
「令和時代における新しい囲碁の上達法とは何か?」について考察していきます。
正攻法は長続きしない
あなたは「どうやったら囲碁が上手くなりますか」という質問をしたことがありますか?
囲碁を嗜む者ならば、誰しも今より少しでも上達したいと願うものです。
今や「囲碁上達」と名の付く書籍やネットの情報は星の数ほど溢れ返っています。
しかし結局のところ、誰に聞いても次の3つの答えを口にします。
・詰碁を解く
・棋譜並べをする
・実戦を繰り返す
もはや耳にタコができるのではないかと思うほど、何度も聞いたことのある回答です。
このように明確に答えが出ているにもかかわらず、なぜ凝りもせず「囲碁上達法」を探そうとするのでしょうか?
その答えは明白です。
・詰碁を解くのが億劫
・棋譜並べしてもよく分からない
・いくら実戦を打っても強くなっている気がしない
つまり「実感が湧かない」というのが大きな理由でしょう。
詰碁は3つの中で最も成果が出やすい分野ですが、それでも効果が出るまでに時間がかかります。
詰碁はいわば「筋トレ」のようなものですから、続けていくのは並大抵ではできません。
よく「簡単な詰碁をたくさん解きましょう!」とも言われます。
簡単な詰碁はすなわち「有酸素運動」に匹敵します。
筋トレはきついけど、ジョギングやウォーキングなら続けやすいということです。
しかしそれでも「億劫」になって長続きしません。
負荷を減らす代わりに「数」をこなさなくてはいけませんから、どっちみち辛いでしょう。
詰碁がダメなら棋譜並べをするのはどうでしょうか?
私もこれまで「本因坊道策」といった古碁から「世界囲碁年間」のような最新の棋譜まで、ありとあらゆる棋譜を並べてきました。
その上で辿り着いた結論は「よく分からない」ということです。
今でこそ、よく精査すれば石の流れや読み筋から対局者の意図を汲み取ることができます。
とはいえアマ六段程度の実力がなければ、到底プロの棋譜を読み解くことなどできないでしょう。
棋譜並べもはっきり言って、長続きしません。
残るは実戦しかありませんが、勝てずに伸び悩んでいるからこそ「上達法」を追い求めているわけです。
皆、現代の情報化社会において「何か検索すれば新しい発見が得られるのではないか?」と期待しています。
しかし当たり前ですが、そんな魔法のような上達法は存在し得ません。
巷に「ダイエット情報」が溢れ返っているのと同じです。
ダイエットをするのなら、方法は次の3つに集約されます。
・適度な運動(筋トレ・有酸素運動)
・食事制限(暴飲暴食をせず、しっかり栄養を取る)
・栄養補助食品の摂取(サプリメントで足りない栄養を補う)
このように誰もが知っているやり方を実践すれば、問題なく痩せることができます。
しかし分かり切っていることでも、なかなか実行に移すのは容易ではありません。
短期間ならまだしも、長続きさせようとするのは相当な覚悟が要ります。
運動するのは「負荷」がかかりますし、食事制限は効果が現れるまで「時間」がかかります。
またサプリメントは「お金」がかかります。
プラス面を考慮して継続できればよいのですが、どうしてもマイナス面が負担になってしまいます。
これは囲碁においても同じことです。
「負荷」「時間」「お金」のすべてを費やしても、なお確実に上達できるとは限りません。
無論、かけないよりも可能性はグンと上がります。
ただ「年齢」などの様々な個人差によって、どこまで伸びるか保証できるものではないでしょう。
※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。
とにかく「継続する」という高いハードルを越えない限り、上達へと続く道は途絶えてしまいます。
ハードルを下げる
囲碁に限らず、何事も長続きさせるためには「マイナス面を減らす」ことを考えなくてはいけません。
あなたは異性とお付き合いするときに「プラス面が多い」ことを評価しますか?
それとも「マイナス面が少ない」ことを評価しますか?
仮に「絶世の美女」もしくは「白馬の王子様」とお付き合いしたとしましょう。
この場合、プラス面は申し分ありません。
容姿が綺麗な100点満点の女性、あるいは家柄がよいお金持ちの男性は誰もが憧れる存在です。
ところがプラス面と同じくらい「マイナス面が多い」としたらどうしますか?
