「囲碁における段位・級位とはどのようなものか?」について考察していきます。

囲碁における段級位

名刺代わり

あなたは自らの段位・級位をちゃんと名乗っていますか?

実は「私は〇〇段(級)です」と自信を持って答える方は多くありません。

理由の1つとして「段位・級位は場所によって違う」と広く認知されているからです。

碁会所では初段の実力でも、ネット碁では5級程度といった現象がよく起こります。

囲碁の棋力を正確に測ることは困難を極めるでしょう。

毎回、力を出しきってよい碁を打つのは無理ですからね。

囲碁界には「3子差なら互先でも勝つチャンスがある」という共通認識があります。

六段の私なら上はアマトップクラス、下は三段の方とよい勝負になるといった具合です。

囲碁は手数が長く、少しのミスやポカ程度では実力差を覆すことはできません。

とはいえ、順当に勝ちきるのもまた言うほど簡単ではありません。

私が三段の方と対局すれば、100局中何局かは取りこぼしがあると思います。

またアマトップクラスと対局しても、100局中何局かは勝ちを拾えるはずです。

囲碁の段位・級位は「絶対」とは言い難いでしょう。

私はどこに行っても「六段」と名乗っていますが、場所によっては同じ六段でも「二子」程度の差があります。

つまり段位・級位のインフレにより、本来なら六段なのに「八段」で打たなければなりません。

これがアマトップクラス、またはプロ棋士になると「十一段」となります。

さすがにそれ以上の段位は聞いたことありませんが、インフレによる段位の高騰は深刻なものとなっています。

かつて本因坊道策が「実力十三段」と言われたように井山棋聖も「令和十三段」となるのでしょうか?

それならAlphaGoは「十五段」もしくは「十六段」となってしまいます。

インフレがひどいので、基本的には「七段以上」の段位は名乗らないのが通例です。

六段の上は「アマ強豪」その上は「県代表(クラス)」となり、そして「トップアマ」となります。

同じように級位者の棋力も掘り下げるとあり得ないくらい下がります。

「一段級差一子」のハンデは必ずしも正確ではありません。

下限を15級くらいにしておき、その下からは「初級者」さらに「初心者・入門者」としています。

棋力は正確にするよりも「アバウトな」ほうが何かと便利でしょう。

段位・級位の大まかな分け方は以下の通りです。

プロ棋士(仲邑菫~井山裕太)

→「囲碁の棋士をしています」

セミプロ(院生上位~トップアマ)

→「めちゃくちゃ勉強してます」

アマ強豪(元院生~県代表)

→「自信があります」

高段者(四段~六段)

→「まあまあ打てます」

有段者(初段~三段)

→「そこそこ打てます」

上級者(3級~1級)

→「初段間近です」

中級者(6級~4級)

→「一ケタ級です」

初級者(14級~7級)

→「まだまだです」

初心者(15級以下)

→「始めたばかりです」

入門者(30級以下)

→「興味を持ちました」

一般人(なし)

→「菫ちゃん可愛いよね」

このように「だいたい」の実力が分かれば、何の問題もありません。

もっと大きく分けるなら次のようになります。

プロ棋士(日台~中韓)

→「AIは本当にすごいよね」

セミプロ(元院生~トップアマ)

→「タイトル戦面白い」

有段者(初段~六段)

→「次の大会はいつかな?」

級位者(14級~1級)

→「初段になりたい」

初心者(15級以下)

→「難しくてよく分からない」

一般人(なし)

→「仲邑菫さんって将棋だっけ?」

さらにここから3つのカテゴリーまで絞ることができます。

プロ(元院生~棋士)

→「本気です」

アマ(30級~六段)

→「趣味です」

ファン(ニュース~お悩み天国)

→「知ってます」

段位・級位のみならず、囲碁を語る上で大切なのは「細かいことは気にしない」ということです。

何かと「正確な棋力」や「世間の基準」を気にしがちですが、そんなものに大した意味はありません。

「元院生や県代表はプロじゃないでしょ?」とか細かい話はどうでもいいでしょう。

私の目から見れば、30級も六段も大して変わりません。

細かく分けようとするから、いろいろな弊害を生むのです。

囲碁の棋力はどうなっているのか?

