「詰碁の取り組み方」について考察していきます。

詰碁の取り組み方

基礎の積み上げ

よく「上達するには詰碁を解きなさい」と言われることがあります。

囲碁では石が接触しない部分は「無限」の変化がありますが、石が接触する部分は「有限」の変化しかありません。

「囲碁で石が接触する部分」とは、まさしく「詰碁(碁を詰める)」なのです。

詰碁を解くことは囲碁における「有限の分野」の解明であり、それは無限の変化をもたらす盤上に一筋の光明を見い出します。

霧が深い山道を歩くのに足元しか見えないのは不安でたまらないでしょう。

初心者・初級者の方は純粋な「アタリ」しか見えないので、いつ滑落して死んでもおかしくありません。

「詰碁を解きなさい」という教えは「できる限り視界を広げなさい」と言っているのです。

特に「簡単な詰碁を解きなさい」とは「足元の石で転ばないようにしましょう」という意味になります。

実戦では足元ばかりを気にしていては盤上全体を見渡すことができません。

布石での石運びや厚みの評価、形勢判断や地合い計算など実戦的にやることは山積みです。

しかし得てして「そういうとき」こそ、足元の石で転んでしまうのです。

足元を意識しなくても「大丈夫」と言えるようにするには、やはり「簡単な詰碁」を繰り返し解くことが最も効果的でしょう。

いくら「全体を見ながら打ちましょう!」と言われても、足元がおぼつかなければどうしようもありません。

足元の不安を解消することによって、盤上の景色を悠然と見渡すことができるのです。

ただ基本の繰り返しは必要不可欠な反面、「つまらない」と感じてしまいます。

「先生、それは前にやりました」という生徒さんはすごく勉強熱心な方です。

講座や指導碁の資料をすべてファイルしていて、見返しているからこそ「1年前に同じことを教わりました」と言えるのです。

しかし残念ながら「知っていること」と「実践できていること」には天地の差があります。

「アタリ」という言葉は入門時に誰もが習うので、囲碁を打つ人で知らない方はいないでしょう。

ただし「アタリ」を本当の意味で理解して、実用できている方はほんのわずかな人だけです。

そもそもアタリとは何か?

アタリとは「ダメヅマリ」のことであり、「死活(1眼・2眼)」のことでもあります。

アタリとは石が接触する部分のすべてに関わっており、囲碁における「有限の分野」そのものなのです。

そういう意識があれば「アタリはもう習いました」なんてセリフを吐けるはずもありません。

シチョウ・ゲタ・両アタリ・ウッテガエシ・オイオトシなどの手筋もすべて「アタリ」です。

打ち欠き・中手などの死活の筋もすべて「アタリ(1眼)」にするためのテクニックです。

ダメヅマリは石取りまで「あと何手か?」を数えるいわばカウントダウンです。

石取りまでの1手前のことを「アタリ」と言います。

石取りまでの2手前~先の名称はありませんが、「3手前」までのことをダメヅマリと言ってよいでしょう。

実戦で石が入り組んでくると「アタリ」や「ダメヅマリ」を見合いにして手筋が決まるようになります。

このように「簡単なこと」を体得し、実践するのは想像以上に大変なことです。

軽々しく「もうやりました」「知っています」なんてことを言うべきではありません。

とあるトップ棋士は「基礎ができていれば、プロになれる」と仰っていました。

つまり「アタリ(有限の部分)」を習熟すれば、プロレベルだということです。

だからこそ「上達するには(簡単な)詰碁を解きなさい」と啓蒙することになります。

とはいえ、基礎の積み重ねほど退屈でつまらないものはないでしょう。

「野球を上手くなりたい」と言ってひたすらバットを振れる子は本物です。

「囲碁を上手くなりたい」と言ってひたすら問題集を解ける方も本物です。

私の場合、常に新しい知識を求めて基礎を疎かにしていました。

しかし私を含めた大半の方は基礎を積み上げられない飽きっぽい人ばかりでしょう。

イチローになれる方法を知っていても、イチローにはなれません。

努力を積み上げられることが稀有であり、才能でもあるからです。

机上の空論

私は10年ほどでアマ六段になりましたが、決して基礎的なことを熱心に積み上げてきたわけではありません。

時を経るにつれて自然と積み重ねてきたのかもしれませんが、詰碁を解くときはもっぱら「背伸び」をして難しい問題に挑戦していました。

実は「上達するには(簡単な)詰碁を解きなさい」というのは誤りです。

地道な基礎の積み上げができるのは一部の「天才」であって、大半の凡人は長続きしません。

「正論」というのは現実的ではない「机上の空論」に他なりません。

例えば、巷で話題のダイエット法に置き換えると分かりやすいでしょう。

「簡単・短期間で〇〇キロ痩せました!」

「あの有名人も愛用している〇〇が効果抜群です!」

こんな謳い文句を胡散臭く感じるのは、あなたの感覚が正常だからです。

では、どうやったら上手くダイエットすることができますか?

