「仲邑菫さん試験碁」の棋譜解説をしていきます。

仲邑菫さんの棋譜を解説します!【四局目】

布石解説

黒仲邑菫さん、白張栩名人の定先逆コミ6目の手合いです。

最初は逆コミ5目半ということで対局が始まりました。

しかし結果が白の「半目勝ち」だったため、「持碁にしましょう」ということになったようです。

張栩名人は「緩めるつもりはなかった」とのことですが、やはり本気というわけでもないでしょう。

ここら辺の機微は指導碁をしている者にはよく分かるところです。

仲邑菫さんが特別な才能を持った「天才」なのは間違いありませんが、まだ推薦入段の域を出ません。

もちろんこの年で「完成度」を求める必要はないので、「伸びしろ」を評価するのは当然のことでしょう。

AIが登場したときもそうでしたが、ものの数か月で化けることも十分に考えられます。

黒1,3,5はオーソドックスな星+小目のシマリ、それに対して白は二連星に構えています。

白6のカカリ一本を利かして、白8とシマリを打つのは「やわらかい」打ち方です。

黒がどういう構想を描いてくるのか、とりあえず様子を見てみようとしています。

黒9のカカリに白10のカタツキも様子見です。

黒11では、先に黒25へ両ガカリしているほうが勝りました。

白12,14を利かして、白16の打ち込みが上手い切り返しです。

下辺に白石が来る前に左下隅を連打しておけば、憂いがなかったでしょう。

黒17の上ツケは白の注文です。

白18~24まで、黒は応手に困っています。

というのもアタリにツグのは「重い」形になり、シチョウに抱えられて下辺の白が好形になります。

それから両ガカリしても左下隅の白はいかようにも捌けます。

かといって黒25と両ガカリするのは、白26の抜きが厳しいでしょう。

下辺の黒石の形は部分的に崩壊しています。

下辺の攻防を「手割り」で考えてみましょう。

白16~24までの5手と黒11+黒17~23の5手をなくして、黒25と両ガカリした図を想定してみてください。

さらに白26、黒27を交換した形にします。

つまり黒11のとき黒25の両ガカリ、白12,14を利かしてから白26と詰め、黒27の三々に入った図です。

実戦よりも明らかに黒の形がスマートですっきりしています。

また黒11と打つなら黒17では一間トビするのがよいでしょう。

F-5(6-十五)と一間トビして、次にD-6(4-十四)とH-5(8-十五)が見合いとなります。

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白28,30の利かしには無駄がありません。

白32でD-8(4-十二)と詰めるのは、D-7(4-十三)のぶつかりが好手になります。

次にF-5(6-十五)とC-8(3-十二)が見合いとなっています。

ゆえに白32~36まで利かしてから、白38と詰めて黒石を攻めます。

黒39のマゲに白40のトビで左上一帯の白模様が雄大になってきました。

黒41のノゾキを利かし、黒43と白模様にモタレながら左下隅の白数子を狙っています。

白44,46、黒45,47とお互いに連打して、フリカワリになっています。

このフリカワリはコウを解消している白が有利なワカレでしょう。

黒はどこかでコウを争いたいのはやまやまですが、コウ材とそのタイミングがありませんでした。

白48と受けるのはいわゆる「観音ビラキ」であり、左上隅に黒からコウの手段が残ります。

とはいえ左辺の黒石はまだ完全に安定したわけではありませんから、白は左上隅の実利より左辺の攻防を重視した打ち方をしています。

黒49は左辺の黒石を意識したハサミでしょう。

黒49では先にコスミツケて、白一子を重くしてから攻めたいところです。

しかし黒のコスミツケに白はノビ、それから黒49のハサミはこの場合シチョウ白有利となります。

具体的には白Q-15(16-五)、黒R-15(17-五)、白R-17(17-三)、黒Q-17(16-三)、白R-16(17-四)、黒P-15(15-五)となったときのシチョウです。

