
「囲碁におけるアマチュアの棋力」について考察していきます。
棋力とは正確ではない
近年ではネット碁の普及により、棋力認定がいっそう厳しくなっていると感じています。
「ネットの段位こそ正確である」と主張する方もいますが、話はそう単純ではありません。
各地方の碁会所に比べて、全国または世界規模の棋力の目安が分かるのは確かにその通りでしょう。
とはいえネット碁にも棋力差が生じており、また相手が見えないので「ちゃんと」打っているのかどうか怪しいものです。
かといって、日本棋院が発行している免状も正確な棋力を示すものではありません。
私の棋力は「日本棋院の免状六段」「幽玄の間七段」「タイゼム六段」「野狐六段」「KGS四段」「碁会所七段」となっています。
KGSだけ低いのは真剣に取り組んでいないためです。
私と同等の友人曰く「KGS七段も別に大したことはないよ」とのことでした。
もしKGS七段と私の手合いを3子とするなら、KGS七段は碁会所十段を名乗ることになります。
しかし実際のところ、碁会所の段位はそれほどインフレしていません。
以前、私がタイゼム六段から四段まで落ちていた頃、大会でタイゼム七段の方と対戦したことがあります。
互先で対局した結果、序盤早々から相手の形を崩してそのまま大差の形勢で押しきりました。
相手の方は「最近はタイゼム七段でほとんど負けていないのに・・・」とこぼしていました。
七段にしては碁の内容が少し稚拙だったので、どこまで本当かは分かりません。
調子の波は誰にでもありますが、それ相応の実力を見せてもらわないことには判断しかねます。
このように同じネット碁を利用していても、大会などの本番においては棋力通りの結果になるとは限りません。
棋力における矛盾
とあるネット碁では棋力の下限が25級になっています。
パンダネットでも下限を15級(それ以下はビギナー)としているので、だいぶ初級者にやさしい設定と言ってよいでしょう。
しかしそれでも棋力差を正確に測るのは困難であり、それゆえ摩訶不思議なことも起こります。
まず棋力の下限を25級と設定していますが、その程度ではまだまだ下手の実力を推し測ることはできません。
少なくとも30級くらいまで下げなければ、25級(下限いっぱい)で負け続けてしまう方がいます。
説明しやすいよう、仮にとあるネット碁のことを「IGO」としておきましょう。
IGOで17級の方が教室では7級の棋力で打っています。
IGOの25級で負け続けている方は教室の基準では14級です。
こうしてみると、IGOと囲碁教室の棋力差は10級程度であることが推察されます。
しかしIGO19級の方が段級位認定大会において、1級で出場したところ2勝2敗という結果でした。
さすがにIGOにおける級位を是正すれば、その方はシングル級にはなるはずです。
ところがIGOでは19級で対局しているにもかかわらず、なぜかいつも負け越しています。
ネット碁や囲碁教室、大会などの結果を考慮しても、棋力の差については不可解なことばかりです。
一体どういうことなのでしょうか?
私が指導しているときに感じるのは「気持ちが棋力に大きく作用しているのではないか?」ということです。
「あなたは10級です」
そう思い込むと、本当に10級の力しか出せません。
「あなたは初段です」
そう思い込むことにより、実力以上の力を発揮できます。
そんな馬鹿げたことが実際に起こり得るのでしょうか?
ここからは棋力にまつわる実に興味深い話をしていきましょう。
棋力差のからくりとは?
過去に行われた「プロプロ置き碁」という企画をご存知でしょうか?
プロ棋士が互先ではなく、置き碁で対戦するというものです。
普段から「半目」にしのぎを削っているプロ棋士が置き石のハンデを設けるとどうなってしまうのでしょうか?
実のところ特にどうということはありません。
ただ置き石のハンデ分の目数差で勝つというだけのことです。
とはいえ、曖昧である置き石の威力を目数に換算することができます。
置き碁の正しいお手本を見られるといった趣旨において、大いに意義のある企画だったと言えるでしょう。
この企画の延長として置き碁の名手であり、当時のトッププロである九段の棋士と新初段の棋士が「一番手直り」で対戦しました。
定先から始めて、上手が勝つと今度は二子局になります。
上手がもう一番勝つと三子局へと打ち込み、さらに勝てば四子局へとどんどん打ち込むことができます。
はたして当時のトップ棋士である九段と新初段の対決はどうなったのでしょうか?