答えは簡単です。

「暴飲暴食を控えて、バランスの良い食事を取りましょう!」

「適度な運動を心がけて、たまには筋トレにも励みましょう!」

このような誰もが知る「真っ当な」方法を実践すればよいのです。

ただこれらの方法は「正論」であっても、決して「現実的」ではありません。

ビジネスにおいて「ダイエット」というのはビックワードであり、需要の絶えないテーマです。

なぜ「こうすれば、痩せる」という確実な方法が見つかっているのに、皆が「今、話題の」ダイエット法を追い求めるのでしょうか?

それは「分かっていてもできないから」です。

以前「軍隊式ダイエット」というのが流行りましたが、やはり一時的なものに過ぎませんでした。

「軍隊の訓練方式をダイエットに応用した」この謳い文句を聞けば、誰しも「そりゃ痩せるでしょ」と思います。

しかしどんなに有力な方法を編み出したところで続かないことには成果が得られません。

そういう意味では「机上の空論(正論)」を説くよりも、モチベーションを維持する「胡散臭い謳い文句」の方が優れているのかもしれません。

故・呉清源曰く「シチョウを習熟すれば、アマ六段である」と著書に記してありました。

なるほど、ぐうの音も出ない「ド正論」です。

先ほど申し上げた「アタリ」の話と何ら変わりない意味合いでしょう。

当の呉清源は昭和最強の棋士と謳われた「天才」であり、唯一無二の優れた才能を持っていました。

その稀代の棋士が「シチョウを勉強しなさい」と説いているのです。

さて、あなたはこの話を聞いてシチョウを勉強しますか?

それとも勉強しませんか?

私はシチョウを本格的に学ぶことに「反対」します。

なぜならシチョウは囲碁の「基本中の基本」でありながら、習熟するのがとても難しいからです。

要するに「難しいからつまらないですよ」「長続きしませんよ」と言いたいわけです。

野球で例えるなら「キャッチボール」ばかりしているようなものです。

野球においてキャッチボールとは「基本中の基本」でありながら、実戦的にミスの許されない習熟するのがとても難しい技術です。

「シチョウを知らずに碁を打つな」という格言を野球に当てはめるなら「キャッチボールできずにプレイするな」になりますね。

それほど重要な基礎ですから、学ばないわけにはいきません。

されど「つまらないものはつまらない」といった人間の感情には逆らえません。

感情に逆らって基礎を積み上げているのは「仕事」くらいのものでしょう。

もしくは「熱心な趣味」においても、つまらないことをコツコツ積み上げているかもしれません。

そういう「本気」の人たちからすれば、「楽して簡単に強くなりたい」というライト層の言葉は「甘い」と感じることでしょう。

しかし冷静になってよく考えてみてください。

世の中の大半の方は「仕事をしている」あるいは「仕事をしていた」わけです。

また多くの人が「熱心な趣味を持っている」あるいは「熱心な趣味を持っていた」わけです。

そういう方に「基礎の積み上げは大事」というのはお釈迦様に説法をするようなものです。

そして1つ以上の基礎を積み上げている人に向かって、さらに「別分野の基礎を積み上げなさい」というのはさすがに酷というものでしょう。

2つ以上の分野を熱心に取り組むには並々ならぬ努力が必要となります。

「詰碁を頑張りましょう!」といった小学生でも言えるような正論ではなく、もっと現実味のある具体的なアドバイスをしましょう。

背伸びのすゝめ

囲碁を上達するうえで詰碁の勉強は必要不可欠であり、また効果の現れやすい分野でもあります。

勉強するのは当然として、問題はどうやって「モチベーション」を維持するのかでしょう。

このとき多くの指導者、インストラクターは間違った導き方をしてしまいます。

「難しい詰碁に挑戦しても解けませんから、簡単な詰碁をどんどん解きましょう!」

一見して当たり前でありながら良いアドバイスに聞こえますが、それはとんでもない勘違いです。

「簡単な詰碁を解きましょう」とは、勝負において「負けない打ち方をしましょう」ということです。

「難しい詰碁に挑戦する」のは、勝負において「勝てる打ち方をする」ということです。

「負けない」とは「ミスしない」ことを示唆しています。

「勝てる」とは「一発逆転する」ことを示唆しています。

はたして、どちらの難易度の方がより高いと思いますか?

正解は「ミスしない」ことの方が「一発逆転する」ことよりもはるかに難しいのです。

初段の方が互先で三段の人に勝ってしまうのはよくある光景です。

3子差以内の棋力であれば、互先で「刺さる」可能性は十分にあります。

しかし初段の方が互先で級位者の人に負けないのは至難の技でしょう。

4子差以上ならまだしも1~3級の人を完全に押さえ込むのは不可能です。

ゆえに大会で上位常連の方は相当な「基礎の積み上げ」をしてきています。

まぐれ当たりなど誰にでも起こり得ることですが、勝ちを積み上げるのは並大抵の努力では果たせません。

つまり「簡単な詰碁を解く」ことこそ王道でありながら、最も険しい道のりなのです。

逆に「難しい詰碁に挑戦する」のは、それほど大したことではありません。

一例を挙げてみましょう。

あなたは今度の週末に1人で登山に行こうと計画します。

ちなみにあなたは登山初心者です。

このとき、どういう計画を立てますか?

