「囲碁を強くなるためにはどうすればよいのか?」について考察していきます。

囲碁を強くなるには

強くなるとは?

「囲碁をもっと強くなりたい」この想いは囲碁ファンすべての方の願いでしょう。

実力とは常に相対的なものであり、強くなるというのは「誰かに勝つ」ことに他なりません。

囲碁はこの「強くなること」において、ある意味ではかなりの融通が利いています。

例えばトーナメント形式の大会では、必ず優勝者と初戦敗退の人が決まります。

しかし互先の大会ではなくハンデ戦の大会であれば、誰にでも優勝するチャンスがあります。

なぜなら囲碁には置き石というハンデがあり、いくらでもハンデを置いて打つことができるからです。

「一段級差一子」というハンデも非常に分かりやすく、コミも使いようによっては有効なハンデになります。

一般的に「強くなる」とは昇級、昇段のことを指します。

実力が伴わないのにハンデを置いて勝ったとしても、まったく意味のないことのように感じてしまうでしょう。

とはいえ初段の方と対等の条件で戦うことができるというのは、「強くなる」という点において大いに意義のあることです。

ハンデによって「初段」あるいはもっと上の高みに登るというイメージかもしれません。

必要なハンデ

私は学生の頃から運動音痴でまったくスポーツはダメでした。

今思うと何かしら有効なハンデによって、少しでも差を縮めることができれば良かったと感じています。

一つ例に挙げると、100メートル走です。

「距離」のハンデが置き石であり、「時間」のハンデがコミのようなものです。

時間よりも距離のハンデのほうが、見た目にはわかりやすいでしょうか。

「互先」では、足の速い子とそうではない子の差が歴然としています。

どう足掻いても、足の速い子には勝つことができません。

まったく勝負にならないのでは、競争することへの意欲も湧いてきません。

つまり互先の「100メートル走」ではなく、ハンデ戦の「150~100メートル走」にすれば良いのです。

適切なハンデによって勝負することで、誰にでも勝つチャンスが生まれます。

こんな調子で考えてみると、勝負に対する視点が変わります。

今までは「誰かに勝つ」あるいは「誰かに負ける」ということで実力の優劣を測っていました。

しかしハンデ戦であれば、最終的に勝敗にこだわる意味はなくなります。

なぜなら2人の勝負なら勝率5割であり、適切なハンデなら勝率は変わらないからです。

相手のことよりも以前の自分自身を越えようと、今までとは意識する対象が変わっていくことでしょう。

とはいえ相手がいる以上、やはり「勝ちたい」気持ちは皆同じです。

仮に100メートルを「12秒で走る子」と「15秒で走る子」が普通に競争しても結果は目に見えています。

もしハンデを付けたとしても、根本的な実力差は違うに決まっています。

しかしそれでも、足の遅い子にとってゴールに向かう意欲がまるで違ってきます。

「勝てるか」「勝てないか」というギリギリの心の持ちようは勝負に多大な影響を及ぼします。

囲碁の世界では、このような「ハンデ戦」が一般的に行われています。

ハンデ戦が当たり前になるとどういった影響が出てくるのでしょうか?