このシチョウが黒不利なら、黒はコスミツケを打たずに単に挟むほうがよいでしょう。

ここまで逆コミ6目のハンデはまだ残しているものの、徐々に不利な態勢へと導かれています。

中盤解説

白50のツケはお手並み拝見といったところでしょう。

黒51~75まで、黒は一切妥協せず最善・最強を尽くしています。

このワカレは白がよいとはとても思えません。

白の自慢は先手で生きたこと、そして上辺黒一子への攻めを残したことです。

そもそも白50のツケは「指導碁」や「置き碁」の手法になります。

プロの公式戦でも当然打たれていますが、どちらかといえば「場合の手」と言えます。

真っ当に打つなら、白50では白52のツケから「ツケ二段(ハネ)」を打つのが常用の捌き筋となります。

黒の応手によっては「白後手」になりますが、実戦のように眼2つで生きるよりはマシでしょう。

ちなみに白64のハネに黒65のマガリから黒67,69の出切りを打つのは「押す手なし」の手筋です。

黒71とダメを詰めて、白は隅の黒四子をすぐに「押す(アタリにする)」ことができません。

白62と打たれたときに気づいた方は「高段者」を名乗ってもよいでしょう。

問題として出されたら、三・四段の方なら解けるかもしれません。

級位者の方は早々に諦めてしまう形ですが、こういうのは「知っているかどうか」の問題です。

白76は白48と受けたときからの狙いであり、右上隅で損をしてでも向かいたかった場所でもあります。

黒B-5(2-十五)のワタリを防ぎ、次に白77のツギと白78,80の筋を見合いにしています。

黒は仕方ないので、黒77と抱えて白78~84まで甘んじて受けました。

ここからどう打つか次第で、仲邑菫さんの「実力」と「将来性」がわかります。

黒85は右辺の黒模様を目いっぱい広げながら下辺の白模様を消す「模様の天王山」と言える場所です。

ここに打てるなら「将来性」は十分あると見てよいでしょう。

しかし「好手」とは言い難い側面があります。

なぜなら下辺の白は強固な厚みであり、ほとんど「地模様」になっているからです。

黒85と打てば、当然白86から荒らしに来るのが目に見えています。

黒85ではQ-8(16-十二)に打っておくのが穏やかな好手になります。

もし中央の厚みを意識しながら黒86に打てたら、「実力」「将来性」ともに抜群だったでしょう。

白86はいわゆる「耳の急所」と呼ばれる1つの形です。

次に白から「鼻ツケ(※)」が急所となります。

※O-6(14-十四)またはQ-6(16-十四)

黒87は白88と換わって、地合いで損をしています。

しかしその分、黒89とハザマを空けてボウシまで打ち進めることができます。

白90のトビサガリが冷静であり、右辺の白石が死ぬことはまずありません。

白が右辺で生きたとき黒に残るのは中央の厚みですが、その働きは下辺の強固な白石によって相殺されます。

黒91~111まで、白石を取りかけに行くのは周囲の配石を見ても事実上不可能です。

こういう実戦死活は「経験則」が物を言うものです。

読み以前に「直観的」にそういうものを感じ取れなければ、とても19路盤を打ちこなすことはできません。

仲邑菫さんのすごいところは、この年にして「短気」を起こさないことです。

わからないときは感情的に「えい、やあ」と打ちたくなるものですが、そういうのは「マイナス」になると理解しています。

白106のハネに黒107と打ったのがその証拠であり、手厚い好手になります。

黒107では右辺の白石を取りに行きたくなりますが、読み切れてないなら打つべきではありません。

石を取りに行くときは「5割」の確率ではあまりに不十分です。

取り損ねたときのマイナスが計り知れませんから、少なくとも「7割」以上の確信を持って臨まなければなりません。

プロとして活躍する以上、「ギャンブル」のような打ち方ではとても上にはいけないでしょう。

仮に目の前の1勝を拾うことができても、あとが続きません。

張栩名人の自伝にも似たようなエピソードが書かれていましたから、仲邑菫さんの実力を買うのはもっともでしょう。

白112とツケて捌き形を得たので、黒113と先手を取って上辺の二間ビラキに向かいました。

終盤解説

白114と右辺の白石にもう一手入れたのは手厚い戻しです。

このように打つと「黒113で黒114に追及していたらどうだったのか?」という疑問が湧いてきます。

しかしやはり取りかけに行くのは周囲の黒石が薄くなり、得策ではありません。

それではなぜ白114に一手戻す必要があったのでしょうか?

囲碁には「厚い」「薄い」という概念があります。

基本的に「良い」「悪い」と同じ意味であり、もう少し曖昧で抽象的な使い方をします。

「厚み」が重複すれば「凝り形」となり、足りなければ「薄み」となります。

「生きている」「強い石」「弱点がない」「利きが少ない」これらはすべて「厚い」と表現します。

黒113で右辺の白石を取りに行くのは、失敗すれば中央や周囲の黒石が薄くなります。

逆に言えば、中央や周囲の黒石が厚くなったら白石を取りに行けるというわけです。

白114と一手補強することで黒からの「利き筋」をなくし、同時に中央や周囲の黒石に寄り付こうと狙っています。

囲碁は読み切れない部分が多く、だからこそ「厚い」「薄い」などの曖昧な表現に頼らざるを得ないのです。

白114のように「後々、きっと良いことが起こるだろう」という打ち方は級位者にはとてもできません。

有段者以上になると「厚みが働く」感覚を実戦的に理解することができます。

アマチュアのみならず、プロ棋士であっても「地(確定地)」を過大評価する傾向にあります。

残念ながら「地=はっきりしているもの」を信仰している時点で、上達が止まっていると考えてよいでしょう。

仲邑菫さんの碁はまだ完成されておらず、「厚み=はっきりしないもの」を意識しながら打っています。

「厚み」という不明瞭な部分を一生懸命取り組まなければ、所詮は「プロ止まり」になってしまいます。

この試験碁ではそういう「伸びしろ」の部分を高く評価しているのではないでしょうか?

