「第59期十段戦予選C仲邑菫初段vs古田直義四段」の棋譜解説をしていきます。

仲邑菫さんの棋譜解説をしていきます!【九局目】

期待されているのは

仲邑菫初段にとって初となる七大タイトル戦への挑戦、および男性棋士との対局になります。

仲邑菫さんの新入段から早いもので、もう半年が過ぎ去りました。

この半年間、プロ試験新制度の是非や仲邑初段の実力について様々な議論がなされています。

仲邑菫初段の一件を私なりにまとめてみました。

・新制度「英才特別採用推薦棋士」は妥当である

・日本棋院のマネジメントはお粗末である

・囲碁における「才能」とは読みの力であり、「実力」とは総合力である

まずは現行のプロ試験を受けずに特例入段した件についてお話ししましょう。

プロ試験を経て「正棋士」になることは棋士の誉れであり、今後の自信につながります。

また女流採用枠であっても、正規の試験を通過することは並大抵のことではありません。

しかし「プロ試験」には大きな落とし穴が潜んでいます。

それは「プロになるための試験」としての側面です。

ひと昔前とは違い、今は中韓に大きく後れを取っているのが現状でしょう。

その中でプロ試験とは「世界に通用する棋士になるための通過点」という位置づけでなくてはなりません。

例えるなら、大学入試と同じようなものです。

入試とは、大学の講義について来れるかどうかの精査に当たります。

とはいえ今や大学入試が「ゴール」となってしまい、入学後に落ちぶれてしまう学生が少なくありません。

大学側としては「入学してから勉学に励み、社会に出て活躍してくれる人材」を求めていることは言うまでもないでしょう。

受験に限らず、就活を始めどんな試験においても「これからの活躍」を期待されるのは当たり前の話です。

ところが「プロ試験がゴール」という感覚で人生をかけている院生や外来のアマチュアがいます。

これは失礼ながら、甚だ迷惑な話でしょう。

あらゆる競技のプロとは「プロの世界で活躍する」のが最大の仕事です。

アマチュアより優れているのは勿論のこと、同じプロを圧倒してこそ「プロの仕事」と言えます。

そんな中、年齢も実力もギリギリで「運よく試験を通過できました」というのでは話になりません。

誰もが憧れる有名大学に合格したものの、燃え尽き症候群となり遊び惚けられてはたまったものではないでしょう。

採用側としては「プロ試験を通過点」と見なして、余裕のある合格者を迎え入れたいものです。

しかし実際の競争は苛烈を極めます。

やはり「試験」という一定のラインを引くと、それに合わせて勉強するのが自然なのかもしれません。

面白いことに「アマチュア初段」を目指して、1,2級で足踏みをしている方が後を絶ちません。

「そこ」に照準を合わせるのは、自らの伸びしろを制限してしまうリスクをはらんでいます。

「英才特別採用推薦棋士」とはプロ試験を免除する代わりに「世界に通用する棋士を目指す」という名目の元、新設された制度なのです。

要するに「プロになれるかどうかで小さくまとまるな」と言いたいのでしょう。

布石、中盤、ヨセにおいて総合力の高い「完成されたアマ初段」よりも、ザルだけど強いアマ初段のほうが伸びしろがあります。

今年の甲子園を沸かせた「奥川」と出場叶わなかった「佐々木朗希」のどちらをドラフトで取りたいかといった話にもつながります。

プロ野球のドラフト制度とは違い、今までのプロ試験制度では「未完の大器」を採用することができませんでした。

そこで「女流特別採用推薦棋士」と「英才特別採用推薦棋士」の制度が新設されたわけです。

正直、引退のない囲碁界において中途半端な志の棋士を採用するのはリスクが大きすぎます。

実力の世界である以上、序列が決まり、落ちこぼれがいるのは当然でしょう。

とはいえ何十年も末席にいるのでは、プロたる所以がありません。

仲邑初段が注目を浴びることにより、むしろ下位の棋士らの現状が浮き彫りになったと見ています。

さて、次に日本棋院のマネジメントについてです。

これに関しては多くを語る必要もないでしょう。

見る側の主観によるところが大きく、人によっては評価しているかもしれません。

まあ、私は「寒いな」と感じています。

張栩名人との試験碁自体は採用に直接関係ありませんから、内容を見るために半目勝負を演じたのは分かります。

ただし局後「持碁」にしたのは張栩名人の承諾を得たものの、仲邑初段はちゃんと承知したのでしょうか?

