
「囲碁上達のために自由を捨てる」について考察していきます。
神様の碁、プロの碁
あなたは囲碁を「自由なゲーム」と捉えていませんか?
私は長い間、囲碁をしてきて「不自由」を感じたことはありません。
しかし囲碁には「戦略」があり、また「戦術」もあります。
本当に自由な発想で打てるゲームであるなら、巷に溢れている囲碁上達のための書籍はいったい何なのでしょうか?
効率的かつ効果的に上達するには「敷かれたレールの上」を行くのが一番手っ取り早いでしょう。
定石を覚えたくない人より、定石を覚えようとする意欲のある人のほうが上達しやすいのは当然です。
囲碁をしている人は皆、自由という言葉を勘違いしています。
囲碁における自由とは「よく分からない領域」のことを指します。
よく「布石は自由に打ってよい」と言われますが、これは大きな誤解です。
正確には「私もよく分からないから、適当でいいじゃない?」というニュアンスでしょう。
布石にも勝ちやすい打ち方、セオリーというものがあります。
とはいえ「絶対ではない」ですから、主張としては「布石は自由」と弱くならざるを得ません。
中韓の棋士が本当に布石を自由に打っていると思いますか?
また張栩名人が大一番で「ブラックホール」のような布石を使うと思いますか?
布石という「よく分からない領域」を突き詰めてこそ、プロ棋士と言えるのではないでしょうか。
アマチュアに関しては勝負のほとんどが「中盤戦」によって決まります。
そうすると、ますます「布石は自由だ」という考え方がますます幅を利かせてしまいます。
「まあ、布石はどう打っても一局だよね」
「どうせ中盤の取った取られたで勝敗が決まるからね」
なんて考えは上達に百害あって一利なしです。
よく考えてみてください。
囲碁は中盤~終盤にかけて起きる戦い、すなわち「死活」によって決着がつきます。
死活とは「正解が導き出せる領域」のことを指します。
つまり囲碁における勝敗とは「正解を導き出せるかどうか」で決まるということです。
ちなみに「囲碁の打ち方に正解はない」とされていますが、そんなことはありません。
囲碁というゲームを人間が把握している範囲はおそらく1割にも満たないでしょう。
その中でアマチュアが網羅できる範囲というのは1パーセントにも満たないはずです。
およそ99パーセント不明瞭なゲームだとしても、残り1パーセントこそアマチュアが争う「正解」に他なりません。
神様の碁と比べるとプロ棋士は「10分の1スケール」の碁を打っていることになります。
さらにアマチュアは「100分の1スケールの碁」を打っていることになります。
その100分の1スケールの碁の中で「正解を導き出す」というのを競い合っているのです。
だからプロ棋士は「神様の碁」が分からなくて当然です。
そこはテスト範囲ではありませんからね。
同じくアマチュアは「プロの碁」が分からなくて当然でしょう。
「算数」を習っている小学生に「数学」を解かせるようなものです。
テスト範囲を絞れば、おのずと導き出せる「正解」が決まってきます。
「神様の碁」は1万点満点、「プロの碁」は1000点満点、「アマチュアの碁」は100点満点といったところでしょうか?
あなたが今、取り組んでいるのは「1万点満点の碁ではない」ということを自覚しましょう。
ちゃんと「100点満点の碁」に取り組む心構えでいれば、おのずとやるべき課題が見えてくるはずです。
正解を突き詰める
囲碁上達における最善かつ最良の方法とはたった1つしかありません。
それは「問題を解きまくる」ということです。
布石でもいいですし、手筋や詰碁、ヨセに至るまで、すべての問題を片っ端から解くのが最短の上達法になります。
なぜなら「問題には必ず答えがある」からに他なりません。
あなたは囲碁に「正解がない」と思い込んでいます。
そりゃ「神様の領域」の話をすれば、正解を語るなどおこがましいでしょう。
しかしあなたは人間であり、対局相手も人間です。
人間同士の戦いには「正解」が存在します。
少なくとも長い歴史で培ってきた「限りなく正解に近いもの」はあります。
そこを突き詰めていかずして、どうして上達することができるでしょうか?
囲碁を習う姿勢としては「先生、正解はどこですか?」と聞かないほうがよいでしょう。
この質問は「思考停止」以外の何ものでもありません。
こちらとしても「正解を聞かれると答えづらい」というのはどうしてもあります。
聞き方としては「先生、ここでこう打つのは合っていますか?」と言うのが無難でしょう。
まず最初にあなたの考え方、読みを伝えてから正解を聞くのが望ましいのです。
さもなくば「正解(1万点満点)なんてありませんよ」と答えざるを得なくなります。
あなたが聞くべきなのは「正解(1万点満点)」ではなく、あなたのレベルに合った「正解(100点満点)」でしょう。
ここがまったくかみ合わない先生と生徒、級位者と有段者の不毛な会話が日々なされています。
高段者「囲碁に正解なんてない!」
(=1万点満点なんて分かりっこない!)
有段者「囲碁はこう打つものだ!」
(=プロ(1000点満点)がこう打っている!)
級位者「どう打つのが正解なの?」
(=100点満点の打ち方を教えてください!)
