
「マネ碁に秘められた囲碁の真理」について考察していきます。
見合いの発想
マネ碁とは「相手の打つ手の真似をする」という至ってシンプルなものです。
黒番で初手天元に打つマネ碁を「太閤碁」と呼びます。
「太閤碁」は豊臣秀吉が僧の日海(初代本因坊算砂)相手に打ったとされており、白の着手をそっくりそのまま真似てしまう打ち方です。
白が右上隅なら黒は左下隅、白が上辺なら黒は下辺といった具合です。
これで黒番の秀吉が1目勝ちしたというのですから、囲碁とは面白いものです。
ただし囲碁にはダメヅマリやシチョウといった形があるため、実際には上手くいきません。
中央の接点で先に相手の石を取ってしまえば、真似することができなくなります。
のちの初代名人となる日海がダメヅマリやシチョウを見落とすはずがありません。
また秀吉の棋力は現代の五段に相当すると言われていることから察するに「太閤碁」は作り話の逸話である可能性が高いでしょう。
太閤碁の他に「白番のマネ碁」というのもあります。
これは白番で黒の初手からずっと真似していくというものです。
藤沢秀行の甥である藤沢朋斎が得意としており、相手(黒番)の着手が著しくなかった場合に通常の打ち方に変化します。
やはり中央の天元付近でのダメヅマリやシチョウがカギとなっており、杉内雅男九段の「シチョウ作戦」によって破られています。
「太閤碁」にせよ「白番のマネ碁」にせよ、純粋なマネ碁は現代では通用しません。
黒番のマネ碁は「コミ」がネックになり、白番のマネ碁も「天元」がネックになります。
ただ途中までなら稀にプロ棋士が打つこともあり、囲碁における一定の真理はあるでしょう。
一定の真理とはすなわち「見合い」の考え方です。
マネ碁を試みることは見合いの考え方を学ぶ上でうってつけの勉強方法になります。
例えば、最初の4手は誰しも「四隅」を占めるように打つでしょう。
しかしカカリ以降は「先手」「後手」を意識して打っている方が非常に少ないのです。
互先ならまだしも「置き碁」になると、その傾向がより顕著に表れます。
本来、マネ碁のような着想で打っていれば置き碁で負けることはあり得ません。
2子局なら置き石のない対角において白の着手を真似ればよいのです。
囲碁には「ひと段落」という考え方があり、「ワカレ」とセットで考えます。
始めの4手なら一隅ごとに「1手」でひと段落になります。
カカリ以降は受けやハサミによって変化が一様ではありませんが、少なくとも「ひと段落」した時点でいったん手を止めて部分的な「ワカレ」を評価しなくてはいけません。
仮に5手目で黒が左上隅の星(白石)にカカッたとしましょう。
白が受けるにしても挟むにしても、ひと段落したとき白が「先手」でなくてはいけません。
そして先手を得た白が右下隅の小目(黒石)にカカリを打ちます。
5手目で左上隅にカカッた黒に対して、ひと段落後に右下隅にカカッていくのが至極真っ当な手順になります。
しかしながら、つまらない守りによってついつい「一手パス」してしまう方が少なくありません。
もし「マネ碁」であれば機械的に「手抜き」できるため、不用意な一手パスをなくすことも不可能ではないでしょう。
石数による厚みの判断
囲碁の着手はすべて「見合い」と言っても過言ではありません。
名人と同等の着手を打っていけば、いくら名人であっても良い勝負にならざるを得ないでしょう。
現実的には「太閤碁」のような完璧なマネ碁は通用しないので、なるべく「同等」と言えるような着手を追求していきます。
ただし囲碁には「見合い」の他に「厚み」の考え方があって、選択肢を複雑にしています。
例えば、黒番で三連星に打ったとしましょう。
二連星の白は6手目で右上隅の星(黒石)にカカリました。
黒の低い一間バサミに白は三々入りします。
黒が広いほう(右辺)から押さえる定石はひと段落すると白が先手になります。
そして先手を得た白は次に右下隅の星(黒石)にカカッていきます。
右上隅と同じように変化すると、またしても白が先手になってしまいます。
先手を得た白は左辺を「三連星」に構えて、ようやく6手目から続いた白番が途絶えました。
あなたは一連の流れ(ワカレ)をどう見ますか?
