
「碁会所が生き残るためにはどうすればよいのか?」について考察していきます。
衰退の原因
昨今では地方のみならず、都会の碁会所にも閉鎖の足音が忍び寄ってきています。
碁会所が「ドル箱」と言われた時代は遠い昔の話となり、今や「泥船」状態に陥っているのは周知の事実でしょう。
なぜここまで碁会所は衰退の一途をたどってしまったのでしょうか?
原因は主に2つあります。
1つは「時代の流れ」であり、もう1つは「怠慢」です。
ネット碁の普及により、わざわざ碁会所まで足を運ぶ人が少なくなったこと。
また日本全体の人口減や高齢者の自然死によって、見る見るうちに碁を打つ人が少なくなったこと。
これらは「時代の流れ」なので、どうすることもできません。
しかしその一方で「怠慢」によるお客さんの減少も指摘せざるを得ません。
今どき、碁盤を用意するだけでお客さんに来てもらおうというのは無理な話でしょう。
禁煙や分煙が進んでいる中、ちゃんとタバコ対策をしている碁会所がどれくらいありますか?
勿論、タバコを吸う方も多いわけですから、基本的には「分煙」をしていかなくてはいけません。
はっきり言って、対局中にタバコを吸う方はマナーがよくありません。
喫煙の碁会所では「女性」や「子ども」に来てもらうのはまずあり得ないと心得ておくべきです。
またお客さん同士のやり取り、すなわち「お店の雰囲気」を明るくしなくてはならないでしょう。
お店の雰囲気作りは店主の腕の見せ所です。
そこをお客さんに任せてしまうのは、新規のお客さんが入りづらくなる原因になりかねません。
話しながら打つのはOKなのか、または横から口を出すのはダメなのか?
実を言うとここら辺は明確には決まっておらず、教室や碁会所ごとの雰囲気によって決まります。
私は指導碁の最中に「アドバイスをする」スタイルのときと、何も言わず最後に「検討する」スタイルを使い分けています。
級位者の方にとって無言の圧力をかけられるのは耐え難いものですし、あとから指摘されてもその局面を覚えていないことが多いのです。
その点、有段者の方は打つのに真剣ですから、その場で余計な口出しはしないようにしています。
こういうのは「口を出さないルール」と一律に決めてしまうことではなく、雰囲気作りの一環と捉えたほうがよいでしょう。
つまり「待った」も場合によってはOKだということです。
大会ではルール違反になるようなことでも、その碁会所の「ハウスルール」では何の問題もありません。
よく居酒屋で見かける「親父の小言」みたいな格言を貼っておくのも1つの手かもしれませんね。
碁会所に足を運ぶ理由は「その場の雰囲気が好きだから」に他なりません。
厳格ならルールに厳しくても構いませんし、ゆるく和やかな雰囲気なら和気あいあいと打つのも人それぞれの楽しみ方でしょう。
ただし同じ空間に混在できませんから、そこはお店の席主が主導してよりお客さんに喜ばれる雰囲気作りを目指すのです。
そこら辺を疎かにしていたら、碁会所でなくとも早晩潰れてしまうのは目に見えています。
碁会所の席亭は趣味の延長線上で経営している方も多いので、あまり面倒なことには手間をかけたくないのかもしれません。
しかしそんなことを言っている余裕はもうありません。
場所代くらい稼がないとお店を維持できませんから、適切な投資と最低限の経営戦略は立てておかないとまずいでしょう。
お茶一杯にしてもウォーターサーバーや給茶機をレンタルしたり、またはペットボトルの飲料を有料で提供するなどの工夫が必要となります。
集客にしても地域のイベントに積極的に参加して、碁会所の経営をさりげなくアピールするくらいの気概がないとやっていけません。
もうすでに定年退職していて、老後の楽しみとしてやっていたとしても何かしらの努力はすべきではないでしょうか?
