
「囲碁を上手に教えるにはどうすればよいのか?」について考察していきます。
考え方を伝える
囲碁を教えるときにいつも大事にしていることは「考え方」を伝えることです。
「ここはこう打つところ」という伝え方では局面が変化したときに対応できません。
級位者の方は「良い」「悪い」の二元論でしか盤面を捉えようとしません。
そこで「ここはこう考えると、2通りの打ち方ができる」という具合に話を進めて行きます。
例えば「ツケには攻めと守りを考えましょう!」「攻めるときはハネ、守るときはノビるように打つと良いですね」なんて調子です。
つまり「正解は一つではない」ということを理解してもらうことに気を付けています。
どんなに囲碁の勉強をして強くなったとしても、自分の考え方を相手に押し付けるのは傲慢というものでしょう。
なぜなら囲碁において選択肢とは人の考える数だけあり、あなたの考え方はその中のたった一つでしかないからです。
そのあなた自身の考え方を最大限活かせるように、詰碁や手筋を勉強する必要があります。
これは教えるときもまったく同じことです。
初心者にも「棋風」というものが盤上に表れています。
何十人の初心者を見てきましたが、一人として「棋風」のない人はいませんでした。
囲碁における「棋風」とはすなわち個性のことです。
「石を囲んで取る」というルールを教えると「石を取りに行く人」「石を取られないように打つ人」の2通りに分かれます。
そして「陣地を囲う」という勝敗の条件を加えると、もう人それぞれ考えることは一様ではありません。
似たような傾向を見ることはあってもまったく同じことを考えて打っている人などいないのです。
だからこそ相手の考え方を尊重した上で、それに基づいて「この局面ではこう考えるとこういう打ち方ができる」というヒントを示すことが教え方のコツになります。
上手くヒントを掴めた人は違う局面であっても自分なりに考えて着手を選択することができます。
上手くヒントを掴めない人にはいろいろな局面を提示して、その人の頭の中と盤面をリンクさせるような考え方や着手を次々と示していきます。
囲碁のゲーム性とその人自身のイメージをつなげることこそ、教えるときの最大の極意なのです。
連絡と分断こそ肝心要
囲碁を教えるときに話すことが多いのは「石の連絡と切断(分断)」についてです。
囲碁において有限の部分とは「石取り」であり、無限の部分とは「地の作り方」です。
つまり手筋(アタリ)~死活に至るまでのパターンはほとんど決まっています。
まさにそこが囲碁のゲーム性の根幹となっており、それを基にして「どうやって地を作るのか」を考えていくのです。
※ダメヅマリに関しては、石取り(手筋・死活)においても無限です。
石取りさえしっかりできていれば、どんな打ち方をしても形(地)になります。
石取りと密接に関係しているのは「石の連絡と切断(分断)」であることは言うまでもないでしょう。
石の連絡はまだしも、石の切断と分断は級位者にとって難題であることは間違いありません。
よく「石が切れると怖い」という方がいますが、必要以上に怖がることはないと言えます。
囲碁は相対的なゲームですから、相手の石を切って弱くすれば自然と自分の石が強くなります。
相手からの切りを最大限に警戒しながら、たとえ切られても恐れずに戦います。
実は切断した石も切れていて弱いので、周りの状況次第では互角に競り合うことができます。
石の切り合いを恐れているようでは、相手にプレッシャーを与えることはできません。
それでは相手のほうは何も怖がることなく、どんどんこちらの石を切ってきます。
相手の都合のよい場所で切り合う形になれば、当然こちらの石が相対的に不利になります。
切る際の注意点は一つだけです。
切った瞬間「切られている形」で後手になりますから、なるべく周りの状況を有利にしてから戦うべきでしょう。
また周りが一方的に不利な状況であるなら、初めから半分捨てるつもりで切っていくのも戦いにおける作戦(捌き)の一つになります。
「攻める」あるいは「捌く」ときにも言えることは、切ることで相手の形を崩しながら相対的に有利な状況に導くことです。
攻めるときにこちらの有利な状況に導くというのは言わずもがなでしょう。
捌くときでも相手にいろいろ心配してもらったほうが、こちらとしては打ちやすいに決まっています。
このようなことを教えるときにいつも言っていますが、やはり一朝一夕で理解を得るのは至難の技ですね。
だから「とりあえず切りましょう!」くらいの感じで伝えています。
伝えるための共通言語
囲碁では読みの話になってしまうと、どうしても伝えるのが難しくなってしまいます。
囲碁には自由に創造できる無限の分野とある程度答えの決まっている有限の分野に分かれています。
布石や大場感覚は個人の好みや感性が大きく作用する分野です。
石がぶつかり合って「アタリ」の発生するところでは、どうすればアタリになるのかある程度答えが決まっています。
※シチョウなどの手筋もすべて「アタリ」であり、死活も死に(一眼)はすべて「アタリ」です。
大局的な視点によって局面を優位に導くことは勝利するためには欠かせません。
しかし部分的な石の折衝が疎かになってしまっては、せっかく築いた大局的な優位も足元から崩壊してしまいます。
まず大前提として、大事なアタリを見逃すような見損じをしていては勝負にならないでしょう。
そうするとどうしても囲碁を教えるときに、ある程度答えの決まっている「有限」の分野に重点を置きがちになります。
理解しやすい簡単な話ならまだしも、上級者の読みによる込み入った話になると初級者の人はついていけません。
読みの部分が理解できないことには「ここはこう打てば良いのか」という暗記に近い安易な考えに流されてしまいます。
あまり熱心に細かい分岐を説明したりするのは、逆に考える幅を狭めてしまうので気を付けたほうがよいでしょう。
ちなみに教えるときは実際に一局打ち終えてから検討するのが、相手の考え方を汲み取る上では最も効果的な手法と言えます。
このとき「どのように考えて打っていましたか?」という質問は相手を困らせてしまいます。
これは「どのように考えて自転車を漕いでいましたか?」という質問と何ら変わりありません。
自転車競技をしている人ならテクニック的なことを意識して漕いでいるかもしれません。
しかしママチャリを漕いでいる人は「何となく」ペダルを踏んでいるだけなのです。
このような理屈ではなく「感覚」的なことを言語化するのは大変難しいことです。
もしも「歩き方」を感覚ではなく言語化して伝える手段を見つけたとしましょう。
はたしてそれを幼児に対して上手く伝えることができるでしょうか?