※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。

あなたが「どのカテゴリーに属するのか?」を把握しておくことが大切です。

もし碁会所初・二段でネット4,5級なら「名誉初段です」と名乗っておきましょう。

自信を持って初段を名乗れないようなら「○○初段」と言うのが便利でしょう。

すなわち「碁会所初段」とか「なんちゃって初段」という具合です。

段位・級位とはいわば「名刺代わり」ですから、好きなように表現して構いません。

大事なのは「気持ちよく対局できるかどうか」ではないでしょうか。

それさえできれば、最初の名刺交換など些末な問題と言えるでしょう。

権威と実力

アマチュアの段位・級位は実力を明確にするための指標となっています。

打つ場所によって差が生じるとはいえ、六段と初段では明らかに違います。

しかしプロの段位は実力差をそのまま表しているわけではありません。

当然ながら、プロ棋士は皆「互先」で打っています。

九段の棋士がプロになったばかりの新初段に負けるのも珍しくないでしょう。

プロの段位は一定の勝ち星を上げていくごとに昇段していくため、プロ歴が長い棋士の段位は自然と上昇していく仕組みです。

いくら負けても段位が下がることはなく、また引退を余儀なくされることもありません。

つまりプロの段位からして「インフレ」の温床になっています。

よくアマチュアの段級位は「ネットが厳しく」「リアルは甘い」と言われています。

その理由は明白です。

ネット碁は「降級」「降段」があるのに対して、碁会所や教室ではそれがないからに他なりません。

では、なぜネット碁では「段位・級位の上げ下げ」が行われているのにリアルでは「昇級」「昇段」しか行われないのでしょうか?

それは段位・級位を「権威」として見るか、あるいは「実力」として見るかの違いです。

私は学生の頃「英検3級」を取っていますが、今となっては簡単な文章の読み書きもできません。

かといって今さら「英検4,5級」もしくは「はく奪」とはならないでしょう。

他の分野、および競技でも同じことが言えます。

剣道、柔道の有段者でも衰えれば確実に「実力」は落ちていきます。

しかしそれに伴い、段位を落とすような真似はしません。

基本的に一度取った段位・級位は身分として保証されています。

また仮に実力が落ちてもそれは個人の問題であり、周りには一切関係ありません。

ボルダリングで3級を落としたのに今では4級もままならないとしましょう。

それなら現在の実力は5級くらいなのかな、ということで話は終わります。

ここがまさに囲碁の世界の「特殊な」ところです。

囲碁における段位・級位は「権威」であり、また「実力」でもあります。

権威とは「書道」に代表されるようないわゆる「お免状」という考え方です。

実力とは文字通り「力が足りているかどうか」といった視点でしょう。

囲碁が厄介なのは「引退がない」上に「勝負事である」ということです。

剣道ならいずれは引退して、若い人と本気で剣を交える機会はありません。

書道なら引退という概念はないとしても、誰かと勝負するというものではないでしょう。

囲碁は衰えても対局する分には支障がなく、勝負が前提となっています。

昔、初段を取っていたとしても今、級位者であるという場合も十分考えられます。

とはいえ自ら「下げて申告する」という行為を「権威主義」の方は絶対にやりません。

そもそも囲碁の衰えは最大でも「二子」程度のものですから、まだまだ打てると感じていても仕方ないでしょう。

囲碁界の高齢化が進むにつれ、権威主義による実力の低下は顕著になっています。

しかし段級位を下げないため、結局は相対的に「棋力のインフレ」が加速する事態となります。

初段(本当は2級)の方と互先で打てるようになれば、それは立派な「初段」として認められます。

そして月日は流れ、初段(本当は2級)として認められた方が衰え始めます。

すると初段を名乗っていても、せいぜい4級の実力しかありません。

その初段(本当は4級)の方と互先で打てるようになれば、晴れて「初段」を名乗れます。

仕組みとしては次のような感じです。

1,初段の免状を実力で取る

2,衰えて2子程度、実力が下がる

3,2級の実力にもかかわらず、初段を名乗り続ける

4,同じコミュニティ内の棋力が相対的に2子下がる(インフレする)

