「対局における囲碁の楽しみ方とは何か?」について考察していきます。

囲碁の楽しみ方

勝ち以外の目標を立てる

あなたは囲碁の対局を楽しんでいますか?

囲碁には勝ち負けが必ず付くため、場合によっては辛く苦しい思いをすることもあります。

かといって勝ち負けを気にせず打つのは、本来のゲーム性を十分に堪能することができません。

あくまでも勝ちを目指して打つことを心がけてこそ、一局打ちきった充実感を得ることができるのです。

とはいえ負けて悔しいのは当然のことでしょう。

仮にあなたがプロ棋士なら、負けてヘラヘラしているようでは話になりません。

もうタイトルを狙えない位置にいる年配の棋士であっても、勝負に対するこだわりはアマチュアの比ではありません。

もちろん100戦100勝というわけにはいきませんから、ある程度負けを許容することも必要です。

アマチュアの場合、生活が懸かっていないから「楽しく打ちましょう!」とよく言われます。

しかし「楽しく」というのは、いったい何をどう楽しめばよいのでしょうか?

楽しいという感情は「思い通りになる」ことと密接に結びついています。

分かりやすく言うと「できる」かどうか、それによって「楽しい」「楽しくない」といった気持ちになります。

「勝ち負けにこだわらず、楽しく打ちましょう!」というのは、大事な部分が欠けています。

「勝てるどうかは、打ち終わってみないと分からない」

「しかし、どちらか一方が必ず負けてしまう」

「それなら勝ち以外の目標を立てて、それを実行しよう」

このように立てた目標をお互いに達成できたのなら「win-win」と言ってよいでしょう。

だから先ほどのセリフは「勝ち負け以外の目標を立てて、達成できるように打ちましょう!」が正解です。

もしあなたが「勝負において、勝ち負け以外の目標なんてあり得ない」という考えなら、少し視野が狭いと言わざるを得ません。

結局それは「勝ちにつながるなら何をしても良い」という発想につながりかねません。

「いやいや、反則とかルール違反は論外でしょ」

「当然、ルールに則って勝負するに決まってるよ」

はたして本当にそうでしょうか?

ネット碁、リアルの対局にかかわらず「時間制限」がある場合、必ず「時間切れ負け」を狙う人が出てきます。

「意味のない手」とは言わずとも「無理仕掛け」のような局面を難解にする打ち方で相手の時間を削ろうとしてきます。

これは立派な「ルールの範囲内」なので、誰からも咎められるいわれはありません。

過去、プロ棋士によるペア碁の公式戦において、韓国のペアが「時間切れ負け」を狙う場面がありました。

結果的に韓国ペアの「反則負け」となったのですが、2人はあくまでもルールの範囲内で勝負をかけただけのことです。

このとき問題なのは「誇りを持った勝ち方だったかどうか?」という点です。

すなわち「勝負事」である囲碁を「棋道」として捉えるのか、または「競技」として捉えるのかといった違いです。

「道」という文字が付く以上、その先にずっと続いていくような道筋でなければいけません。

「勝ち負けにこだわる」というのは「この一時にすべてを賭ける」のと変わらないでしょう。

要するに「一局」で道筋が完結しているわけです。

これは少々刹那的であり、「勝ち=楽しい」という構図しか浮かんできません。

例えば、相手の方がうっかり「ハガシ」をしてしまったとしましょう。

その時点で「ルール上」では、あなたの勝ちになります。

しかし毎度ハガシが癖になっている人ならともかく、その一瞬を咎めて勝ったところで本当に嬉しいですか?

あなたが「勝ち以外」に達成したい目標があれば、相手の時間が切れてもハガシをされても対局を継続するはずです。

もちろんその場で「勝ちを確定」させて、そのあとは「練習碁」ということにしてもよいでしょう。

いずれにせよ、あなたが生涯にわたり囲碁を楽しむのであれば「勝ち以外の目標」を立てることは必須となります。

さもなくば「その日暮らしの楽しみ」になってしまいます。

「生活に困窮して、その日の暮らしが精いっぱい」といったように「勝ち負けに飢えて、一局ごとの楽しみしかない」状態に陥ります。

どうせ囲碁を打つなら「楽しみの資産形成」をしたほうがよいでしょう。

一局の中で「できること」をコツコツ積み上げて、どんどん増やしていくのです。

できることが増えるにしたがって、もっともっとできることが増えていきます。

勝ち負けは所詮「結果」に過ぎません。

囲碁を打つ「過程」を楽しめてこそ、囲碁の醍醐味を存分に味わうことができるのです。

小さな目標

では、いったいどのようにして目標を立てればよいのでしょうか?