不正とかそういう類のものではないのは明らかですが、結果をいじられる不愉快さは周りの比ではないでしょう。

その後の始球式だとか、一日警察署長だとか「何を浮かれとるんだ」としか言えません。

ここら辺は完全に個人の主観なので、いろいろな要素が絡んでいることは察しておきましょう。

そして最後に大事なテーマである「仲邑初段」の実力について話しましょう。

仲邑初段は「実力」を買われてプロ入りしたのではなく、「才能」を期待されてプロ入りしたのです。

囲碁における実力とは「総合力」であり、才能とは「読みの力」に他なりません。

プロ試験を通過するのは「総合力」を伴った即戦力となる人材です。

先ほどの例えなら、今年ドラフト1位指名されるであろう「奥川」のようなものでしょう。

対して潜在的な才能を高く評価されながら、育成には数年かかるだろうと言われているのが「佐々木朗希」です。

仲邑初段はいわば「150キロ」を投げる中卒のピッチャーのようなものでしょう。

総合力は「正棋士」には及びませんが、読みの力なら院生や下位の棋士を上回ります。

囲碁関係者が口を揃えて「すごい」と褒め称えているのは「読みの力」であり、「まだまだこれから」と言っているのは大局観や目算などの「総合力」です。

アマチュアでも同じですが、総合力が高いと「完成されている」ため伸びしろを感じません。

逆にまだまだ未完成でありながら、中盤の勝負所に強いと「これから成長するな」と感じます。

この「実力」と「才能」を区別せずに議論すると話は平行線になります。

以上のことを踏まえてまとめると次の通りです。

・日本棋院のマネジメントがお粗末だったので、要らぬ批判を受けた

・新制度や仲邑初段の「才能」には何ら問題は見当たらない

・今後、着実に「実力」を付けていくことが期待されている

当面の間は下位の棋士たちを「読みの力」で打ち破っていく展開が予想されます。

悲しいかな、中年の棋士に仲邑初段の猛攻をかわしきる気力・体力は残されていないでしょう。

結局のところ経験の差によって得たリードを逆転されるか、守りきるかの攻防になります。

今後ますます「仲邑菫初段の逆転劇」が繰り広げられることでしょう。

布石解説

黒番古田直義四段、白番仲邑菫初段です。

実は田中四段、金四段との対戦からずっと「白番」が続いています。

白番は布石の組み立てを黒番にリードしてもらえるので、コミを頼りに打ちやすい意味があります。

黒1,3の星+小目に対して、白2,4と同じく星+小目で対抗しています。

黒5でシマリを中心とした組み立てをするなら「一貫性の碁」となり、カカリを急ぐなら「柔軟性の碁」となります。

黒5のカカリ~黒9のツギまで、後者を選択しました。

左辺のヒラキを打たずに黒11のカカリに回るのは「今風の打ち方」と言えます。

「今風」とは「AlphaGo」以降のことです。

ただAIの台頭から劇的に囲碁の打ち方が変化したわけではありません。

それまで絶対視されていたプロ棋士の研究や価値観が「相対的に価値を落とした」だけでしょう。

白14のハサミに黒21と打つのは「武宮流」で以前から打たれています。

別に左辺のヒラキが絶対でもなければ、打たないほうがよいという話でもないのです。

AIの台頭がもたらしたのは「人間のトップもまだまだ」といった事実と盤上の奥深さでしょう。

白12のカカリ返しは「ミニ中国流」の阻止であり、黒13のコスミは急戦を避けています。

白14のハサミには黒15とハサミ返して、フリカワリも見据えた盤上全体の形勢を見ながら打ち進めています。

何だかんだ言っても、部分戦の利益が全体の形勢に多大な影響を及ぼすのは今も昔も変わりありません。

とはいえ局地戦に向かえば、仲邑初段にとって有利なのは明白です。

古田四段にしてみれば、「経験が物を言う」展開に持ち込まなければ勝機を得られません。

仲邑初段が勝ち進むほどに相手も研究してきますから、菫さんの成長に伴い相応の対策を講じられるのは仕方ないでしょう。

