「囲碁における大局観を養うにはどうすれば良いのか?」について考察していきます。

囲碁における大局観を養うには

ひと段落で捉える

あなたは盤上全体を見渡して打つことができていますか?

よく「石音がするほうの反対に打て」と言われますが、これは「全体を見ながら打ちなさい」という意味でしょう。

布石ならまだしも石がぶつかって戦いが起こると、ついつい部分戦にとらわれてしまいがちです。

そのため、全局を見渡すためには「ひと段落」の見極めが欠かせません。

「お互いにこれ以上攻められない」形になったらひと段落と見なしてよいでしょう。

具体的には「2手連打しても取れない(取られない)」ことが目安となります。

例えば「二目の頭、見ずハネよ」と打たれたとしましょう。

すると次に「二目の頭尻尾」にハネられ、そして「シチョウ」に抱えられてしまいます。

ダメヅマリは以下のようになっています。

「二目の頭(ハネ)」→ダメ3つ

「二目の頭尻尾(ハネ)」→ダメ2つ

「シチョウ(アタリ)」→ダメ1つ

つまり二目の頭にハネられた時点でダメが3つしかなく、そこから2手連打されると「手筋(シチョウ)」で取られます。

手を抜くほうの動きは次のようになっています。

「二目の頭」をハネられる

・ひと段落と見なして大場へ向かう

「二目の頭尻尾」をハネられる

・受けずに手抜きする

「シチョウに取られる」

このように実質的には「3手連打」されていることになります。

相手が打ってきた手に対して、そこから「2手連打」を想定して受けるかどうかを判断します。

よくない動きとしては「手を抜いたのに戻る」ことです。

「二目の頭」をハネられる

・ひと段落と見なして大場へ向かう

「二目の頭尻尾」をハネられる

・シチョウに取られまいと慌てて戻る

ひと段落したと思って手を抜いたら「連打されて困りました」となってはダメでしょう。

「出」のような明らかな利かしには対応せざるを得ませんが、基本的には「ひと段落という判断」を一貫しなくてはなりません。

さもなくば、相手の着手に振り回されて大局を見渡すどころではなくなります。

冷静な視点でひと段落を見極めるには、やはり局後の検討が欠かせません。

実戦ではどうしても戦いに「夢中」になってしまうので、あとから見返して争いが妥当だったのか検証する必要があります。

一番よいのは「ネット対局」を「素早く」見返すことでしょう。

一手一手の意味を追求していくのは、時間がかかり過ぎていけません。

布石の図柄がどのように変化していくのか、または変化したのかをクリックしながら確認していきます。

最初のうちは「布石」と「終局図」を見比べるくらいでよいでしょう。

「ここから最後はこうなりました」というのは、一局における「ひと段落」に他なりません。

慣れてきたら今度は「敗着」を探して「布石→敗着→終局図」と見比べていきます。

一局のポイントを絞ることで、一手一手の変化に惑わされない「大きな流れ」を捉えることができます。

さらにポイントをいくつか決めて、順に追っていくのが理想的な検討方法でしょう。

その際、いちいち「止まらない」ことが大切です。

一手一手を細かく検証するのは「読み」が必要であり、部分的なことを突き詰めるときに行います。

大局を把握するときには、戦いが始まってからひと段落までを1つの「流れ」として捉えます。

流れごとに検証していくことで、局面の移り変わりを的確に捉えることができます。

目算をする

序中盤における形勢判断は「感覚」によるところが大きいでしょう。

形勢判断の感覚を養うには対局して勝ち負けを積み重ねるしかありません。

とはいえ適当に「形」だけで判断していると、実際の良し悪しとはだいぶ乖離してしまいます。

序中盤のまだ先のわからない状況でも「目算」をある程度することは決して無駄にはなりません。

そもそも棋力が下がれば下がるほど、目算をするタイミングが遅くなる傾向があります。

多くの級位者は「小ヨセ」に入ってから目算し始めます。

そのタイミングでは、たとえ負けていても逆転することは難しいでしょう。

「目算してみましょう!」と言っても「地を数えるなんて、とてもじゃないけどできません」という声が聞こえてきそうです。

地を数えるのは誰にでもできます。

要は「慣れ」の問題です。

私は1級当時、互先で3目半勝ちの碁を中盤150手くらいで読み切っていました。

残り50~100手近くあったはずですが、「3目半」という数字を正確に出すことができました。

「1級程度の実力で、どうやったら最後まで読み切れるのか?」

答えは簡単です。

相手も同じ1級ですから、何か特別なヨセを打ってきたりはしません。

碁形にもよりますが、同程度の棋力であれば打つ手は予想の範囲内です。

そのとき相手がすごく長考していたので、暇を持て余して初めて真剣に目算してみました。

すべて読み通りとはいきませんが、ヨセは大抵「見合い」になっているので大きく外れることもありません。

これはマグレでも何でもなく、ちゃんと目算した成果です。

もし上手との対戦であれば、予想を上回るヨセの手筋を次から次へと打たれてしまうでしょう。

それでも数えておくことは決して無駄にはなりません。

30目ほどの余裕を持っていれば、何とか勝ちきれるはずです。

「目算」と「並べ返し」は慣れの問題で、やるかやらないかの違いだけでしょう。

私の場合は1級程度のときにこの2つともできています。

しかし有段者になってから、戦うことばかりで目算を疎かにしていました。