足を運んでくれるお客さんに喜んでもらうのが一番の生きがいであり、楽しみとなるかどうかです。
段級位のシステム
碁会所で一番気を付けないといけないのは「段級位の決め方」でしょう。
ここを軽く見るから、碁会所のインフレに嫌気が差して通うのをやめる人も少なからずいます。
田舎はまだ「七段」以上を名乗る人はいませんが、都会では「十一段」を自称するケースもあるので非常に厄介です。
勘違いしてはいけないのが、囲碁は基本的に「上手有利」のゲームだということです。
適性の置き石より2つか3つ置かせても、上手はあの手この手を駆使して難なく勝ってしまいます。
よく「同じ五段でも4子違う」とか「六段同士でも3子違うことがある」という話を聞きますが、碁のメカニズムを理解していれば何も不思議ではありません。
棋力についての話は別の記事にて紹介しています。
※詳しくはこちらをご覧ください。
囲碁は強くなればなるほど置き碁を打つ機会が増えることにより、いわば「白番の打ち方」に長けてきます。
私は十分な実力を持った五段であっても「三子」のハンデで打ち崩してしまいます。
私自身が六段であるにもかかわらずです。
恐らく、私の分身と二子の手合で打ったらどちらを持っても良い勝負になるのではないかと思います。
そりゃ100局近く打つなら適正なハンデに落ち着くのでしょうが、10局程度では上手有利の状況を打ち崩せません。
それほど置き石による「優勢」を守りきるのは至難の技ということです。
碁会所のインフレ問題はずっと言われ続けていますが、根本的な問題解決をみたケースは未だ確認できていません。
だからといって、このまま放置し続けるのはいかにも体裁が悪いでしょう。
この問題を解決する術はたった1つしかありません。
それは「AI」の導入です。
とりあえず、碁会所の最高段位は「七段」にしておきましょう。
それ以上の段位はアマの世界には存在していません。
日本棋院の免状は「八段」までありますが、世界アマで優勝するのは実質プロでも難しいですからね。
中韓の勢力に圧倒されて10年以上日本人が優勝できていない現状では、八段を名乗るのは不可能と言わざるを得ません。
アマの最高段位である七段を名乗るには、それ相応の客観的な実績が必要不可欠となります。
その棋力認定の大役をAIに担ってもらおうという寸法です。
これも良い意味での「時代」ですね。
15年前までは最強を謳うソフトが1級でしたからね。
碁会所で六、七段を名乗りたいのであれば、AIを相手に3戦全勝するくらいの力量がないとインフレは是正されません。
上さえ止めておけば、あとは相対的に棋力が決まっていくので心配いりません。
たとえ今いるお客さんの棋力を変えられないとしても、客観的な指標としてAIを導入するのは決してマイナスにはならないでしょう。
手空きのお客さんを飽きさせないためにも、PCに詰碁やら布石の問題を入れておくのも良いかもしれません。
碁会所、または囲碁サークルでよく見られるのは「一番強い人が飽き飽きしていること」です。
六段格になってくるともう誰も相手がいませんから、対等な勝負を求めて他の碁会所や囲碁サークルに出入りするようになります。
たまに若くて強い人を見かけますが、打たずに棋譜並べをしていますからね。
初心者などのライトユーザーをなおざりにしがちなのも問題ですが、実はヘビーユーザーである高段者の居場所も碁会所にはありません。
碁会所とは「初段前後、もしくは有段者」の集まりと化しているのです。
これは人が集まらない以上、今日明日のうちに解決できる問題ではありません。
ならばせめてAIと打つのを楽しみとして提供するしかないのではないでしょうか?