実のところ石数としては白が6手目に左辺を「三連星」にした図と変わりありません。
右上隅と右下隅はいずれにしても黒石が「1子多い」状態なのです。
つまり黒の勢力が維持されており、白のカカリから一連のワカレは「実利(内)」と「厚み(外)」の交換に過ぎません。
部分的に「後手」になる場合、「勢力(石数)」を維持して厚みを保つという考え方になります。
要するに囲碁の考え方は次の2パターンに分けられます。
・先手、見合いを重視する(大局観、地合いを優先する)
・攻め、厚みを重視する(連絡と切断、戦いを優先する)
先手、見合いを重視するのが「マネ碁」の考え方であり、部分的なワカレにはあまりこだわりません。
一方で攻め、厚みを重視するのは囲碁の根本的なところであり、部分的に崩れてしまっては大局的に打っても意味がありません。
ちょうどマネ碁破りに有効な「ダメヅマリ」や「シチョウ」などは部分的なテクニックと言えるでしょう。
大局観を養うためにマネ碁を勉強すると、今度はとかく接近戦がいい加減になりがちです。
部分的な厚みを意識しながら、大局的な石運びを考える必要があります。
そのためには「石数」が非常に重要な要素になってきます。
囲碁は「交互に打つ」という絶対のルールがあるため、石数は常に一定であり変わりません。
打ち方(形)によって優劣が付くにせよ、互先のような同レベルの手合いではそれほど差は生まれないでしょう。
よって石数を把握することで、どこに力(勢力)が傾いているのか客観的に判断することができます。
場所によって石数が2個以上多い場合は「凝り形」であり、厚みが重複している可能性があります。
同じように石数が2個以上少ない場合は「捨て石」を活用して、半分だけ捌いてしまうという手段も考えられます。
「見合い」の視点で大局を見据えながら「石数」によって厚みの有無を判断してみましょう。
四隅・四辺、および中央にグループ分けして、それぞれの石数を確認することで次の一手を決めるヒントを得ることができます。
部分を学び、大局を知る
ただ石が混み合うほどグループ分けが難しくなり、かつ石数の確認も困難を極めます。
ひと段落の判断もしづらくなるので、結局は「死活力」のような読みに頼らざるを得ません。
特に置き碁の場合には下手の判断を狂わそうとして「乱戦」を引き起こすのが上手の常とう手段となっています。
本来なら必要のない守りを一手打たせるだけでも置き石が1つ減るわけですから、部分的な決着の判断は重要になります。
逆に言えば、部分的なワカレを判断できるなら「見合い」の考え方だけで打つことができます。
プロ棋士こそ、その最たるものでしょう。
彼らは「部分的な読み」にそう時間を費やしたりしません。
ひと段落の図を想定することなど朝飯前ですから、想定図の「比較」に多くの時間を割いているのです。
いわゆる「形勢判断」のことですね。
マネ碁であれば真似できている限り形勢は互角ですから、何も考える必要はありません。
しかし実際には、マネ碁のようなワカレになっても微妙に形が違うものです。
その微々たる差を感じ取ることができるかどうかによって、その後の形勢も決まります。
アマチュアはプロ棋士と比べて圧倒的に「死活力(読み)」と「形勢判断(目算)」が劣っています。
だからこそひと段落のタイミングがわからなかったり、現状把握がまったくできていなかったりするのです。
ひと段落するタイミングや妥当なワカレがわかるだけで、囲碁の世界がものすごく明瞭に見えてきます。
「そんなことがわかれば苦労しないよ」という声が聞こえてきそうですね。
しかしそもそも「妥当なワカレ」を得るために死活を勉強しているという自覚はありますか?
「相手をやっつけてやろう」とか「やられないようにしよう」といった直接的な効果を得るために死活の訓練をしている方が大半でしょう。
部分的に死のうが生きようが「妥当」であれば、どちらでもよいのです。
妥当かどうかは「石数」による厚みの有無や「形」によって判断します。
石数が少なく薄い形であるなら死んでも仕方ありません。
その代りに他を打っている計算になりますから、大局的につじつまが合うなら良いでしょう。
「愚形」であったり「凝り形」であるなら、死んでしまったほうが得策です。
無理に生きても余計に石数を費やすだけなので、取り返せるなら新天地を目指したほうが良いでしょう。
このように「大局的な判断」をより正確にするために「死活」など部分的な訓練を積むわけです。
基本的には囲碁は「中庸」や「中道」のような全体のバランスを重んじます。
かつて「昭和最強の棋士」である呉清源(ごせいげん)もライバルの木谷実(きたにみのる)相手に「太閤碁」を実践したことがあります。
その結果、呉清源が途中で変化して木谷実(白)の3目勝ちとなっています。
それから年月を経て、呉清源は晩年に「21世紀の碁」(六合の碁)を発表しています。
囲碁は調和を目指すものとして陰陽の思想を取り入れ、「碁盤全体を見て打つ」ことを目指しました。
「何を当たり前のことを言ってるんだ」と感じるかもしれません。
しかし全盛期の日本囲碁界をけん引してきた第一人者が「碁盤全体を見て打つ」という境地に達したのは、凡人には計り知れない真理があるのだろうと推察されます。
誰しも些細なことに囚われて大局を見失うことはあります。
されど「大事の前の小事」といったように、大事を行う前には小事にも気を配る必要があります。
囲碁の考え方は千差万別であり、人それぞれによって違います。
1つの考え方として「マネ碁」に秘められた「バランスの精神」を今一度見直してみましょう。
きっとあなた自身の打ち方、考え方に好影響を及ぼすことを期待しています。