「感覚」をより理解しやすいように言語化するのは、科学的な取り組みであり大賛成です。
とはいえ、一度理論的に確立させたことを再び「感覚」に置き換えて相手に伝える必要があります。
子どもたちに行う科学の実験のようなものです。
子どもたちには決して難しい理屈を説明することはありません。
しかしどうやったら不思議なことが起こるのかという「仕組み」を簡単に伝えます。
囲碁を教えるときもまったく同じことです。
あなたの実戦感覚や理論を相手に100パーセント伝えることはできません。
はっきり言って、教え方が悪いと1パーセントも伝えることができないでしょう。
一番スマートな教え方とは悩みを解決してあげることです。
ある局面において「ここで困りました」という感想に「どのように困りましたか?」と質問するのがとても良い応え方になります。
相手の悩みに答えてあげるというのは、まだ相手が気づいていないこと(余計なこと)を教えずに済みます。
一歩一歩相手のペースに合わせて教えていくには、悩みをその都度解決していくのがベストなのです。
「どのように考えて打っていましたか?」と「どのように困りましたか?」では質問の本質がまるで違います。
「ここではどのように考えて~」というのは、教える側が教えたいポイントで尋ねています。
「ここではどのように困り~」というのは、教わる側が教わりたいポイントで尋ねています。
仮にアタリを見損じして大損したとしましょう。
それに気づかずにいるなら、あえて教えないほうがよいでしょう。
もし気づかずに「どうしてここから悪くなったのでしょうか?」と聞かれたら、初めて答えればよいのです。
大切なのは相手の成長に合わせて適切な言葉を選んでいくことです。
どこが悪かったのかまったくわからないほどの初心者には「考え方」のヒントを示してあげましょう。
一例として
「相手の石を取ると自分の石がつながりますね」
「最後は石と石がつながって地になります」
「石を取れるときは取り、また取られないようにしましょう!」
このように簡単なヒント(考える目安)を示します。
これなら終局後の検討において「石取り」が一つのテーマとなり、石取りによって石同士が連絡して最終的に地になったか否かを検証することができます。
結局のところ、教え方の極意とは「共通の言語を持つ」ことに尽きます。
囲碁そのものが共通の言語ですし、その中でも共通のテーマを見つけることでより話がしやすくなります。
「アタリ」という共通言語を持っているとしましょう。
「シチョウとは何ですか?」「斜めに追いかけていくアタリです」
「ゲタとは何ですか?」「逃げようとしてもアタリで取れている形です」
「ウッテガエシとは何ですか?」
「一子をアタリにして取られに行くと数子をアタリで取り返せるお得な手筋です」
「生き死にとは何ですか?」
「絶対にアタリにできない形を生き形、最終的にアタリにできる形を死に形と言います」
等々、「アタリ」を用いて知らない言語について話し合うことができます。
シチョウ・ゲタ・ウッテガエシなどの手筋や死活について共通認識できれば、さらに話し合える幅が広がります。
これこそ人と人が分かり合うために必要不可欠な擦り合わせなのです。
まず共通の言語(テーマ)を持ちましょう。
次に相手の考え方を汲み取ります。
そして自分の考え方を伝えます。
話す手順はどちらからでも構いません。ただし先に質問したほうが汲み取りやすいでしょう。
教える側が伝えるときに独り言にならないように「話し合う」という気持ちを忘れてはいけません。
知識を共有するのに必要なのはお互いに理解し合うことですから、そのための努力を惜しまないようにしたいものですね。