
「第4回夢百合杯世界囲碁オープン戦64強戦仲邑菫初段vs李軒豪七段」の棋譜解説をしていきます。
教育のあり方
今年5月に行われた夢百合杯世界囲碁オープン戦の本戦となります。
前回の日本勢の結果は悲惨なものであり、誰一人として予選を通過することはできませんでした。
※詳しくはこちらをご覧ください。
今回の仲邑初段は「ワイルドカード(推薦枠)」での本戦出場となっています。
日本と中韓の棋士との間には明確な差が付いており、一部のトップ棋士を除いて「歯が立たない」と言われても仕方ありません。
本戦1回戦を通過したのも3名のシード枠のうち一力遼八段だけですからね。
客観的に見て日本勢がまったく通用していないのは明らかでしょう。
今の時代「場所における情報格差」というのはほとんどありません。
インターネットが世界中に普及しており、発展途上国の貧しい村の住人でさえスマホやiPadを手にしている世の中です。
確かにリアルで対面して打つのは、ネット碁とは趣が異なるかもしれません。
とはいえ今どき「石を触ったことありません」という方がアマ初段だったりします。
ネットを通じて、日本に居ながら世界の強豪たちといくらでも競い合えるわけです。
しかも優秀なAIとも存分に打てる環境が整っていますから、もはや学習環境に国や地方の格差はないも同然でしょう。
しかしどういうわけか、中韓の棋士との差は開いて行くばかりです。
これについては「子どもの頃の学習環境」が影響しているのではないかと考えています。
要するに「囲碁漬けになれるかどうか」といったことです。
今の日本の社会環境において「1つの分野に特化する」選択をするのは高校を出てからになります。
小中の義務教育は勿論のこと、高校まで普通教育を受けるのが良しとされています。
なぜその道筋が良いのかといえば、結局のところ「みんなそうしてきたから」に他なりません。
「高校くらい出ておかないと働き口がないよ」
「最低限の知識と社会性を身につけておいた方がいい」
など教育についての必要性、正当性を語るのは難しくありません。
私の見解としては「全体として見ればそうかもしれないが、個人ではもっと柔軟に考えるべきだろう」と思います。
何より子どもの権利をもう少し真剣に考えるべきでしょう。
権利というより「意思」と言ったほうが適切ですね。
親や社会が「格差のない教育環境」を子どもたちに与えるのは当たり前です。
その上で子どもの意思を尊重するというのは、何よりも大切なことでしょう。
囲碁漬けの生活を送っていたら「親にやらされている」とか「囲碁マシーンにしようとしている」といった声も少なからずあります。
言わんとしていることは分かりますが、それではあまりにも努力している本人の意志を蔑ろにしています。
まるで子どもには意思決定する能力がないと決めつけているようにも聞こえます。
こと仲邑菫初段に関しては「本人の努力」は誰もが認めるところでしょう。
それをあたかも「やらされている」というのは非現実的かつ不自然極まりません。
むしろ若干10歳にしてこれだけの実力をつけた彼女の意志を称え、リスペクトして然るべきではないでしょうか。
結局「みんなそうしているから」という社会の風潮が個人の選択肢を知らぬ間に狭めているのです。
これから各分野で「天才」と呼ばれる子どもたちが出てくることは想像に難くありません。
なぜならインターネット環境が整った社会において「情報格差」がなくなっているからです。
「出る杭を打つ」なんてバカなことをせず、才能を伸ばす手助けをしたいものですね。
布石解説
黒番李軒豪(リ・ケンゴウ)七段、白番仲邑菫初段のコミ7目半、日本ルールで行われています。
李軒豪七段の現時点における世界ランキングは33位であり、同759位の仲邑初段にはとても勝てる相手ではありません。
プロ同士の対局において逆立ちしても勝てない相手と対戦するのは、私は反対します。
ワイルドカード(推薦枠)で出場しても、何もできずに返り討ちに遭うのは目に見えているでしょう。
こればかりは得るものが少ない対戦だと言わざるを得ません。
普通に海を渡って、見学しに行くのではダメなのでしょうか?