・日帰りで2000メートル級の山に登る

・1泊2日かけて500メートル級の山に登る

おそらく、十中八九「2000メートル級の山を登る」選択をするのではないでしょうか?

想像しづらい方のためにもう少しハードルを下げてみましょう。

・日帰りで1000メートル級の山に登る

・1泊2日かけて500メートル級の山に登る

この2択でも十中八九「1000メートル級の山に登る」のではないでしょうか?

登山経験者であれば「低山でも初心者が1人で山に登るなどけしからん!」と叱責することでしょう。

しかし登山初心者のあなたの考えは違います。

「せっかくの貴重な週末に2日もかけて低い山なんて登ってられないよ」

「どうせなら2000メートル級の山を制覇したいね、次の日は買い物でも行こうかな」

「いや、でも山は危ないらしいから1000メートル級の山にしておこう」

「体力には自信があるし、1000メートル程度なら1日で十分登れるでしょ」

まあこういう「甘い考え」に加えて、軽装で出かけるに違いありません。

これは登山に関わらず、すべての分野の「初心者」に共通する考え方です。

魚釣りをするのに「カサゴ」を地道に釣りあげようとする初心者の方がいますか?

「マグロ」は無理でも「鯛」くらいは釣りあげてやろうという夢を見ながら始めるのが普通の人間です。

囲碁においても初心者・初級者の方ほど「初段」を目指して頑張ろうとします。

背伸びしてでも「難しい問題集」を買って、自力で解こうと必死になります。

このときの行動は「標高の高い山」を目指して「道具」を買い揃えているのと何ら変わりません。

または「夏までに痩せる」ことを目指して「ダイエットサプリ」を飲んでいるのと同じことなのです。

要するに「夢」を見ているわけですね。

「夢」とは行動するための活力であり、モチベーションを維持するのに不可欠なものです。

しかし夢が叶わないからといって、すぐに現実的な「目標」を提示するのはよくありません。

「山」であれば死ぬ危険性が高いので無茶をするわけにはいきませんが、囲碁なら盤上で石が死ぬだけです。

いくら「背伸び」をしても構いません。

現実的な目標よりも夢のある話をしましょう。

初心者を始め、アマチュア全般に当てはまる傾向と言えます。

詰碁なら「これをやったら初段」といった本が取り組みやすいでしょう。

「初段合格の死活」という本のタイトルはアマチュアの心理をよく捉えています。

5級の方にとって「6級以下の人に負けない」のは当たり前のことであって目標にすらなりません。

本当は「6級以下の人に負けない」ように「級位者の基本詰碁」を徹底的に勉強することが上達への近道であることなど知る由もありません。

ほとんどの方は「初段になる」のを夢見て、「3,4級の人に勝つ」のを目標にします。

そのために「初段の基本詰碁」「有段者になるための本」を買ったりするのです。

競技を極める者にとって「勝ちにこだわる」のは「負けないように積み上げる」ことに比べて愚かであると言わざるを得ません。

しかし競技を楽しむ者にとって「勝ちにこだわる」のは困難に挑戦することを示した原点とも言える姿勢なのです。

格下に10回勝つよりも、格上に1回でも勝てたならすごく幸せな気分に浸れるでしょう。

「簡単な詰碁」を10回解くよりも、「難しい詰碁」を1回でも解けたほうが強くなった気がするでしょう。

「できる」ことを当たり前のようにこなすことが「真の強者」です。

「できない」ことを一生懸命取り組んで、できるようになったら「素晴らしい凡人」です。

簡単な詰碁を地道にコツコツ解く必要はありません。

それができるのは「真の強者」になる人だけであり、そういう方は遅かれ早かれいずれは高段者の域に達します。

あなたは「素晴らしい凡人」を目指しましょう。

そのためには「できないこと」を「できる」ように頑張りましょう。

あなたにとっての「難しい詰碁」に挑戦してみてください。

「難しすぎる詰碁」ではなく、あくまでも「難しいけど、頑張れば解けそう」くらいの詰碁です。

解けたら次の問題、次の問題とどんどん挑戦していきましょう。

解けることが当たり前ではなく、解けたら「すごい」ことを忘れてはいけません。

5級の方は「初段の詰碁」にチャレンジしてみてください。

有段者の方は「六段の詰碁」に挑戦してみてください。

解けたあなたは「詰碁初段」あるいは「詰碁六段」です。

そうやってモチベーションを維持して頑張っていれば、いつの間にか「基礎」が身に付いているものです。

「挑戦する」ことは、あらゆる物事を楽しむためのコツになります。

詰碁に限らず、囲碁の難しい分野にも恐れずに挑戦してみましょう!

新しい知識を得ることで、今まで気づかなかった発見があるかもしれません。

その「気づき」こそ、あなたが素晴らしい凡人になるための第一歩なのです。