その結果、感覚と整地の目数が「20目以上」離れているときもありました。

並べ返しもサボっているとだんだん怪しくなってきます。

結局は「どこ」に力を注ぐのかであり、やれるならやったほうが良いに決まっています。

棋力が上がれば上がるほど、どれもこなすのが「早く」なります。

部分的な読み、形勢判断(目算」は勿論のこと様々な図の想定も素早くこなしてしまいます。

これは単に「慣れているかどうか」だけのことです。

例えるなら、料理が上手い人と下手な人の差のようなものでしょう。

レシピ(定石)を片手に1つ1つこなしていくのは、すごく時間がかかります。

下手な人は大さじ小さじを計り、手順通り丁寧に進めていってようやく料理が完成します。

対して、こなれている人はすでにレシピが頭の中に入っています。

調味料を目分量で計り、同時進行で調理を進めていきます。

その手際の良さたるや、慣れていない人にはとても真似できないように見えます。

しかし単なる「慣れ」ですから、やればやるだけ上手くなります。

「ヨセを正確に打つ」ならまだしも、「目算する」のに棋力はまったく関係ありません。

ただ「数えるだけ」です。

結果と照らし合わせることで、より正確な形勢判断(目算)をすることができるでしょう。

フリカワリを学ぶ

囲碁は部分戦で必ずしも勝つ必要はありません。

「小を捨て大に就く」のことわざ通り、争っている場所が小さければ譲ってしまっても構わないでしょう。

「1つも譲りたくない」という気持ちは欲張りでいけません。

大局観とは真逆の考え方であり、交互に打っている以上譲らざるを得ない場面が必ず生じます。

譲るものは「石」もしくは「地(空間)」あるいは「両方」になります。

石を取られたり、地を荒らされるのは誰しも抵抗があるものです。

とはいえ「フリカワリ」を上手く活用すれば、与えることが快感になってきます。

フリカワリにも「目算」が当然ながら必要不可欠となります。

囲碁は「目数」を争うゲームですから、目算しないことには何もわかりません。

フリカワリのパターンは千差万別であり、1つの「ワカレ」と見なしてよいでしょう。

「ワカレ(ひと段落)」と大きく異なるのは、「形」ではなく「目数」が関わるときにわざわざ「フリカワリ」と表現します。

例えば「地と厚みのワカレ」という表現では、主に「形」のことを指しています。

しかし「隅の地と中央の厚みのフリカワリ」という言い方のときは「目数(価値)」を表しています。

「ワカレ(ひと段落)」は序中盤で使うことが多く、「フリカワリ」は中終盤で使うことが多いでしょう。

また「ワカレ」はあくまで部分的なこと指しますが、「フリカワリ」は大局的な視点でなければ語ることができません。

「右上隅と右辺のフリカワリ」「上辺と下辺のフリカワリ」など場所を示す言い方がしっくりきます。

段階としては「部分的なワカレ」→「形勢判断」→「全局的なフリカワリ」→「目算」といったところでしょう。

囲碁は一手一手を積み重ねていくことで、大きな1つの流れになります。

その流れを捉えるのが「大局観」であり、一手一手の経過ではなく「結果」を見ることが大切です。

1つの場所を争った結果「どんなワカレ」または「どういうフリカワリ」になったのか、そこを判断します。

フリカワリと聞いていまいちピンとこない人は「コウ」を想定すると分かりやすいでしょう。

コウ立てに対して、コウを解消するならコウ材の場所へ連打して「フリカワリ」となります。

コウ争いは必ず他の場所とのフリカワリになるため、盤上全体を見渡す必要があります。

また「2手連打」した図を想定しなくてはなりません。

コウに勝った場合、負けた場合の図はいずれも「コウ抜き」「コウ解消」の2手連打です。

そして一方がコウに勝てば、もう一方は「コウ立て」「コウ材の場所へ連打」することになります。

「ワカレ」という言葉は途中経過を意味しますが、「フリカワリ」は主に結果を指しています。

ワカレが「ひと段落」なら、フリカワリは「一応の決着(または完全決着)」といったところでしょう。

一手一手の経過に注目するのが「読み」であり、出来上がり図に注目するのが「大局観」というわけです。

「読み」の範囲は一手~ワカレ(途中経過)まで、「大局観」はワカレ~フリカワリ(決着)までになります。

読みは「石」の「アタリ(ダメヅマリ)」に着目しますが、大局観は「地」や「厚み」または「模様」や「空間」に着目します。

戦いがひと段落すれば、石は「地」や「厚み」または「模様」となり一定の価値を持ちます。

その価値を評価するのが「大局観」に他なりません。

大局観を養うにはまず「出来上がり図」の評価を正しく行う必要があります。

それは「ひと段落した形」や「打たれた場所」はもとより、具体的な「目数」を出すことが何よりも大切なことでしょう。

地を数えることなど、基本中の基本です。

それ以外の「厚み」や「模様」または「空間」をどのように評価するのか、形勢判断(目算)能力が不可欠になります。

これは日々の対局で徐々に培っていく他ありません。

ただし「出来上がり図を評価しない」「形勢判断しない」のであれば、いつまで経っても身に付くことはないでしょう。

一手打つたびに手を止める必要はありませんが、ひと段落ごとに手を止める癖を付けましょう。

慣れないうちは、なかなか難しいかもしれません。

しかし「手を止める」「背筋を伸ばして全体を見渡す」だけでも効果は絶大なのです。

騙されたと思って、ぜひ実践してみてください。