黒1,3,5の星+一間ジマリは「平成の王道」と呼ぶべき布陣です。
対して、白2,4の二連星は黒模様を足早に制限しようとする意図がうかがえます。
白6のカカリは良いとして、白8,10の「ツケ二段」は今どきの打ち方なのでしょうか?
いわゆる「手割り」を使って石の形を評価してみると、はっきり言って白がいまいちでしょう。
実際には白6、黒7、白スベリ、黒三々受け、白二線の這い込みとなっていますからね。
それにプラスして白アテコミ、黒ノビとなり、さらに黒の出、白のオサエと換わったのが実戦と同じ形になります。
いくら隅とはいえ、三々より低い位置の二線を序盤早々這う気には到底なれないでしょう。
しかし冷静に考えて、これが現代の「研究」なのでしょうね、よく分かりませんが。
黒15の三々入りはお馴染み「AIの好手」です。
黒17の這い一本で黒19とトブのは「今風」のトレンドでしょう。
白18のノビは「先手が欲しい」と言っているので、黒はわざと出切りの余地を残して誘っています。
白がすぐに出切りを決行するのは、部分的によくなっても後手を引いてしまいます。
布石ではいかに「先手を取るか」がカギですから、むやみに部分を頑張るのは得策ではありません。
囲碁の技術革新のスピードは盤上の展開の早さにも大きな影響を与えています。
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白20の押しから白22,24はソツのない打ち回しです。
黒が白一子を取るのは白20、黒21がとんでもない利かしになっています。
白20を打たずに白22,24と出切った図と比較すればよく分かります。
ここら辺の石の形の機微が分かれば、アマ三段の実力は認められるでしょう。
白26のツケは有段者ならぜひとも打ちたい手筋です。
次に白27,28を見合いにしています。
黒29は白からの利き筋をなくした手厚い一手です。
ただし手抜きも十分考えられました。
白の形は断点残りですから、アタリを利かすならもう一手守りが必要となります。
白30は普通かもしれませんが、黒31のワリウチがピッタリなので打ちづらい意味もあります。
白32のツメではいくら何でも勝てないでしょう。
左下の壁はある程度、攻められることを覚悟しておかなくてはいけません。
黒31、白32は相当な利かしとなっています。
黒33,35と構えて模様の広げ合いは黒に軍配の上がる格好となります。
白36のマゲは好点に違いないのですが、如何せん左辺の黒一子が邪魔で仕方ありません。
黒37のアテも手厚い好点です。
白一子に対して切りではなく、下アテから打っているのは「なるべく利き筋を作らない」ために他なりません。
白38,40はさすがに悠長と言わざるを得ませんね。
黒39,41の大風呂敷は武宮九段でなくとも喜びそうな碁形でしょう。
黒が悠々と打っているのに対して、白は緊張が打つ手から伝わってきます。
黒の大模様に突入してのシノギ勝負は白にとって苦難の道のりとなりそうです。
中盤解説
白42は深入りですが、浅く消すのは黒地を大きく囲われて話になりません。
しかし黒43と被せられてしまい、白は全然ダメそうです。
たとえ白が命からがら生き延びたとしても、右下隅一帯をそのままそっくり囲われては大きすぎます。
白44~52まで捌きの体を成しておらず、打っただけ損をした格好です。
黒53の切りには一応「生き残り」とみなして、白54と右下隅に手をつけに行きます。
黒55には白56,58のツケ切りから白60,62と打ち、何とか左右の白石を連携させて形を作ります。
白64~74まで利き筋を最大限活かしながら、何とか捌き形を得ようとしています。
とはいえ黒75の抱えまで、白は身動きが取りづらくどうにもならない状況です。
白76の出から何とか活路を見い出そうとしますが、白がもがけばもがくほど中央の黒石が厚くなります。
白78~88まで、白の大石には眼がなく生きることはできません。
ところが黒は白石を取りに行かずに黒89と左辺にモタレてきました。
