「囲碁における攻めとは何か?」について考察していきます。

囲碁における攻め

脅かすこと

いろんな競技で「攻め」と「守り」が盛んに行われていますが、「攻め」とはそもそもどういったことを指すのでしょうか?

言葉としては「こちらから進んで戦いを仕掛ける」「物事を無難に済ませず、積極的な態度を取る」とされています。

確かに引いてしまうのは「攻め」という感じではなくなります。

「攻め」とは相手に向かっていくようなイメージであり、相手を脅かすことです。

それでは、囲碁における「攻め」とはいったいどのようなものなのでしょうか?

囲碁で脅かすのは「石」もしくは「地」しかありません。

石とは「厚み」や「模様」といった地になるまでの途中経過も含まれています。

囲碁のルールの中に「囲った石を取る」と明確に示されていますから、それこそ石を脅かす唯一の手段になります。

「囲った石を取る」には大きく分けて2つの方法があります。

1つは「ダメヅマリ(アタリ)」にすることです。

いわゆる「手筋」はすべて「ダメヅマリ(アタリ)」に関係しています。

よく「ここにツケるのが筋」と言うときも、言い換えるなら「ここにツケるとアタリが見える」となります。

「筋」とは「ダメヅマリ(アタリ)」に関わることであり、攻めるときにしか使いません。

逆もまた然りです。

「形」とは「ダメヅマリ(アタリ)」にさせないことであり、守るときにしか使いません。

ゆえに「ここに打つのが形」と言うときも、言い換えるなら「ここに打つとアタリがなくなる」となります。

石を殺すときは「石を殺す筋」という表現になり、石を生きるときは「石を生きる形」という表現になります。

相手の石を取って生きるときには「石を生きる筋」という使い方をします。

「囲った石を取る」もう1つの方法とは「死活」にすることです。

本質的には「ダメヅマリ(アタリ)」と何ら変わりありません。

眼が1つしかない状態のことを「死に」と言いますが、死にとはすなわち「アタリ」のことです。

ダメが詰まっていないだけで、ダメを詰めれば最終的に「アタリ」になります。

逆もまた然りです。

眼が2つできている状態のことを「生き」と言いますが、生きると「アタリ」には絶対になりません。

どんなにダメを詰めても「アタリにできない」守りの最終形になります。

「囲った石を取る」には「直接的なアタリ(ダメヅマリ)」と「実質的なアタリ(死活)」を使い分けなくてはいけません。

「切断」による攻めは「ダメヅマリ(アタリ)」を狙っており、「分断」「封鎖」による攻めは「死活」を狙っています。

ただしこれらは「石」を脅かす手段であり、本来の「攻め」の目的ではありません。

囲碁は「最終的に地の多いほうが勝ち」になります。

ゆえに相手の「地」を脅かすことこそ「攻め」の目的なのです。

地とは石から成り立っていますから「石を攻める」のと「地を脅かす」のでは、大差ないように感じるかもしれません。

しかし、いくら石を攻めても「捨て石」にしてかわされると「石を脅かした」ことにはなりません。

価値のない石はいつでも捨てられてしまいますから、「種石」や「大石」などの重要な石を狙う必要があります。

相手の石や地を「脅かす」ことができて、初めて「攻め」と言えるのです。

数的優位

囲碁における「普遍的」で、なおかつ「不変的」なことの1つに「数的優位」があります。

ダンゴ石のような働きの鈍い「愚形」ならいざ知らず、石数の多さはそのまま「部分的有利」につながります。

先ほど、攻めとは「こちらから進んで戦いを仕掛ける」という意味だと説明しました。

状況によっては「切ったり」「閉じ込めたり」といったように、積極的に戦いを仕掛けることができます。

しかし基本的には「数的優位」が働くので、相手の石に近づくのは危険が伴います。

わかりやすいところでは、序盤の「カカリ」です。

四隅を占めた後、カカリに向かうのは「攻め」と言えるのでしょうか?

こちらから戦いを仕掛けるには相手の石に近づくことが不可欠になります。

とはいえ相手の石が「待ち構えている」場所に近づくのは、不利な石数で戦うということです。

カカリは相手の石を脅かす前に「ハサミ」から先に攻められてしまう恐れがあります。

数的優位に基づくのなら「厚み」や「模様」ましてや「地」を攻めることなど、到底不可能でしょう。

ところが置き碁において上手は「石」のみならず、「厚み」や「模様」そして「地」に至るまで簡単に脅かしてきます。

なぜ下手は「数的優位」を上手く活かすことができないのでしょうか?