こうして見ると、級位者が一番現実的でまともなことを言っています。
囲碁が強い人はすぐ「囲碁は自由だ!」とうそぶきますが、「あなたはその自由な領域を打ちこなせないでしょう」と言いたくなります。
結局、分かる範囲の「正解(100点満点)」を導き出せる人が強いのです。
囲碁の性質上、分からない範囲(1000~1万点満点)で好手を打つこともたまにあります。
しかし囲碁は素晴らしい一手より、一手一手の「流れ」のほうがはるかに大事です。
偶然打った好手はあとが続きませんし、仮に流れを掴んでもその一局に限られるでしょう。
盤上において再現性を高めるには「繰り返し問題を解く」しかありません。
はっきり言って、実戦をせずとも問題だけ解いていればよいのです。
なぜならあなたは実戦を「知識」としてため込まないからです。
1つ1つの実戦を「問題=正解」という形でストックしていくのなら、むやみに問題を解くよりはるかに効率よく上達することができます。
※詳しくはこちらをご覧ください。
囲碁上達のために大切なのは「自由という言葉でお茶を濁さない」ということです。
「人それぞれ生き方は自由であり、人生に正解などない」
これは真実の言葉でしょう。
しかし「お金を稼ぐ」とか「地位や名誉を得る」といった条件が加われば、おのずとやるべき道筋が見えてきます。
ましてや「宇宙飛行士になる」とか「野球選手になる」といった具体性があるなら、何をどうすればよいのか正解が決まってくるでしょう。
「囲碁初段になりたい」とか「〇〇さんに勝ちたい」なんて目標を掲げることで、そこに至る道筋をより明確にしていきます。
「囲碁は自由だから好きに打ってよい」というのは方便に過ぎません。
勝ちたいなら、ましてや上達したいのなら「正解を突き詰める」努力を惜しまないようにしましょう。
真の自由を手に入れるために
盤上において真の自由を手にできるのは「優勢の側」に他なりません。
ハンデを置かせている上手や形勢不利の側は決して「自由に打つ権利」を与えられていません。
勿論、勝つことを放棄しているのなら話は別でしょう。
ただ勝つことを諦めていないのであれば、劣勢時の打ち方はおおよそ決まってきます。
大石を仕留めるか、相手の勢力や模様を荒らしに行くかといった「逆転に足る手」を選ばなければなりません。
逆に優勢の側は「1目でも勝てばよい」わけですから、様々な「勝ち筋」を探ることができます。
それこそどんな打ち方をしても自由です。
あなたが今、仮に有段者であるとしましょう。
あなたが盤上で自由を得るには「級位者と互先」で勝負すればよいのです。
実力が劣る者と勝負することで、あなたは様々な打ち方を自由に試したうえで勝利することができます。
ネット碁でよくある「棋力詐称」はまさに「自由を得る」ための手段に過ぎません。
「そんな卑怯なことして何が楽しいの?」と訝しがる(いぶかしがる)方もいるかもしれません。
しかし真っ当にネット碁をやっている方は正直「きつい」のではないかと察します。
同等の棋力、またはそれ以上の相手には「自由に打つのが難しい」ですからね。
好きなように打った上で勝つのは「3子以上の差」がないと到底無理な話です。
これは上達においても同じことが言えます。
すなわち「上を目指せば目指すほど、自由を犠牲にしなくてはならない」わけです。
もし5級のあなたが初段になれたとして、5級当時より「自由を手に入れている」のは確かでしょう。
とはいえ5級の人と互先で打つわけにはいきません。
結局、上達した分だけ「対等な相手と」もしくは「対等なハンデを抱えて」対局することになります。
ギリギリの対局条件、または勝負の中に自由という名の「余裕」を生み出すのは困難を極めます。
だからこそ、囲碁を楽しむのに「棋力詐称」という手段を取らざるを得ない人が出てくるのです。
上達したければ、余裕という名の「ぬるま湯」に浸かっているわけにはいきません。
何よりも険しく、困難な道のりを歩む覚悟が必要不可欠でしょう。
5級から初段、初段から五段に上がるためにはそれ相応の「打ち方」を求められるのは当たり前です。
自由とは「個人の意思を尊重する」という態度を表しますが、5級のあなたの考え方を優先していてはいつまで経っても有段者にはなれません。
有段者になるには「上手い人の打ち方を真似する」のが手っ取り早いでしょう。
つまり「上手い人の打ち方を正解とする」ということです。
プロの打ち碁を並べるのは、プロ棋士を「正解と見なす」態度に他なりません。
棋士によって打ち方に個性が出ますから、真似るなら参考にする棋士を絞ったほうがよいかもしれません。
また「実利派」「模様派」「厚み派」のようにどの打ち方を選べばよいのか分からないことがあります。
そのときはあなた自身の「棋風」に合った打ち方を選ぶようにしましょう。
※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。
囲碁は不自由になればなるほど「上達しやすく」なります。
それこそ「機械的に」今どきの表現なら「AI的に」取り組むほうが成果を伴います。
ただし楽しさと上達のどちらを優先するのかは人それぞれです。
あなた自身で納得するバランスを整えていきましょう。
※詳しくはこちらをご覧ください。
あなたが本当に囲碁を自由に打ちたいのなら、不自由を受け入れ、限界まで上達にチャレンジする他に道はないでしょう。
強くなることでしか「余裕」は生まれませんし、対局に限れば「優勢」を保ちさえすればよいのです。
対局のたびに「優勢」を築くためには、相手より多くの「正解」を導き出すしかありません。
「囲碁は自由だ」という言葉に甘えず、真の自由を手に入れるために日々の研鑽を怠らないようにしましょう。