これは下手に白石を取りに行くと周りの黒石が薄くなるため、間接的に「モタレ攻めしよう」という意図です。
白90~96まで、弱石を抱えている白は大人しく黒の言うことを聞くしかありません。
白98は無謀ながら、白石の捌きに賭けた勝負手になります。
右下の大石はまだ生きておらず、白から打てば生きだけは確保できます。
しかしそれでは中央~上辺に黒が先行してしまい、分かりやすく負けてしまうでしょう。
形勢はすでに大差となっており、白が勝つ見込みはほとんどありません。
終盤解説
黒99のノゾキから白の眼形を奪っていよいよ大石を仕留めに来ました。
白100~108まで一本道の進行です。
白110に黒が外側を補強すれば、白からコウに粘る手段が生じます。
黒111と切ったのは読み切りでしょう。
白112~118まで、何とか黒石の不備を突こうと必死ですが何事も起こりません。
白120~140まで、結局は右下一帯の黒石を捨てて、左辺~左上一帯の白模様に望みを託しています。
しかしアマチュアならいざ知らず、世界のトップ棋士にまやかしは通用しません。
黒141~149まで、最後はキッチリ白石の不備を突いて決着をつけています。
最終的に白石は壊滅状態となっており、実力差を見せつけられた格好です。
この碁は149手まで、黒番李軒豪七段の中押し勝ちとなりました。
総評
仲邑初段にとって2度目の国際棋戦でしたが、まったく良いところなく終わってしまいました。
それもそのはずです。
相手は井山棋聖よりもランキングが上の世界に名だたるトップ棋士ですから、さすがに勝負にならないでしょう。
あまりにも実力差がかけ離れているのは、かえって勉強になりません。
「ちょうどよい上手」「ちょうどよい下手」「ちょうどよいライバル」がいて初めて切磋琢磨できるのです。
この間の予選は国際棋戦の雰囲気を肌で感じるという名目が成り立ちますが、今回の本戦は少々場違いな体験になってしまいました。
ワイルドカードによる参加は中国棋院による「忖度」ですから、日本側としては相手の好意を素直に受け取るべきでしょう。
とはいえ中韓の背を追う立場の日本がこのまま手をこまねいているのも見るに堪えません。
20歳を超えた棋士たちがこれから劇的に強くなるのは、ちょっとやそっとじゃとても無理です。
メンタルのコントロールやAIの研究によって多少強くなるかもしれませんが、中韓の棋士たちも日々研鑽を積んでいます。
世界で活躍する棋士の年齢が下がっている以上、第一線で活躍できる年齢も下がってくると見るのが道理でしょう。
日本碁界にも若い、新しい風が吹かないことには未来がありません。
そのためには若い世代がついやりたくなるような仕掛けを考える必要があります。
今どき無理やり好きでもないことをやらせようとしても、絶対に上手くいきません。
どれだけ子どもたちの興味を引けるかどうか、そこが囲碁人口を増やす大きなカギとなります。
子どもたちは魅力的な大人のマネをしたがります。
囲碁が流行らないのは、囲碁をやっている大人たちが魅力的ではないからです。
碁会所に籠って囲碁を打っているだけでは、得体の知れない怪しいサークル活動と何ら変わりないでしょう。
今はスマホがありますから、いつでも子どもや孫と画面をタップしながら囲碁を打つことができます。
碁石を誤って飲み込んでしまう心配もありませんし、石をちゃんと交点に置く必要もありません。
何なら目を離していてもAIと勝手に対戦して遊ばせておいてもよいでしょう。
囲碁を世間や子どもたちに広めるのはそう難しいことではないのです。
オセロ並みにライトなゲームとして、遊びの一端を担うだけで十分でしょう。
そのうち本気で囲碁に取り組む子が増えていき、各地方に「神童」と呼ばれる子が現われます。
そしてその中から仲邑菫初段のような「天才」が次々と出現すれば、囲碁界全体も大いに活気づいていきます。
中韓の棋士と肩を並べるのは一朝一夕では叶いません。
今から少しずつ、未来へ向けた努力を積み重ねていくしかないのです。