白16,18のツケノビは黒の四間幅を固めるので、少し打ちづらい感じがします。

悪手ではありませんが、好手というわけでもありません。

やはり仲邑初段の唯一最大の弱点は「経験の少なさ」です。

そこら辺のアマチュアと比べれば、けた違いの対局数をこなしているのは周知の事実でしょう。

しかしプロ棋士としての経験はまだまだこれからです。

黒21は白から大ゲイマ(一路左)の攻めを防ぎ、なおかつ右辺を模様化する狙いがあります。

白22のカカリは良いとして、白24のカケは大局的に失着でしょう。

右辺の模様化に対して、中央で対抗するのはどう見ても愚策としか言えません。

黒25はさすが冷静な一手です。

私なら中央を競り合って、右上隅と右下隅のフリカワリにします。

左上隅の白生き、右上隅の三々、右下隅の小目、さらに左下隅の空間を比較すると右下隅の価値が高いのは明らかでしょう。

とはいえフリカワリは局面を狭く、分かりやすくしますから仲邑初段相手には得策ではないかもしれません。

序盤早々に優勢を築いても、焦点の絞られた中盤戦で逆転される可能性は十分にあります。

黒25~33まで左右に打ち分けることにより、焦点を絞らせない巧みな打ち回しです。

白34のハサミは白24とカケた以上、必然ですが価値の低い上辺に打つのは方向が悪いでしょう。

黒35のノゾキは形の急所であり、白36のスベリを催促しています。

黒は白の逃げ道をなくすような攻め方ではなく、上手く場所交換しながらリードを維持、拡大する大局観に優れた打ち方です。

白38のケイマは白40の利き筋を見た「犬の顔」ですが、すぐに打つのは黒41の止めがピッタリしています。

白42,44のあと、白46の生きを打たされるのは本意ではありません。

白24~30までの白4子が断点残りで、ほとんど無意味な石になっています。

黒47の切りにより、中央の制空権は黒のものとなりました。

白48の動き出しは「脈」がありません。

右上隅と左上隅の大石を狙っていますが、黒石の補強をお手伝いする悪手になります。

黒49~53まで、中央と上辺の白石を両睨みにしながら整形していきます。

白56の生きには黒57と「馬の顔」で頭を出します。

白は右上隅~上辺を小さく生きただけであり、黒には中央~右下隅の模様が楽しみとして残っています。

中盤解説

白58の動き出しは石の流れを切らないようにするためには仕方ないでしょう。

黒59は「ぬるい」と見ます。

黒は優勢の碁をどうまとめ上げるかといったところですが、手厚く打つと得てしてぬるくなりがちです。

黒の誤算は何と言っても「白4子を軽く見られたこと」に尽きます。

白60を利かして、白62と左辺から迫ったのは「中央の捨て石」を選択肢に入れています。

黒は中央の白石を取りに行ってはいけません。

中央の白石を小さく生かしながら、右下隅~下辺をまとめるように打つとよいでしょう。

そもそも中央の白石は働きのない「不良債権」のようなものです。

白の抱えている不良債権をわざわざ取りに行くようなマネは非効率と言う他ないでしょう。

黒63~67と突破して、あくまでも中央の白を「生かすように」攻めなくてはいけません。

白68,70となり、白のじり貧は明らかです。

ところが黒71と白4子のダメを詰めたのが「緩着」となりました。

白からのツケコシを防いだ手厚い戻しのようですが、逆に白4子の責任を放棄するきっかけとなっています。

黒石が薄いからこそ、白4子に責任が生じて白の負担となるのです。

白72と沿い、もはや白4子が種石となっている「上辺の切り違い」は関係ありません。

白5子が種石となっている「中央の切り違い」が戦いの焦点となります。

黒73のノビに白74のカタツキは仲邑初段の本領発揮といったところでしょう。

黒71の緩着により、黒は中央~下辺の戦いに一手遅れています。