囲碁のゲーム性のよいところは「目数」で勝敗を決することです。

互先なら「半目勝負」から「50目以上の大差」の場合もあります。

級位者の方なら負けても「10目以内」有段者の方なら負けても「5目以内」を目安に設定するとよいでしょう。

仮に負けても「目標を達成する」ことが可能となります。

ただし大きく負けそうな場合は潔く「投了」しましょう。

級位者の方なら「残り50手まで」有段者の方なら「残り100手まで」を目安に投げるかどうかを判断します。

上手く投げられたら「目標達成」と見てよいでしょう。

いつまでも投げられずに「10目以上」差が付いてしまったら失敗と見なします。

もし残り50手(または100手)までよい勝負でも、そこから何か「事件」が起こるかもしれません。

しかしそれは「ポカ」や「見損じ」の可能性が高いので、やはり失敗と見なします。

棋力が低い人ほど「目数」に対する意識が曖昧でいいかげんです。

そのため「負け碁」をいつまでも投げられずに打ち続けてしまっています。

「最後まで打ちきる」「ヨセを上手く打つ」など何か他に目標があれば話は別ですが、明らかに「形勢が分かっていない」「負け惜しみ」の碁が多すぎます。

有段者であれば「大ヨセ(残り100手)」級位者であれば「小ヨセ(残り50手)」の時点で逆転は難しくなります。

そのとき英断を下せるかどうかによって、碁の質がガラリと変わってきます。

たまにある「大逆転」を期待するのは、再現性が低く大会等の重要な勝負でなければお勧めしません。

ギャンブルのような「刹那的な」打ち方ではなく、棋道の道筋を「堂々と」歩くほうが気持ちよいでしょう。

他にも「何個石を取る」といった目標を立てることもできます。

級位者の方なら「終局までに10個」有段者の方なら「終局までに20個」程度が目安でしょう。

この目標を達成する一番簡単な方法は「コウ」です。

終局間際の「半コウ争い」を繰り返せば、簡単にクリアできてしまいます。

だから「縛り」を設けて、「半コウ」は個数にカウントしないほうが賢明でしょう。

もちろん正規のアゲハマではありますが、あくまでも自分自身の「目標」に対する「縛り」です。

半コウは放っておいても自然とできますが、通常のコウはなかなかできるものではありません。

またできたとして「コウ立て」「コウ取り」を繰り返し争うのは、級位者の方には並大抵のことではないはずです。

コウを争わずに10子以上の石を取ろうとするなら、相手の石を「死活」に導かなくてはなりません。

「どうすれば、効果的に攻めて石を殺せるのだろうか?」

このような考え方ができれば、もはや上達したも同然です。

「模様を張って相手の石をおびき寄せる」

「地合いでリードして相手の無理仕掛けを誘う」

「切り合いの攻め合いに持ち込んで、フリカワリを狙う」

石を取るための手段をいろいろ考えることで、戦略の幅がグンと広がります。

特に「フリカワリ」の発想はお勧めです。

10子(または20子)取るために同じくらいの石数を相手に献上します。

もしくは地(空間)でもよいでしょう。

大事なのは「1つ1つのテクニックを習得していく」ことです。

目標を「目数」にすることで、「形勢判断(目算)」や「ヨセ」を鍛えることができます。

また目標を「石数」にすることで、「死活」や「コウ」あるいは「フリカワリ」を学ぶことができます。

これらの小さな、しかし大事なテクニックを1つずつ習熟していくことによって、最終的な「勝ち」を得ることができるのです。

結局のところ、皆「勝ち」という「果実」を狙い過ぎておかしなことになっています。

種を撒いて、発芽を待って、水をやりながら成長を見届けて、花が咲いて、最後にようやく実を結ぶのが「物事の在り方」ではないでしょうか?