それはやはり「ダメヅマリ(アタリ)」や「死活」が見えていないからに他なりません。

下手が「地」と考えているのは、実は「確定地」ではなく「地模様」だったりします。

下手が「厚み」や「模様」として見ているところにも、何かしらのほころびがあるのかもしれません。

仮になかったとしても半分「騙し」のような仕掛けによって、まんまと形を崩されることも少なくありません。

数的優位を活かして攻めるためには、まず簡単に崩されない「形」に打つことが大切です。

守りさえしっかりしていれば、おのずと数的優位が物を言う展開になります。

布石は中盤の戦いに向けて「数的優位を整える段階」と言ってよいでしょう。

もちろん交互に打っていますから、盤上全体でトータルの石数が変わることはありません。

途中で石を取られない限り、石数を等しく配置することができます。

すると必然的に打つ「場所」が問題になってきます。

布石ではまだ「地」を意識する段階ではありません。

それよりも「どこに待ち構えるか」といったような「戦いに備える態度」こそ重要になります。

布石で隅の地を争っているのは、決して中盤の戦いを軽視しているわけではありません。

むしろ中盤戦に向けて隅の「地(眼)」を争っています。

当然ながら「確定地(生き)」になると、それ以上脅かすことができなくなります。

味方の石を脅かされないように、また相手の石を脅かすために隅の「地(眼)」を争っているのです。

ただし隅の争いばかりに固執していると、今度は「辺」や「中央」の石数が少なくなってしまいます。

布石における「石の偏り」を見極めながら、中盤の戦いを推し進めて行きます。

味方の石数の多い場所では積極的に戦い、相手の石数の多い場所では戦いを避けます。

攻めとは「物事を無難に済ませず、積極的な態度を取る」という意味だと説明しましたが、まさにその通りです。

逆に守りとは「物事を無難に済ます」ことでしょう。

相手の模様や地に入っていくのを恐れてはいけませんが、そのあと上手く治まるのが捌きのテクニックです。

攻めにせよ、守りにせよ「周囲の状況(石数)」をよく把握しながら打つことが必要不可欠になります。

攻めの機微

攻めるときによく言われるのは「石を取るのは攻めではない」ということです。

これは半分正解であり、半分間違いでもあります。

攻めが利くのは「石を取られるかもしれない」という不安があるからに他なりません。

「種石」「大石」のような勝敗を分けかねない重要な石を取ることは攻めの「最大の成果」となります。

取るに値しない「価値の低い石」を攻めても守ってくれないでしょう。

取りに行っても「捨て石」にされるのがオチで、まんまと「先手」を取られてしまいます。

攻めの目的はあくまでも「相手の地を脅かす」ことですが、得られる「効果」は別にあります。

石や地を脅かすことで相手は守らざるを得なくなり、おのずと「先手」を得ることができます。

囲碁における先手とは?

※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。

「石を取るのは攻めではない」というのは「石を取るのは後手」といった意味も含まれています。

石を取ることで「自分の地が増える」また「後手」になるのであれば、それは「守り」と何ら変わりありません。

攻めとは「相手の地を減らす」のが目的であり、それによって「先手」を得られるのです。

つまり「相手が受けてくれる」打ち方をしなければ、それは攻めとは言えません。

とかく簡単に脅かせる石は「価値の低い」ことが多いでしょう。

対して「厚み」などの簡単に脅かせない石を「壁攻め」できると絶大な効果を発揮します。

「価値の高い」石を攻めるにはそれなりの「技術」を必要とします。

囲碁上達において「詰碁が大事」と言われるのは、まさにこの「技術」を高めるためなのです。

より大きい石を脅かすことができれば、自然と攻めが利くようになります。

「死活」は石数が多いですから、ほとんどの場合「攻めが利く」と見て間違いないでしょう。

種石のような小さい石を狙うときは「手筋」を使います。

大石のような大きい石を狙うときは「死活」を使います。

大切なことは「手抜きできない重要な石」を脅かすことです。

それさえ見極められれば、石を取ることが攻めの「最大の成果」になります。

「つまらない石」か「重要な石」かの見極めは相対的な「形勢判断」をするしかありません。

10個、もしくは20個の石を取ったとしても、それに見合う「フリカワリ」を打たれては意味がありません。

また大きくリードを許したときも生半可な攻めではいけません。

適切な「捨て石」によって局面を収束されてしまうでしょう。

盤上における「絶対評価」など、ほとんどないと言って差し支えありません。

すべては「相対評価」によるものですから、その都度「形勢判断」や「目算」を欠かさないことが大切です。

「石を取ることは攻めではない」という言葉にはもう1つ意味が含まれています。

それは「大石死せず」の格言にも示されているように「簡単に石は取れませんよ」といった教訓です。

「取ろう取ろうは取られの元」とよく言われますが、無理して石を取りに行くと必ず反撃を喰らいます。

石を取ることが攻めの「最大の成果」になるのであれば、それは「理想の展開」であって決して「現実的な展開」ではありません。

「石を取りますよ、取りますよ」と脅かしながら得を図ることが攻めのコツになります。

「得を図る」とは「地を囲う」「地(眼)を作らせない」「石を補強する(厚み)」など状況によって様々なパターンがあります。

攻めとは「100」か「0」かといった話ではなく、微妙な利かしも一括りにして「攻め」と呼んでいます。

「好き」という言葉が「like」または「love」という表現しかないのと同じです。

「攻め」という言葉だけでは、盤上に起こり得る変化をとても表現しきれません。

こればかりは対局を重ねることでパターンを習得していく他ないのです。

攻めの「機微」を感じるためには、数多くの対局をこなさなくてはいけません。

経験を積み重ねることによって、囲碁における攻めの理解がより一層深まることでしょう。