結果としては上手である九段の棋士が「九子局」まで打ち込んだところで、最後は6目負けになりました。
この話を初めて聞いた時にはにわかには信じられませんでした。
アマチュアとは違い「歴としたプロ棋士」である以上、調子による振れ幅などたかが知れています。
近年では新初段のレベルも上がってきており、二子の手合いならトップ棋士にも負けません。
ひと昔前なら少なくとも三子の手合いでは、新初段といえどトップ棋士に負けることはありませんでした。
プロ間の大まかな棋力差は「三段で一子」程度の目安とされていました。
兄弟子相手に三子で勝てるようになれば、入段が近いと言われていたようです。
それもひと昔前の話であり、今は入段してからすぐに活躍する棋士も少なくありません。
当たり前のことですが、プロ間における大きな差なんてものはないと断言できます。
まあとはいえ、入段当初ならまだしも年配の棋士ならトッププロと三子程度の差はあり得るかもしれません。
しかし四子局になると話は別です。完全な「置き碁」になります。
驚くべきことに置き碁の名手であり、当時トッププロである九段の棋士は初段とはいえ同じプロ棋士を九子局まで追い込みました。
ちなみに「これでは企画が成立しない」とのことで、没になったそうです。
どういう内容だったのか、ぜひ見てみたかったですね。
ただ内容を見ずともどんな戦い方だったのかくらいはわかります。
まず置き石をもらっている下手が守りに徹して勝とうとすることはあり得ません。
これは「勝つこと」が目的ではなく、「正しい置き碁戦略」を披露することが目的だからです。
置き碁とは守りに徹していて勝てるほど甘いものではありません。
しかしそれも級位者や有段者などのアマチュアにおける話であり、プロ棋士が守りに徹すれば勝ちきるのはたやすいでしょう。
九子局であるなら「ハンデ分」は勝つ気で打っています。
つまり九子局における最善を尽くして終局を目指すということです。
上手としては戦ってきてくれるからこそ、相手の攻めを利用してカウンターを入れることも可能になります。
それだけではなく、心理的な面も大いに影響しています。
まずは今一度、新初段の棋士の立場になって考えてみましょう。
プロ棋士は「プロになるために」入段しているのではありません。
「プロの世界で活躍するために」プロになっているはずです。
いくら格上の相手だからといって、そう易々と土俵を割るようなことはしません。
ましてや本来なら互先で戦うところを置き碁で打っているわけですから、それ相応の勝ち方をしなければならないのは当然でしょう。
しかしそのような心構えを以てしても、次々と負けて打ち込まれてしまっては心が折れます。
定先の手合いから八子局に至るまで8連敗して、九子局になってようやく6目勝ちです。
精神的にこれほど辛いことはありません。
そうかといって途中で守りきって勝とうという気にもなれなかったのでしょう。
あるいは弱気な心で中途半端に守っていたところに付け込まれたのかもしれません。
いずれにしてもプロ棋士でさえ、あらゆる条件のもと実力以下の碁を打ってしまうのです。
気持ちの問題
もう一度、ネット碁(IGO)に話を戻しましょう。
IGOで25級の方が教室では14級、17級の方が7級で打っているという話でしたね。
それならIGOにおける有段者の方は、リアルではどれくらいの棋力で打っているのでしょうか?