黒113,115の連打は自然な石の流れでしょう。

白114で先に白116とぶつかっておけば、とりあえず黒115のオキは防げます。

とはいえ黒にノビられると中央が厚くなり、その上まだ左上隅には三々入りからコウの手段が残されています。

黒115のオキに白116のぶつかりなら、黒117と三々に打たざるを得ません。

黒119,121の生きに白122とハネることによって、白は中央を手厚く打ち進めることができます。

黒123,125となり、局面はいよいよ大ヨセに入っています。

ここまで黒は大崩れせず、白に大きく離されることもなく堂々とした打ちっぷりです。

黒127~135まで、小手先ではないしっかりとした「読みの力」を感じます。

黒275手まで、この碁は「持碁(引き分け)」となりました。

総評

「試験碁」としては概ね素晴らしかったのではないかと思います。

ただ納得いかないのは「逆コミ5目半」で始まったコミを終局してから「逆コミ6目」にしたことです。

本来であれば、仲邑菫さんの「半目負け」となっていました。

別に勝ち負けを見る試験ではないのですから、結果通り「白半目勝ち」ということでよかったでしょう。

囲碁の対局は「前提条件」で打ち方が変わります。

例えば、定先(コミなし)で対局したとしましょう。

その結果、ハンデをもらっている黒の「7目勝ち」になりました。

このとき「何だ、別に互先でもよかったじゃないか」と言うのはとんでもないお門違いです。

白はハンデを背負っている分、通常よりも無理をして打たなくてはいけません。

コミを頼りにじっくり布石を打ち進めることもできませんから、不利な態勢で中盤戦を迎えることになります。

コミ6目半では想像しづらいのなら、逆コミ30目の場合を想定してみましょう。

白はコミをもらえず、逆に30目のコミを支払う立場ということです。

実質「36目半」のハンデを背負っている白の負担は容易に想像できるでしょう。

その無理を咎めて黒の盤面「1目勝ち」になったとしても、決して逆コミが要らなかったという結論には至りません。

この試験碁の場合も同様です。

「逆コミ5目半だとちょっときつかったから、逆コミ6目ということにしましょう」

これを終わってから言うのは、あまりにも対局者へのリスペクトに欠けるというものでしょう。

ましてや半目にシノギを削るプロの世界へ入段しようというのに、結果を書き換えるのはプロの権威を自ら下げる行為に他なりません。

仲邑菫さんは大の負けず嫌いだそうですから、勝負において子ども扱いされたのは少なからず悔しかったことでしょう。

せっかくの名局が要らぬ忖度によって「曰く付き」になってしまったのは、残念でなりません。

「英才特別採用推薦棋士制度」という新たな試みには賛成しますが、プロ棋士が候補者をリスペクト出来ないようでは先が思いやられます。

確かに院生を経て、プロ試験に合格してプロ棋士になるのは1つだけ「デメリット」があります。

それは「碁が完成してしまう」ことです。

プロ試験そのものがゴールになってしまい、それ以上伸びしろを望めない者がプロ棋士になっても仕方ありません。

プロを志すのであれば、将来的に「名人」になる覚悟で臨まなければならないでしょう。

食うに困って「指導碁」をするプロ棋士が後を絶ちませんが、そのような現状ではとても中韓の棋士に太刀打ちできるわけがありません。

そう考えると「小学生」を対象として、新たな枠組みによる採用は素晴らしい試みだと思います。

目先の勝ち負けにこだわらず、世界と戦えるプロ棋士を育てるなら「プロ試験(通過点)」にこだわる必要はありません。

だからこそ、決着のついた勝負の結果をあとから変えることなど言語道断なのです。

今後、仲邑菫さんが日本囲碁界で活躍するのは疑いの余地もないでしょう。

しかし周りの人間が彼女をリスペクト出来なければ、結局は「日本」止まりの活躍となってしまうかもしれません。

プロ棋士として生きていく以上、対局においては「女性」であることも「子ども」であることも一切関係ありません。

金の卵である子を真剣勝負の舞台へ上げるわけですから、今一度「一棋士」として対等に扱うべきでしょう。

仲邑菫さんの才能は本物です。

その才能を生かすも殺すも本人次第ですが、周りが邪魔するようなことは決してあってはなりません。

これから彼女に続く、新しい才能がいつ現れるやもしれません。

そのときは同じ過ちを繰り返さないようにしていただきたいと願います。

「日本で英才枠に入るくらいなら、中韓で修行したほうがよほどいい」なんて言われないようにですね。

そろそろ日本国籍を持つ中韓の「帰国子女」が入段して、日本碁界で活躍しないものかと常々考えています。

本人の努力だけではどうにもならない「環境」というものがあります。

その環境をできる限り整えていくことで、才能は大きな花を咲かせ実りをもたらすのではないでしょうか。