勿論、家で打つよりも碁会所に顔を出したほうが楽しいといった雰囲気作りとセットの話でしょう。
これからは時代に合わせたニーズに応えていく必要があるのは言うまでもないことです。
ターゲットとなる世代
碁会所におけるお客さんの大半は「シニアの男性」に他なりません。
現役を引退した方々が毎日足を運んでくれる光景は碁会所ならではと言えるでしょう。
やはり囲碁界において一番大切な客層は「シニア」であり、若い世代よりも時間とお金に余裕があります。
このシニア層をどう増やしていくのかといったことが生き残りのために必要な命題となります。
最も大事なことは「できる範囲での最善を尽くす」ということです。
「もっと若い女性を増やすべきだ」「子ども教室を開いて若い世代を育てるべきだ」といった意見は現実味がありません。
都会の碁会所ならともかく、そう易々と女性を呼び込むことができるなら誰も苦労はしません。
子どもに関しても、実際には「お母さん」との付き合いになりますから同じことでしょう。
今どき男性だって「多趣味」なのに、ましてや若い女性や子どもはもっと好奇心旺盛ですよ。
たとえ頑張って集客できたとしても、男女間のトラブルや子ども同士のいざこざを考えたらとても割りに合いません。
何も無理して身の丈に合わない集客をする必要はどこにもありません。
囲碁を求めている方に楽しめる場所を提供できれば、それに越したことはないでしょう。
碁会所に呼び込む客層の理想としては「若いシニア」が一番よいのではないでしょうか?
もし常連さんになってもらえたら、この先もずっと通い続けてくれることは間違いありません。
若い女性や子どもたちが2,30年もの間、同じ碁会所に通い続ける可能性はほぼないです。
野球で例えるなら魅力的な先発投手1人を獲得するか、またはそこそこの野手3人を獲得するかといった違いに似ています。
野球はピッチャーの役割が大きいようで、実は毎試合出場している野手の働きのほうが大事なのです。
たまに来る「可憐な美少女」かもしくは毎日通っている「初老のおじさん」のどちらが経営を助けてくれるのか、よく考えてみましょう。
「可愛い女性目当てに男性が寄ってくる」というのも半分以上は嘘ですからね。
皆さん囲碁をしに来ているわけであって、若い女性は「いたらいいな」くらいの意味合いでしかありません。
女性目当てなら、普通に若い女性のいるお店に行きますよ。
そこら辺に無駄な労力をかけている体力は今の碁会所にはないでしょう。
とはいえ「若いシニアの女性」はこれからの碁会所にとって必要不可欠な存在です。
何だかんだ言ってもお付き合いしていくのは「同世代」ですから、シニアの男性にとって「若い女性」というのは一回りくらい年下の人を指しています。
女子高生やOLと喋るよりもよほど楽しいと思いますよ、同世代の会話は。
それに男性よりも女性の方が何かとしっかりお金を使ってくれます。
無論、男性以上に「場所」や「サービス」を見極めているからこその話です。
若いシニアの女性を呼び込むには「分煙」が最低条件になります。
壁紙が茶色に染まっているような場所で打ちたいと思う女性は誰一人としていません。
あと「学べるかどうか」といったことも極めて重要なポイントになっています。
とは言うものの囲碁教室を開いたり、インストラクターを呼ぶのは町の碁会所ではなかなか難しいのが現状でしょう。
そこで活躍するのが碁会所名物の「教えたがりおじさん」です。
学びたい人に対して教えたい人がいるのは、需要と供給が見事にマッチしています。
よく横から口を出す「教えたがりおじさん」は迷惑な存在として嫌われがちですが、決してそんなことはありません。
要は「適材適所」というわけです。
お客さん同士が楽しくその場を過ごすために上手くマッチングしてあげればよいだけのことでしょう。
今の世の中「あれはダメこれはダメ」と何でもかんでもケチをつけてはやめさせようとしています。
せっかく「教えたがっている」のにやめさせる必要がどこにありますか?
経営者としては先生を探す手間が省ける、学ぶ側はタダで教えてもらえる、教える側は自己承認欲求が満たされて楽しくなります。
そういう「win-win」の関係を作っていくのが、これからの碁会所の役割ではないでしょうか?
囲碁の潜在的な需要はまだまだあります。
それを上手く掘り起こせるように日々の積み重ねをしていくしかないのかもしれませんね。