ハンデを付ければ、誰にでも勝つチャンスがあります。

もし勝ち過ぎているのなら棋力を上げて、負け過ぎているのなら棋力を下げて調整します。

碁会所やネット碁で採用されている「レーティングシステム」のことですね。

この方法であれば、理論上は対局すればするほど勝率が5割に近づいていきます。

もちろん打っているときは真剣に勝つことを目指しています。

勝ちを目指しながらも勝率が5割になるということは、目先の勝ちよりも先々を見据えた上達に気持ちが移り変わります。

100メートル走などの「互先」では勝ち負けが明確過ぎるので、運動音痴の人にとって意欲的になる機会がありません。

ある競技において、強い人は弱い人と勝負してもつまらないでしょう。

ところが「ハンデ戦」であれば、いつでも対等に勝負することができるのです。

最初は誰でも勝ち負けに一生懸命になります。

それが次第に「自分自身を高めること」へ意識が向いていきます。

もし初段の人が二段に昇段しても、手合いを調整すれば結局のところ勝率5割ですからね。

「誰かに勝つ」ことよりも「自分自身を高めること」に喜びが変化していくことでしょう。

私の上達過程

ただし今度は「早く強くなりたい」と考えるようになります。

私は現在アマ六段ですが、囲碁が一番楽しかったのは3級のときです。

棋力は地方の田舎段位なので、実際には5級といったところでしょうか。

あの頃は囲碁が楽しくて仕方なかった時期ですね。

囲碁を始めてまだ1年しか経っておらず、盤上がキラキラ輝いていました。

当時は1級の方2人と5級の方1人に教わっていて、ハンデは5子までしか置かせてもらえません。

囲碁をやり始めて一か月経った頃から通い出したので、それから半年間は手加減されることもなく毎回ボコボコにされています。

それでも囲碁が楽しくて仕方なかったので、懲りずに毎週通い続けていました。

当然ながら、負け続けるのはすごく悔しくて堪りません。

しかし「負け」といえど、徐々に目数を減らしていけたのは励みになっていました。

初めは「100目以上」負けていたのがいつの間にか「50目」負けになり、さらに「25目負け」になります。

そうやって、自分自身で上手く打てたことや上達の兆しを体感できると素直に嬉しかったですね。

通い始めて半年が経った頃には、5級の方に5子局で互角に打てるようになっていました。

このときの嬉しさといったら筆舌に尽くしがたいものがあります。

やっと「尻尾」を捕まえたような気持ちです。

ようやく5子局で勝てるようになってきたわけですから。

とはいえ、半年間もまったく対局で勝てなかったわけではありません。

プレイステーション(ゲーム機)のAIや学校の初心者の友達などにも勝っています。

当時のゲーム機で動かせるAIの実力など子供だまし同然ですが、それでもやはり勝つのは嬉しいものです。

学校の友達に関しては初心者だったので、勝敗は関係ありませんね。

その他には「囲碁同好会」に所属しているたった一人の先輩と打ちました。

まだ囲碁を始めて間もない頃だったにも関わらず、思いのほか先輩が弱すぎて圧勝してしまいました。

「ごめん、オレ受験があるから」と言って先輩が辞めてしまったので、必然的に残る部員は私一人だけです。

ネット碁のこともよく知らず、AIとばかり遊んでいて、週1回の公民館の対局では毎回ボロボロにされていました。

よくそんな状況で続けていたなと思うどころか、むしろ楽しくて仕方がありませんでした。

あの熱い想いや原動力はいったいどこから湧いてくるのでしょうか?

そしてとうとう5級の方に5子局まで追いついたときには、もう嬉しくて堪りません。

それから程なくして、今度は1級の方2人に5子局で勝てるようになってきました。

こうなってくると、5級の方とは互先の手合いになります。

高校の夏の大会に出る頃には5級になっていました。

振り返ってみれば、囲碁を存分に楽しむことができて一番よい時期を過ごしていたものです。

当時のNHKで小中学生による夏の全国大会決勝戦が放映されており、五段を名乗る小学生に憧れを抱いていました。

そんな中でも学生のうちに進路を決めなくてはいけません。

とりあえずやりたいことが何もなかったので、囲碁をやろうと決心しました。

普通に考えれば、まともではないアホな発想をしていました。

「進学して就職すると囲碁をやっている時間は取れないだろうな」

「だったら囲碁の道を目指したほうがもっと早く上達できるのではないだろうか」

というわけで、卒業するときに「1級」だったにも関わらずに上京してきました。

若いうちにしかできない行動かもしれませんね。

とにかくアマチュア最高段位の「七段」になりたい!と思っていました。

※現在、免状は八段まであります。

動機はいたって単純です。

「今でもこんなに楽しいのに、これ以上強くなったらもっといろんな景色が見えて今よりさらに楽しくなるに違いない!」

「先のこと(人生)は七段になってから考えても遅くない」

なんてことを考えていました。

今でもはっきりと覚えています。

道中を楽しむ

私が囲碁を誰よりも楽しみ、そして「囲碁をどうしても強くなりたい」と心から願うことができたのは「世間知らず」だったからでしょう。

周りに囲碁を打てる人が極端に少なかったので、いろいろ余計な現実を知らずに済みました。

先ほどの100メートル走のたとえを用いて表現しましょう。

100メートルをたった「15秒」でしか走れないのに「走るの超楽しい!」と言っているようなものです。

だからこそ下手にやる気を損なうこともなく、自分のペースで順調に上達できたのでしょう。

しかも公民館でずっと打っていた方々の棋力はとっくの昔に止まっています。

つまり着実に強くなっていけば、いずれ追いつくのは目に見えています。

もし都会育ちで周りに同世代の囲碁仲間がいたのなら、状況はまったく違うものになっていたことでしょう。

それこそ同時期に始めた友達に置いて行かれたり、とても敵わないような人が身近にいたりといくらでもやる気を損なう原因になり得ます。

スポーツ音痴だった私にとって、周りに追いつけない悔しさはやる気を損なうのに十分な理由となりました。

その点、囲碁には「ハンデあり」という他の競技にはない素晴らしいアドバンテージがあります。

なおかつ囲碁は負けるにしても「何目負け」という非常にカドの立たない競技でもあります。

これが将棋であれば、王将を「取るか」「取られるか」の非常に厳しい世界になります。

囲碁は自分自身と向き合って、盤面を通して己を知ることで強くなることができます。

実のところ相手がどうこうというのは関係ありません。

もちろん「誰かに勝つ」ことで上達を実感することができます。

しかし「誰かに勝つ」ことが囲碁の本質ではありません。

ハンデを用いるのも相手に勝つことが目的ではなく、自分自身を勝負の土俵に上げることが真の目的なのです。

手合い違いの棋力差で「互先」では、勝負の土俵に乗る気はしません。

勝てる手合いだからこそ、本気で盤面に向かい合えるのです。

そして盤面の中に己の至らない点を数多く見出して、一局ごとに修正していくことで次第に強くなっていきます。

上達とは相手なくして実感することはできません。

ただ今よりもっと強くなりたいのであれば、他者との比較よりも自分自身と向き合っていくことが大切でしょう。

「強くなること」とは己自身のあり方の問題なのです。

本気で囲碁を楽しみながら自分のペースで勉強に励むのであれば、必ず今よりもっと上達することができます。

「早い」「遅い」は関係ありません。

周りとの比較など、どうでも良いのです。

私自身の体験に基づいて皆さんには「登山と同じように道中を楽しみましょう」とお伝えしています。

決して「結果がすべて」ではありません。

始まりから終わりに至るまで、そのすべてを楽しみましょう。

あなたが囲碁を始めてから、最終的にどこまで登れるのか誰にもわかりません。

焦る必要などないのです。

あなた自身のペースで歩んでいけば、いずれあなたが目指す頂上にたどり着きます。

一歩一歩少しずつ進みながら「道中を楽しむ」つもりで上達していきましょう!