「囲碁における読みとは何か?」について考察していきます。

囲碁における読み

読みの本質とは?

囲碁において「読み」とはいったいどのようなものでしょうか?

またプロはどれくらい先まで見通すことができるのでしょうか?

プロ棋士によっては「ひと目500手」先が見えると豪語したり、「1手も読めない」と謙遜したりする先生もいます。

まず読みとは2つの種類に分けられます。

1つ目は「ひらめき」が必要な読みです。

もう1つは「根気」が必要な読みです。

ひらめきが必要な読みはパッと思いつかないことには打つことができません。

初心者であれば「鶴の巣ごもり」や「五目中手」といったところでしょうか。

初手を知らない、または思いつかないことには2手目以降の読みにつながりません。

もう1つの根気が必要な読みは手数が長い分だけ考えることが単純です。

アタリ、アタリと追いかける「シチョウ」や放り込みからアタリにする「グルグル回し」などはいたって明快なからくりでしょう。

大切なことはシチョウを盤の端から端まで正確に追うことができるのかどうかです。

「ひと目500手」とは間違いなく「根気が必要な読み」のことを言っているのでしょう。

シチョウを盤の端から端まで目だけで追う訓練を積んでいけば、誰でもひと目40手以上は読めてしまう計算です。

逆に言えば、プロ棋士とはいえ予想だにしない1手というのは読むことができません。

とある一流棋士曰く「私とタイトルを取るトップ棋士との読みにはほとんど差がない」「しかし一局のうち、1,2手はまったく読んでいなかった手を打っている」とのことです。

つまり超一流棋士は深い読みに加えて、ほんの1,2手のひらめきによって他のプロ棋士との差別化に成功しています。

0手読み

それでは、アマチュアの方はどれくらい先まで読んでいるのでしょうか?

私自身の棋力はアマ六段です。

そのため高段者レベルの読みは体感としてわかります。

やはり自分よりも強い人の打つ手には、予想していなかった1手が必ずあります。

六段同士の対局では相手のやりそうなことはほとんどわかりますが、それでも予想だにしない展開というものは訪れます。

ただし予想だにしない「正着」ばかりではなく、「悪手」も多分に含まれています。

また初級者でも読めるような簡単なものは読みとは考えていません。

例えば「鶴の巣ごもり」は5手の読みとして出題されます。

しかしアマ六段の私の読み筋としては「1手」もしくは「0手」読みになります。

なぜならすでに正解図を覚えていて出題図の形の時点で結果がわかっているからです。

もう少し簡単な例にするなら、二線の「切り取り」がわかりやすいと思います。

もし二線の石を切られたとして、アタリの一子を第一線へノビて逃げる人はいません。

さらに追いかけられてアタリにされたとき、もう一度逃げようとする人は中級以上の方ではいないでしょう。

この一連のやり取りを読みに加えてしまうと、二線の切りから取りまで5手の読みになってしまいます。

以上のことから読む必要のない無駄手を含めて「ひと目〇〇手」と言うのはとても簡単なことです。

まず初心者は盤端に石を追い詰めてしっかり取るまでが「読み」です。

次に初級者になると二線の切りで石取りの決着がわかるようになります。

そして中級者以上だと二線の切り取りが残っていることを横目に見ながら他を打つことができます。

※この際、切り取りに関しては「0手」読みになります。

さらに上級者になれば、少し前の攻防から先々のことがわかってきます。

「盤端に追い詰めて石を取る手」などは上級者の中では当たり前すぎるテクニックのため、読みとしてカウントすることはありません。

まさか盤端(第一線)からアテて逃してしまうことはないでしょう。

「あり得ない変化」は次第に読み筋の中から消えていきます。

基本中の基本と言えるものを積み重ねていくことで何が起こりますか?

初、中級者の方が盤に石を何回も並べながら解くような詰碁や手筋も有段者になれば本を見ただけで簡単に解くことができます。

なぜなら級位者の方には「〇手読み」の問題であっても有段者の人にはひと目だからです。

もちろん有段者の方にも級位者の頃と同じようなことは起こります。

有段者の方がひたすら考えても解けず、盤に石を並べても解くことができない問題があります。

しかしプロ棋士ならその問題を「1手」もしくは「0手」で簡単に解いてしまいます。

プロ棋士にとって有段レベルの詰碁や手筋の問題は考えなくても解けるほど当たり前のことになっているのです。

基礎の積み重ね

「読み」と言っているうちは頭を使って無駄なことを考えている可能性が高いでしょう。

囲碁とは元々「感覚のゲーム」であるため、左脳をフル回転させて読むものではありません。

盤面を見た瞬間に無意識に考えていることが今まで培ってきた「読み」であり、それ以上のことを考えるのは「左脳読み」と呼んでも良いかもしれません。

例えば「ひらめき」が必要な問題である場合、「根気」でひたすらしらみつぶしに読んでいくのは無駄な労力と手間がかかります。

このような問題を解ける人は「ひと目」または閃いてから数手の読みで十分でしょう。

先ほど取り上げた「ひと目500手」先が見えると豪語したプロ棋士は

「あなた方アマチュア(有段者)なら500手かかるところを私にはひと目ですよ」

と言いたかったのかもしれませんね。

有段者が初心者に対して「二線の切り取り(5手読み)なんてひと目だ」と言うのと同じことです。

「プロは何手先まで読めるのか?」

「あなたは何手ほど読めるのか?」

こんな質問をするのは「読み」というものを理解していない証拠です。

互先において考える必要のない余計なことは「読み」のうちに入りません。

よって、何手先まで読めるというのは自慢にも何にもなりません。

棋力が同じであるなら、読み筋も似たようなものです。

一応、アマ六段の私自身は「3手読み」を基本としています。

私の3手読みは有段者であるあなたの「10手読み」に相当するかもしれません。

盤上を見渡しながら把握していることを含めるのなら、級位者のあなたの100倍近く読んでいることになります。

※もちろん「知識」込みでのことです。

どうすれば、そんなに膨大な読みを習得することができますか?

答えはいたって簡単です。

「基礎をひたすら積み上げていく」これに尽きます。

仮に詰碁を習熟したいのなら、決め手になる中手や打ち欠きの筋は読まなくても良いくらい反復することです。

初心者の頃はちゃんとした「眼」なのか、それとも「カケ眼」なのかしっかり確認しないことにはわかりません。

しかし「0手」読みとして意識しなくても見えている、もしくは知識として頭に入っている状態になると視界が開けて明るくなってきます。

「シチョウ」「ゲタ」「両アタリ」「ウッテガエシ」「二線の切り取り」などの基本手筋を始めとして「打ち欠きの筋」「中手」といった死活の基本も十分に習熟することです。

そうすることで、形が実際に盤上に表れる前から「読み」に組み込めるようになります。

基礎を積み上げていくことで左脳の「知識」が右脳の「感覚」へと移り、さらに深い「潜在意識」まで落とし込むことができます。

そこまで知識を脳に落とし込んだのなら、行動するために必要な負荷はかかりません。

つまり隅のよくできる基本形の死活など「一瞬(ひと目)」で解けてしまうでしょう。

次から次へと新しい知識を覚えては感覚として使えるように反復して、最後には潜在意識によって機能させることが正しい勉強方法になります。

そのためには「定石を覚えて忘れましょう」といった格言の通りに、何度も反復して覚える必要のないくらい脳に落とし込みましょう!

日々の積み重ねによって、あなたが思っているよりもずっと盤上が明るく開けてくるはずです。