単純計算すると、まさに想像を絶するほどのインフレした世界になってしまいます。
しかし当然ながら、そんなことは起こり得ません。
IGOは上限が八段まであって、インストラクターなどは七段格で打っています。
インストラクターを担うのは、元院生や緑星囲碁学園出身のプロ志望だった方ばかりです。
勿論、真剣にプロを目指した方から早々に諦めてしまった方まで様々です。
ちなみにインストラクター間であっても、アマチュアの全国大会で優勝するような方と私のような六段格とでは三子の実力差があります。
実はこの三子の手合いというのは実戦的ではなく、「心理的な」ことを含めるとそれ以上の差になります。
置き碁というのは不思議なもので、私なら五段を名乗る方に二子局でも簡単に勝つことができます。
三段を名乗る友人には六子置かせた上で、きりきり舞いさせて勝つなんてことは朝飯前です。
また逆の立場で、「碁会所十一段」を自称する方と五子で対局したこともあります。
結果は私の10目勝ちでしたが、「なるほど」と唸る置き碁の妙を体験しました。
「絶対に負けられない手合い」における下手のプレッシャーはかなりのものです。
守勢に回るとすぐに置き石の効果がなくなるのは知っていますから、無理にでも攻勢に出ることで何とか勝利を収めたような状況でした。
こういった心理的なプレッシャーをかけることにより、本来なら定先の手合いを二、三子まで追い込むことは造作もありません。
私自身が上手と下手の両方の立場を経験しているので、それぞれの心理面や狙いがよく分かります。
仮に自称「十一段」の方をプロ棋士と同等とみなして、アマ「九段」と認定しておきましょう。
その上で、上限を基準として上から順に棋力を定めていったとします。
そうすると下限はどうなるのか?
想像してみてください。
ネット碁でもよく見られる光景ですが、棋力が際限なく下へさがっていくことになります。
棋力による手合いのハンデは「一段一級差に付き一子」が基本です。
しかし上手に対する心理的な圧迫感や置き石に対する過剰な期待など、余計なことを考えるといつも通り(互先)の実力を発揮できません。
それに加えて「時間」の制約でもかけようものなら、もはや手合い割に意味はなくなります。
勝ちを意識しすぎると
棋力における摩訶不思議な現象についてまとめてみましょう。
IGOにおいて19級の方が段級位認定大会では1級で出場して2勝2敗です。
しかしながら、IGO10級の方との九子局では負け越しています。
この現象を説明するには「今の棋力に甘んじている」と仮定するしかありません。
またネット碁である以上、短い時間内で打ちきるために少々荒い打ち方をしているという見方もできます。
様々な要因はあるにせよ、囲碁を打つ上で大切なことは「前提条件」なのです。
100メートル走のたとえ話をしましょう。
勝負において、皆が等しく目指すのは「勝つ」ことです。
短距離走は通常ならハンデなしの互先ですが、今回は「ハンデ戦」を想定してみましょう。
100メートルをそれぞれ「12秒」「15秒」「18秒」で走る人たちが競争します。
ハンデを「時間」で設定するのか、それとも「距離」で設定するのかによって勝敗の行方が変わります。
距離をハンデに設定すると、それぞれ「150メートル」「125メートル」「100メートル」地点からスタートして勝負することになります。
囲碁における「置き石」のようなものです。
時間をハンデに設定すると、それぞれ「6秒」「3秒」「0秒」ゴールタイムに加算して勝負することになります。
囲碁における「コミ」のようなものです。
さて、一見して適正なハンデのようですが結果はどうなりますか?
時間(コミ)によるハンデはいわば「互先」です。
実のところ下手は互先のほうがはるかによい碁を打つ傾向があります。
同じ土俵において一見同じ条件で戦うことにより、最後にコミが活きてくるのです。
しかし距離(置き石)によるハンデでは、そう上手くはいきません。
皆さんが100メートル18秒で走る選手だとして想像してみてください。
150メートル地点、125メートル地点からそれぞれあなたよりも足の速い人が追いかけてくるのです。
余計なプレッシャーを感じてしまっても仕方ありません。
ちょっとでもつまづくとたちまち追いつかれてしまう焦りがあります。
一度追いつかれると二度と追い抜くことができません。
想像できましたか?
それでは次に時間(コミ)によるハンデを想像してみてください。
同じスタートラインから100メートル走(互先)で勝負します。
当然のように、あなたより先に足の速い2人が前に出ます。
あなたは離されまいと必死に食らいつきますが、それでもじりじりと差が広がっていきます。
健闘むなしくあなたは最下位です。しかしそこに時間(コミ)のハンデを付け加えて本当の勝敗が決まります。
あなたならどっちの状況のほうが戦いやすいですか?