5,インフレ初段が次第に衰え、さらにコミュニティ内の棋力が下がる(インフレする)

碁会所では「初段」でもネット碁では「4級」というのは、実はこういうメカニズムだったのです。

あと日本棋院が「免状のばらまき」を行っているのも、段位・級位をインフレさせている一因でしょう。

経営難の日本棋院が免状をばらまくのは結構なことです。

プロ棋士の推薦、段級位認定問題、段級位認定試験によって「有料」の免状を欲しがる人も多いでしょう。

ただし1つだけはっきりしていることがあります。

日本棋院が売っているのは「権威」であり、決して「実力」ではありません。

免状を得たところで、あなたの実力はそのままです。

この事実を誤解しているからこそ、棋力別の大会では「棋力詐称」の問題が後を絶ちません。

確かに本来の棋力より下げて打っている人は見受けられます。

しかし相手を疑う前にまず自らの段位・級位が適切かどうかよく判断する必要があります。

普段打っているコミュニティの棋力にするのか、それともネットの棋力に合わせるのか難しい問題でしょう。

普段のインフレしている棋力では、コテンパンにされてしまうかもしれません。

かといってネットの棋力に合わせるのは、今度はあなた自身が「棋力詐称」と言われてしまう恐れがあります。

段位・級位の「権威」と「実力」は分けて考えなくてはいけません。

一番よいのは「〇段、〇級の免状を持っているけど、他所ではこれくらいだよ」と正直に言うことです。

やはり何より大切なのは「気持ちよく対局する」という心持ちに他なりません。

そこさえ気を付けていれば、多少の誤差は気にならなくなるでしょう。

曖昧な棋力にどう向き合うのか?