「絶世の美女だけど、金遣いが荒くてとても養っていけない」
「白馬の王子様だけど、モラハラがひどくて一緒に暮らせない」
なんてことになったら、結局は長続きせずお別れすることになるでしょう。
これがもし「田舎娘」または「平凡な男性」だったらどうなりますか?
特に目を引く長所もなく、どこにでもいるようなごく普通の男女です。
とはいえ「プラス面が少ない」分だけ、マイナス面も少なかったらどうでしょうか?
確かにお付き合いするきっかけは見つかりづらいかもしれません。
しかしいざお付き合いしたら、別れるきっかけもまた少ないでしょう。
少し極端なたとえ話になりましたが、物事を長続きさせるには「マイナス面が少ない」ことが大切な要素となります。
囲碁を教わるときに誰しも「超一流棋士」に習いたいと考えます。
実際に多額の指導料を払えば、著名な棋士にマンツーマンで習うこともできるでしょう。
この場合一流棋士に習うプラスが大きい分だけ、払うお金(マイナス)が大きくなります。
これは何も指導碁に限ったことではありません。
難しい詰碁に挑戦するのは、読みの最大値を上げるために必要不可欠です。
上手く物にすることができれば、読みの力を底上げすることができるでしょう。
ただしその分、多大な「負荷」がかかることは承知しておかなければなりません。
得られるプラスが大きい分だけ、生じるマイナスも大きくなるのです。
ものすごく我慢強い方なら、大きなマイナスを乗り越えて大いなる成果を挙げることができるやもしれません。
しかし実際には、やり遂げられる方はごくわずかしかいません。
その理由は至って簡単です。
恋人は「プラス面」から入って「マイナス面」によって別れます。
上達は「マイナス面」を乗り越えた先に「プラス面」が待っています。
どうしても先に「マイナス面」に直面しなくてはいけませんから、プラス面に辿り着く前に挫折してしまうのです。
世の中のおよそ「努力」を必要とするものは、すべて「対価」の先払いになります。
「負荷」「時間」「お金」をかけて、払った分の対価を得るまで必ず「時差」が生じます。
得られる成果を高めようとするほど、この時差に苦しむことになるでしょう。
だからこそ「大きな目標」と「小さな目標」に分けて取り組んだりします。
初段を目指すのが「大きな目標」であるなら、詰碁を毎日5問解くのが「小さな目標」といった具合です。
ただ毎日コツコツ積み重ねるには、やはりある程度ハードルを下げなくてはなりません。
「詰碁を毎日5問ずつ解く」というのは、想像以上に高いハードルとなります。
なぜなら1日5問を1ヶ月続ければ、本一冊分(150問)に相当します。
それを1年間続けると、詰碁の本12冊分もの量になります。
そして3年経つ頃には36冊になっており、その頃にはもう十分有段者の実力を身につけています。
これは「毎日15分でやれるダイエット法」のようなものです。
残念ながら、現実的な方法とはとても思えません。
大きな目標のために小さなことをコツコツ積み重ねられるのは、稀有な才能と言ってよいでしょう。
もっと現実的かつ、画期的な方法を模索するべきです。
新しい上達法
囲碁の上達法は先に述べたように「詰碁」「棋譜並べ」「実戦」の他にはありません。
手筋・ヨセの問題も「詰碁」の分野に入りますし、対局観戦・布石研究は「棋譜並べ」の分野に入ります。
棋譜並べといっても最初から最後まで並べるのは骨が折れますから、主に序中盤を中心に並べることが多いでしょう。
中終盤の勉強は詰碁や手筋・ヨセの問題を中心にやっていきます。
これらの勉強を実践するために「実戦」は欠かせません。
基本的に「序中盤」「中終盤」「一局を通して打つ」という勉強方法は不変のものです。
あとはいかに「長続きさせるか」といったところでしょう。
本での勉強は座学になるので、あまりお勧めできません。
座学とは「教室で席につき、書籍を読んだり、先生の話しを聞くだけというスタイルの授業のこと」を指します。
座学は誰しも学生時代に嫌というほど体験しています。
囲碁教室に通うならまだしも、家で自習するのは根気が必要になります。
座学よりも「実習」のような形で学んでいくほうが続けやすいでしょう。
囲碁で実習に当たるのは「対局(実戦)」です。
実戦の中に本で学ぶような要素を取り入れるのが、最も効率的かつ効果的な手法になります。
とはいえ、はたしてそんなことが実際に可能なのでしょうか?