先にハンデをもらうのか、それとも後からハンデを足されるのかによって印象がまるで違います。
一生懸命打つことに変わりはありません。
それでも最初から「勝っている」ような錯覚を起こす置き石では、後の打ち方に余計な邪念を与えてしまいます。
互先ではバチバチ戦える人でも、置き碁では急に固く守ったりします。
すると石の効率が次第に悪くなり、地合いで追いつかれそうになるとますます守りに徹してしまいます。
その結果を見ると互先のときとはまったく別の縮こまった情けない碁形になっています。
それでも置き石の効力が最後まで残っていれば、何とか良い勝負にはなります。
初めから勝ちを意識してしまうと人間は正常な判断を下すことはできません。
互先においても「優勢」になった途端に手が縮こまって、逆に追いつかれてしまうことが多々あります。
そうかと思えば、「劣勢」になってから開き直って猛烈に反撃してくる人もいます。
大河を流れる水の如し
ここまでいろいろと考察してきました。
結論としては、状況によって人の打つ手は変わるということです。
一つ言えることは「私は〇段(級)だ」もしくは「私が何段(級)なのか正確に知りたい」といったことは、あまり意識しないほうがよいかもしれません。
置き碁などは下手にとって「不利な状況」を生み出すマイナス要素でしかありません。
初めから「勝っている」「勝たなくてはいけない」という錯覚を引き起こす原因となります。
ハンデを付けるのであれば、「コミ」がお勧めです。
無論、何十目というコミは体裁がよろしくないので「置き石+コミ」というハンデが最も理想的なのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、置き碁は上手が有利です。
下手は自分が有利な状況だと錯覚しているのに対して、上手も自分が不利な状況だと錯覚して打ってきます。
優勢だと思っている下手は固く守り、劣勢だと思っている上手は必死で攻めてきます。
また置き石を活用して攻めるにしても、上手の石を取ろうと無理な攻めをしてはいけません。
囲碁は攻めるほど「斜め」の石が多くなってしまい、カウンターを喰らいやすくなります。
「攻めるぞ、攻めるぞ」で何回も負けてしまう人は、今度は意気消沈して「守ろう、守ろう」と打ってしまいます。
それこそ怖い手が飛んでこないのであれば、上手はいいように下手をいじめることができます。
結局のところ右往左往して「攻めてもダメ」「守ってもダメ」という八方ふさがりの状態です。
そして次第に自信が無くなり、負の連鎖によって気が付くと良い碁が打てなくなっています。
碁会所に通っているときはこのパターンで何度もやられました。
そうやって経験を積んできたからこそ、今となっては上手の気持ちがよくわかります。
本当に囲碁が強い人の中に、強さを誇示して威張り散らしている方はいません。
もしいるとすれば実際の実力は大したことないか、あるいはその人自身の人間性の問題でしょう。
囲碁をよく知る高段レベルの人は皆、謙虚な方ばかりです。
囲碁の奥深さ、その深淵を少しばかり覗いていることも関係あるのかもしれません。
ただやはり勝負における「現実」をより多く知っているため、謙虚にならざるを得ないのです。
級位者、有段者の方は「上手」に対して幻想を抱き過ぎです。
上手は下手の方には見えない刃で切ってくるので、恐れを抱くのも当然のことでしょう。
しかし実際には下手の方が感じているほどの差はありません。
たった少しの「差」を実感して把握しているからこそ、高段レベルの上手は謙虚なのです。
だいぶ話が長くなりましたね。
要するに囲碁の棋力は「気持ち次第」ということです。
いろんな場所に出向いて、たくさんの方と打ってみましょう。
そうして自分自身の棋力を少しずつ確かめていけば良いのではないかと思います。
「郷に入っては郷に従え」の精神で、その時々によって棋力を合わせるのが一番かもしれませんね。
皆さんが感じている以上に棋力に差はないものと思って、日々の対局に臨みましょう!