※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。

上手ポイント

それでも「正確な棋力を知りたい」と願うのは人の常でしょう。

棋力というのは基本的に「強い人との相対的な差」によって決められています。

ネット碁では「九段」が最高位であり、それ以上の段位はありません。

上から順に「一段級差一子」を目安として、棋力を計ればよいのです。

しかし囲碁は何かと「上手有利」のゲームとなっています。

私は五段の方に三子、三段の方に六子でも難なく勝つことができます。

私は六段なので、本来なら定先、三子局でちょうどよい手合となるはずです。

ところが実際はそんな単純な話ではありません。

100局くらい打てば、そのうち適切なハンデは棋力差に近づいていきます。

とはいえ数局、あるいは10局だけなら上手が断然有利となります。

これは普段の対局や指導碁など、すでに実証済みです。

私はこの上手有利の状況を「上手ポイント」と呼んでいます。

上手ポイントは少なくとも「二子」はあります。

上手く使えば、下手との差を「三子以上」空けることができます。

つまり六段なら初段の方に「八子」でも勝てるというわけです。

勿論、打てば打つほど下手の方に余裕が生まれてきます。

上手の動きがだんだん見えてくると、今度は少ない置き石で上手を追い詰めることができるようになります。

ただ同じ相手と何局も打つ機会というのは、同じコミュニティにしてもそう簡単ではありません。

だいたい上手の「勝ち逃げ」になる場合が多いでしょう。

「上手ポイント」がある限り、正確な棋力を計るのは困難を極めます。

ここは「指導碁」を打ってもらうのが一番よい方法です。

上手相手に「勝負」していたら、少ない対局数で実力通りの結果を出すのは難しいでしょう。

そこで上手の方には無理せず、普通に打ってもらいます。

ミスを誘発するような嵌め手ではなく、しっかり本手を打ってもらえば実力通りの結果を得られます。

そもそも嵌め手のようなリスクのある打ち方は対局を重ねるごとに無理が出てきます。

結局、下手が慣れてきたら通用しません。

「上手ポイント」とは嵌め手のような戦術を駆使した「心理戦」に他なりません。

短期決戦では、相手の心を動揺させるのが最も効果的なのです。

逆に言えば時間を使って落ち着いて打つことにより、本来の実力を存分に発揮することができます。

そういう状況を作るには一度「勝負」という意識を取っ払う必要があります。

囲碁において勝ち負けを気にせず打てるのは「指導碁」くらいのものでしょう。

一般的には「プロに九子で勝てれば、アマ初段」と言われています。

すなわち図としては

初段→九子

二段→八子

三段→七子

四段→六子

五段→五子

六段→四子

七段→三子

といった具合になります。

しかし実際の指導碁では、この図より「一子」少ない場合が普通でしょう。

六段なら「三子」が指導碁の手合としては妥当です。

仮に「四子」置くときはしっかり勝ちきる、「三子」置くときは最後まで崩れず打ちきります。

プロ棋士に限って、アマチュア相手に上手ポイントを使ってくることはありません。

自然な流れで打っていき、最後まで崩れず打ちきれたら「よくできました」といった感じでしょう。

かつて趙治勲先生は酔っぱらいながら、学生ら(五段)相手に「九子局」で勝負を挑みました。

勿論、早碁なのは言うまでもありません。

多面打ちかどうかは定かではないですが、結果は学生らの惨敗です。

落ち着いて時間を使えば、いくら治勲先生といえど手を焼くはずでしょう。

治勲先生は「上手ポイント」を存分に使って、学生らをコテンパンにしたのです。

ちなみにこれは「指導碁」ではなく、ただの「お遊び」に過ぎません。

どのみちプロ棋士がアマチュアに「本気」を出すことはありませんからね。

※ただし「セミプロ」のような近しいところは別です。

プロと打つ機会がないのであれば、インストラクターでも構いません。

ただの強いアマチュアの方では、堂々と「本手」を打ってきてくれるか少し疑わしいでしょう。

特に有段者に教わるときは注意が必要です。

なぜなら「本手」というのをいまいち理解していないことが多いからです。

本手とはリスクが少なく、再現性の高い手のことを言います。

それに比べて嵌め手とはリスクが高く、咎められると形勢を損ないます。

正確な棋力が知りたいのであれば、なるべく着手が安定している五段以上の方に教えてもらうのがよいでしょう。

それでも級位者は置き石の数が多くなってしまうので、もっと棋力の近い相手を見つけないといけません。

プロ棋士にお墨付きをもらった五段、その人に認められた初段の方に教えてもらうのがよいかもしれませんね。

結局のところ「権威」と「実力」を兼ね備えているプロ棋士を基準とするのが無難でしょう。

言い忘れていましたが、現代では誰もが認める「有力な手段」があります。

それは「AIとの対戦」です。

言わずと知れた日本屈指のAIである「Zen」を搭載した「天頂の囲碁」を買ってくれば、悩みはすぐに解決します。

それこそZenは惚れ惚れするほど見事な「本手」を打ちますから、棋力を計るにはこれ以上の手段は他にないでしょう。

ただ私はこの方法を推奨しません。

なぜなら「人と人」が打つからこそ、囲碁の世界観や妙味を感じられると信じているからです。

棋力という曖昧なものをはっきりさせる意味はどれほどあるのでしょうか?

私は「気持ちよく対局する」ことが何より大切だと考えています。

段位・級位に関しては

「適当だっていいじゃないか、人間だもの」

と捉えています。

曖昧な棋力を是正するのは、気持ちよく対局するためには必要なのかもしれません。

しかしそれをきっかけとしていざこざが絶えないのであれば、必要以上に気にすることはありません。

もう段位・級位がどうのこうのと言うのはやめにしましょう。

対局は一期一会であり、同じ盤面は二度と現れません。

一局一局を新鮮な気持ちで、楽しく向かい合いましょう。

勝っても一局、負けても一局と感じられるようになったとき、落ち着いて盤面を見ることができるようになっています。