まったく本で勉強しないというのはナンセンスですが、本と睨めっこする時間の割合を下げることには大いに意義があります。
ここで1つ質問をします。
あなたは今まで本で勉強してきたことを実践できたことはありますか?
ウッテガエシ、5目中手、鶴の巣ごもりなど、覚えてから実際にお目にかかるまでだいぶ時間がかかっているはずです。
それもそのはずで、同レベルの戦いにおいて「技」というのはそう簡単に決まるものではありません。
シチョウやコウなど出現頻度の高い形であっても、習熟していなければ実戦で上手く使えないでしょう。
手筋・詰碁を実戦で繰り出せるレベルになるのは、相当な「座学」を積む必要があります。
しかしそれでは大変ですから、何とかして本で得た知識をすぐに実戦で活用したいものです。
そのための方法は1つしかありません。
それは「下の棋力の方との対局」です。
棋力詐称するわけにはいきませんから、当然ながら置き碁になります。
よく「上達したいなら強い人と打ちなさい」と言われますが、それは誤りです。
正確には「本気で上達したいなら強い人と打ちなさい」ということでしょう。
はっきり言って、強い人と打つのはあまり勉強になりません。
なぜなら「技」が全然決まらないからです。
インストラクターの指導碁を見ていると「わざと負ける」ことはあっても「わざと崩れる」ことは絶対にありません。
指導碁を受けに来ている生徒さんのことを想えば、自ら「変な手」を打って然るべきでしょう。
そのほうが咎める練習になりますし、前向きな検討をすることができます。
しかし碁打ちとしての「プライド」が邪魔して、インストラクター(上手)の石が崩れることはありません。
結局は「地合い勝負」となり、途中で間違えたところを指摘するだけの検討になります。
これではいつまで経っても技を決める喜びや石を取る楽しさを学ぶことはできません。
また「わざと崩れる」というのも相応の技術を必要とします。
私は何度も技をかけられに行ったことがありますが、なかなかどうして「変な手」を自然に打つのは難しいものです。
やはりそこに至るまでの必然性を高めなくては、他の対局での応用が利かなくなります。
インストラクターでない上手がそのような技術を持っているわけもなく、また求めるのもおかしな話でしょう。
一番よいのは「下の棋力の方との対局」に他なりません。
やる気のある方なら、上手との対局は喜んで受けてくれます。
3子以上の差が開いていれば、手筋や詰碁の技を決めるのはそう難しくありません。
もちろん布石の打ち回しや戦いの主導権も握るのも容易でしょう。
置き碁だと布石の勉強にならないので、ハンデを「逆コミ」にするのもよいかもしれません。
ハンデの付け方はまだ置き石が一般的ですが、布石の自由度を考えたらコミのほうが合理的です。
ポイントはとにかく「思い通りに打つ」ことです。
詰碁が難儀なのは「解けないから」です。
棋譜並べが大変なのは「分からないから」です。
実戦がきついのは「失敗するから」です。
結局、思い通りに行かないから悩みが尽きないのです。
それなら思い通りになるように仕向ければよいでしょう。
志が低いと罵られても、長続きしないよりはるかにマシです。
大切なことは「継続すること」であり、そのために己に課しているハードルを下げるのは賢い選択と言えます。
あまり根を詰め過ぎず、たまには下手に教えを乞うのも悪くありません。
上手のみならず、同じ棋力の方や下手に対しても「学ばせていただいている」気持ちを忘れないようにしましょう。
学ぶ姿勢さえしっかりしていれば、おのずと上達への道筋が見えてくるはずです。
最初に覚えてから全く使えてなかった技や手筋も、一度実戦で決める経験を経ると、コツがつかめて次回からは難なく使える(手筋に至る道筋がぼんやり見える)ようになるから不思議ですね。
下手との対局からも学ばせてもらっているのだという考え方にはハッとさせられました。
コメントいただきありがとうございます。
「出来ているつもり」「分かっているつもり」というのは厄介なものですね。
真の理解を得るには「実践できている」かつ「人に教えられる」ことが必要不可欠でしょう。
上手に挑戦するばかりではなく、下手の方もよきパートナーとして大切にしなくてはいけませんね。