初めのうちはそうもいきません。

5級までは「見当の付け方」によって棋力に差が付くと断言します。

よく「ここはそうじゃないよ」と言う方と「どう打っても1局だよ」と言う方がいます。

前者のセリフは有段者、後者のセリフは高段者に多いと見受けられます。

これはどちらの意見も正解でしょう。

ある一定の感覚を習得すれば、あとは個人の「読み」次第となります。

しかし習得しないままに自由に打っていても、それは「当てずっぽう」でしかありません。

真の実力を身につけたいのであれば、確かな感覚を養いましょう。

そのためには「強い人と打つ」のが一番です。

本を見たり、棋譜並べをしていても短期間ではなかなか身に付きません。

インストラクターや強い人に「習う」のもまた同様です。

あくまでも「実戦形式」で打つからこそ、より実戦的な感覚を養うことができます。

碁会所のすゝめ

あなたがこれから囲碁を始める初心者でも、万年級位者の経験者であっても「1年で初段」になるには相応の覚悟と負荷が必要となります。

では、どこで囲碁を習うのが一番よいのでしょうか?

私がお勧めする場所は1つしかありません。

それは「碁会所」です。

囲碁を普及している方なら誰もが「やめておけ」と言いたくなるのはわかります。

なぜなら碁会所は「初心者歓迎」どころか「級位者を煙たがる」ところが多いからです。

もちろん5級以上の実力なら、打つ相手が見つかるかもしれません。

しかしそれ以下の棋力では「門前払い」されるのが関の山でしょう。

考え方としては碁会所は「学び舎」のようなもので、決して「保育施設」ではないということです。

ほとんど初段近い級位者や有段者の方ばかりで、とても初心者や二桁級の方が立ち入れるような場所ではありません。

例えるなら小学校高学年~大学生が集う場所に0歳児~9歳児が行くようなものです。

どう見ても「場違い」としか思えません。

実際に囲碁を始めようとして、何もわからず碁会所に行ってみた方も多いでしょう。

結果は聞くまでもありません。

大抵は「場違いだな」と感じて他を当たっているはずです。

都心にある「初心者歓迎・入門教室あり」のような碁会所なら問題なく通うことができます。

しかしながら郊外や地方の碁会所では「初心者歓迎」など望むべくもありません。

100パーセントとは言いませんが、99パーセント嫌な思いをして帰ることになります。

なぜ囲碁を始めよう、習おうとして嫌な思いをしなければならないのでしょうか?