黒75,77には白76のカケから白78とハネて「絡み攻め」にします。

黒79~93まで、あっという間に中央の白石と下辺の黒石の「フリカワリ」となりました。

このフリカワリは白の理想形であり、黒としては妥協させられた格好です。

本来なら中央の白石をいじめながら、盤石の態勢を築くはずでした。

しかし中央の攻防に「一手遅れた」ことで、白にとって互角以上のフリカワリを余儀なくされています。

だいたい、中央の白石を取らされてしまってはいよいよ黒71の一手が「無駄石」となります。

黒の気持ちを察するにあまりにも優勢のため、どうまとめるか判断を誤ったとしか考えられません。

仲邑初段の「剛腕」を警戒し過ぎてしまい、緩着を重ねたことが黒の敗因となりました。

終盤解説

白が一瞬のスキをついて息を吹き返したものの、いまだ黒の優勢には変わりありません。

野球に例えるなら、7対0の完封負けのところを7対5まで盛り返した感じです。

アマチュアにとって非常に参考になるのは、右辺の白4子を取りに行かない判断でしょう。

切れば20目近くの黒地がつきますが、白地を減らしながら黒地を増やすのが「ヨセの出入り」としては大きいのです。

黒95~107まで、左辺に手を付けるのが最大のヨセと見ています。

そしてようやく白108のツギに戻りました。

あちこちの白石が薄いので、ヨセは黒のほうが有利でしょう。

それも踏まえて、黒の優勢は動かないように見えます。

しかしながら、大ヨセはまだ「石の生き死に」が絡んでいます。

白158のコスミが勝着となりました。

黒151,153のハネツギで同点に打っていれば、逆転には至らなかったでしょう。

白160のハネコミから白162のハネ、白164のツギまでぐいぐい来ます。

黒が受け間違えると右上隅からつながっている黒石の一団との絡みが出てきます。

とはいえ中央の白4子を抱える手も残っているわけですから、ギリギリの読みを働かせるべきでしょう。

結局のところ、読み合いでは仲邑初段が一枚上手というわけです。

この碁は235手まで、白番仲邑菫初段の1目半勝ちとなりました。

総評

この碁は中央の白石をどう評価するのか、という点で明暗が分かれました。

中央の白石は一見すると「取られ」のようですが、元の形を考えるなら上手く処理できたと見るのが妥当です。

さすがに白48の動き出しは打ち過ぎであり、負ければ間違いなく「敗着」とされていたでしょう。

この動き出しから下辺の黒石とのフリカワリまで持っていけたのは、まさに僥倖としか言いようがありません。

あえて古田四段の敗因を挙げるなら「慎重になり過ぎた」ことでしょうか。

いくら仲邑初段の読みの力が上とはいえ、優勢を築いたのなら一気呵成に決めに行くべきなのです。

これは決して結果論ではありません。

相手の反撃に怯えながら打つより、決めるところで決めに行くほうが絶対に勝ります。

なぜなら「優勢=置き碁」のような状況であり、置き石の効果を最大限活かすためには石数の少ないときに勝負するのが鉄則だからです。

ある意味、黒の打ち方は置き碁の下手のような「手厚い=ぬるい」印象を受けました。

たぶんもう一戦やっても、仲邑初段が勝つのではないでしょうか?

「1目半勝ち」とは僅差ではなく、大差の内容をひっくり返した置き碁の「上手」のような勝ち方です。

黒71手以降、最後のヨセに至るまで仲邑初段の勢いを止めきれなかったのはれっきとした「実力差」に他なりません。

この一局を経て、今後ますます仲邑初段の勢いが増すことは間違いありません。

経験不足を補って余りある「読みの力」によって、下位の棋士たちを脅かすことになるでしょう。

そして将来的には女流タイトルの獲得、世界戦での活躍、果ては七大タイトルの奪取まで期待が持てます。

またそうでなくては「英才特別採用推薦棋士」としてプロ入りした意義がありません。

仲邑初段には是非とも一棋士ではなく、英才棋士の自覚をもって頑張っていただきたいものです。