「実」がなることだけに価値を求めてしまっては途中経過を楽しませんし、細かいところが雑になってしまいます。

仮に上手くいったとしても、再現性が低ければ次の対局につながりません。

「実を結ぶ(勝ちにつながる)までの過程をいかに大切にするのか?」

これこそ、上達においても対局を楽しむ上でも大切なことです。

登山に例えるなら、登頂だけが目的で楽しみならその過程はきつくてつまらないでしょう。

生い茂る草木や花、遠くの景色、仲間たちとの会話など登頂するまでの道のりを楽しむことで、ただ登るより何倍も登山を楽しめるようになります。

小さな目標は何でもよいのです。

「シチョウにできた」「大石を取られなかった」「荒らしに成功した」「定石通り打てた」など、人それぞれの棋力や成長に合った目標を立てましょう。

「道中を楽しむ」ことが上達への何よりの近道となります。

余裕を持つ

囲碁の対局は手数が長いため、焦らずじっくりと打ち進めていく必要があります。

序盤早々に優勢、もしくは勝勢を築いたとしても、そこから勝ちを確定させるまで途方もない道のりです。

勝つためにはどこかで「攻め」なければいけませんが、長い勝負を乗り切るには「守り」の力こそ重要になります。

地合いに関してはよほど後れを取らない限り、決して大きく離されることはありません。

大崩れしない碁を打てるようになれば、おのずと気持ちに余裕が出てきます。

ネット碁だと特に「早打ち」の方がいて、相手のミスを誘って早々に勝負を決めようとします。

早打ちの方には「時間をかけて打つ」のが最も効果的な対策方法でしょう。

秒読み30秒なら、打つ場所が決まっていても時間いっぱい使って打つべきです。

リアルの対局なら、ひと呼吸やふた呼吸おいてから打つと手拍子にはなりません。

これは非常に重要なことです。

なぜなら人は「負けを取り返そう」とする心が働くからです。

「1敗」してしまうと「1勝」を軽く見てしまい、「1戦」の重みが消え、「1手」が雑になってしまいます。

そのうち2敗、3敗と立て続けに負けていき、それを取り返そうとしてどんどん「早打ち」になります。

早打ちだと「ポカ」や「見損じ」が増えて、次第に碁が荒れていきます。

この悪循環をなくすためには「1戦」と「1勝」の価値を高めることです。

すなわち「1日何局打つか」を最初に決めておきましょう。

仮に3局までとしたのなら、1敗した時点でもう後がありません。

2敗してしまったら、今度は全敗になるかどうかの勝負になります。

そうなれば、軽々しく着手を選べないでしょう。

もし1日1局と決めておけば、より一層「1手」の重みが増します。

実のところ物事を楽しむコツは「何かを制限する」ことなのです。

一番わかりやすいのは「時間」です。

いつまでも遊んでいると気持ちが「ダレて」きます。

時間を制限することにより、集中力が高まって気持ちにメリハリがつきます。

これは「早打ち」とは一線を画します。

「急ぐ」のではなく、「時間いっぱい楽しむ」という意味になります。

他にも「数」や「量」を制限することで、楽しみの質を上げることができます。

例えば、焼き肉食べ放題に行ったとしましょう。

最初のうちは美味しく食べていたのに、次第におなか一杯になって食べるのがきつくなります。

何事にも「限度」というものがありますから、過度に欲しても嬉しい結果にはなりません。

「腹八分」とはよく言ったもので、あともう少しのところでセーブしておくのが楽しみ方のコツでしょう。

先ほど申し上げたように「対局数」を制限することはとてもお勧めです。

なぜなら負けたら悔しい、勝ったら嬉しい気持ちを明日に繰り越すことができるからです。

毎日勝っても負けても「腹八分」の気持ちですから、次への欲求がなくなることはありません。

つまり自然と「継続できる」というわけです。

これは「詰碁」や「棋譜並べ」などにも応用が利きます。

毎日ちょっと物足りないくらいの量をこなしていけば、自ら勉強したくなります。

「好きなだけ」よりほんの少しだけ足りないくらいがちょうどよいのです。

「体重を減らす」または「体重を増やす」のはどちらも簡単なことではありません。

体重を減らすには「好きなだけ食べる」ことを我慢しなくてはいけません。

また体重を増やすには「無理にでも食べる」ことを実践しなくてはいけません。

囲碁の対局や勉強もこれとまったく同じことです。

「好きなだけ打つ」「好きなだけ勉強する」のが一番続けやすいでしょう。

学校の勉強や仕事に追われて「囲碁をする時間がない」のは欲求不満になります。

かといって「早く上達したい」ために無理やり勉強するのでは長続きしません。

人それぞれ好むペースが違いますから、それよりほんのちょっと物足りないくらいが継続の秘訣です。

継続できているというのは、すなわち「楽しい」気持ちに他なりません。

人間、生活していくのに関わりのないことを嫌々する人はいません。

囲碁など実生活において「何の役にも立たない」ただの遊びに過ぎません。

これは断言します。

しかし「何の役にも立たない」というのは決して悪口ではありません。

むしろ最上級の褒め言葉と言っても差し支えないでしょう。

人間社会の成熟に伴い、素晴らしい文化が世界各地で発展を遂げています。

獲物を追って狩りに出る、畑を耕して作物を得るのは「生きるため」に他なりません。

雨風を凌ぐために家を建てる、寒さに耐えるために服を着るのも「生活のため」です。

昔は生きるだけで精いっぱいだったのが、今となっては「遊ぶ」余裕があります。

囲碁なんて「超暇人」もとい「超文化人」でなければ、とてもやる時間などありません。

そんな貴族の遊びを余裕もなく、せかせか打つのでは時間が勿体ないでしょう。

勝ち負けを意識しつつも、悠然としながら道中を楽しむ余裕を持ちましょう。

功を焦らず、勝ちを焦らず、上達を焦らず、泰然自若として慌てず騒がず構えているくらいがちょうどよいのです。

それでこそ、囲碁の対局を余すことなく存分に楽しめるというものでしょう。