答えはそう難しくありません。

人、あるいは棋力によって「意識の差」がはっきりと違うからです。

囲碁を始めたばかりの方や級位者の方は割と簡単に「初段」という言葉を口にします。

しかし初段の高みを知っている有段者の方は「そんなもんじゃダメだ」と言ってきます。

これは聞く人が聞けば「有り難い親切」であり、人によっては「余計なお世話」となります。

マイペースに上達したい方にとって、碁会所ほど向かない場所はないでしょう。

当たり前のことですが、碁会所に来ている方もお客さんであって囲碁を教えてくれるわけではありません。

「教えてくれる」こと自体が親切なわけで、それ以上に「丁寧さ、わかりやすさ」を求めるのは甚だ疑問です。

囲碁入門者は「赤ん坊」二桁級の方は「幼稚園生」のようなものですが、当然ながら自分で学び成長するのが基本となります。

ただより早く成長するためには「大人の輪」に加わるのが近道というものでしょう。

子どもが大人の輪に加わるのは、言うほど簡単なことではありません。

それこそ「郷に入れば郷に従え」ということわざがピッタリになります。

もしめげずに碁会所に毎日通うことができれば、飛躍的に棋力向上すること間違いなしです。

ネット碁ではレーティング制のため「飛び級」することができませんから、強い人と気軽に打つことはできません。

しかし碁会所であれば「フェイストゥフェイス」ですから、いくらでも融通が利きます。

「囲碁教室やインストラクターに習ってはダメなの?」という方もいるかもしれません。

長期的に見れば、もちろんよい選択肢だと思います。

ただ短期的には「勉強法」よりも「対局数」が重要になります。

「感覚」というのは人から教わるよりも、自分自身で実戦的に養っていくほうがはるかに「早い」ものです。

囲碁教室やインストラクターの役割とは「挫折しないようにサポートする」ことです。

それ以上でもそれ以下でもありません。

途中で挫折してしまうのが一番勿体ない上、結局ゴールにも辿り着けません。

それなら一緒に歩いてくれる人、もしくは仲間がいてくれたら安心できます。

ただし「1年で初段になる」のであれば、話は別です。

場違いであろうと「強い人たちの輪」に入って付いて行かなくてはなりません。

強い人たちといっても「高段者」では物足りないでしょう。

なぜならその域になると逆に「優しく手加減」してくれるからです。

大人が子ども(幼稚園生~小学校低学年)に対して本気を出すことはないでしょう。

その点では有段者(特に初・二段)の方は「空気を読む」ほど強くありませんから、相手にとって不足なしです。

1つ気を付けたいのは「何を言われるのか分からない」という点です。

今どき「ハラスメント」や「マウンティング」という言葉が盛んに言われていますが、そんなことを気にしていてはとても碁会所には通えません。

いわば「出家」して寺に入るようなものです。

俗世で過ごしてきた人がいきなりお坊さんたちと修行するのは並大抵のことではありません。

「初段になる」というのは、それくらい「囲碁に染まる」ということなのです。

囲碁をしている人たちはしばしば「浮世離れしている」と言われることがあります。

わかりやすく言うと「世間知らず」と揶揄されているわけですが、それもそのはずです。

仏道を極めんとする僧侶のように、碁打ちも棋道を極めんとする「求道者」に他なりません。

大抵、1つの道を極めようとすると他の物事に対してバランスを欠くのは世の常でしょう。

囲碁はバランスを重んじるゲームですが、囲碁を年がら年中している時点で世間的なバランスを欠いています。

とはいえ、碁会所に毎日にように入り浸っている方はほとんど「有段者」または「初段近い級位者」であることも事実です。

初段になるためには「同じ境遇」に身を置くのが最もわかりやすく、かつ手っ取り早いのではないでしょうか。

何かと初心者や級位者の方に敬遠されがちな碁会所ですが、「修行の場」と捉えればこれほど適した場所もありません。

席料を払えば1日中打ち放題の上にいくらでも強い人に挑戦することができます。

人によっては相手をしてくれないかもしれませんが、「手空き」になるのは時間を持て余すため大抵の方は相手をしてくれます。

もちろん親切に教えてくれることなど期待してはいけません。

勉強は自分自身でするものであり、分からないことは自己解決するのが基本となります。

どうしても勉強がはかどらない方は「囲碁教室」に通ったり、「インストラクター」に指導碁を受けたりしながら並行して碁会所にも通いましょう。

やはり「強い人とたくさん打つ」というのは、普遍的であり、不変的な上達法と言えます。

これ以上わかりやすく、効果的な上達法は他にありません。

究極的にはAIと対戦して強くなるのが最も理想的な上達法になります。

「天頂の囲碁」でも買ってきて、毎日3局ずつ打っていれば自然と初段にはなれるでしょう。

棋力も任意で設定できますし、AIならおかしな手を打っても文句の1つも言われずに済みます。

ただまあ、続かないでしょうね。

よほど根性のある方を除き、ひたすらAIと対戦するのは「つまらない」というのが普通の感覚です。

やはり人と競い合ってこそ、やる価値があるのではないでしょうか?

「誰かに勝ちたい」「誰かに認められたい」という想いを持つことは上達への確かな糧となります。

そして最後は「囲碁を楽しめた人だけ」が初段になれると信じています。

物事を楽しむことができるのは、もはや「才能」と言ってよいでしょう。

それだけで苦が苦じゃなくなります。

囲碁を楽しむ才能に加えて、さらに努力できた人にのみ「1年で初段」という栄光を掴むことができるのです。