
「なぜ囲碁はつまらないのか?」について考察していきます。
思い通りに行くかどうか
あなたは囲碁に対してどのようなイメージを持っていますか?
囲碁ファンなら肯定的な目で囲碁を見ているでしょうが、世間には否定的な見方をされる方が少なからず存在します。
そもそも世の中の大半の方は囲碁に興味すら抱いていません。
世間への認知度が低いのは致し方ありませんが、それでも囲碁に興味を持ってくれた方には楽しんでもらいたいと願うのが囲碁ファンというものでしょう。
しかし囲碁は面白くないし、つまらないです。
まずはここをはっきりさせておきましょう。
そうでなくては話が前に進みません。
こういうことを言うと囲碁ファンの方は次のように反論します。
「いや、一回やってみてからでも遅くないでしょ?」
とはいうものの入門・初級者の方が長続きせず、次第にやめていくのが現状です。
これは囲碁に限らず、あらゆる分野において悩みの種となっています。
大切なことなので、もう一度言います。
囲碁に限らず、他の分野も含めて「面白くないし、つまらない」です。
なぜ面白くないのか、つまらないのか?
主な理由は以下の通りです。
・勝てない
・できない
・上手くいかない
物事を面白くないと感じるのは「思い通りにならない」からです。
逆に物事を面白いと感じられるのは「思い通りになる」からに他なりません。
こういうことを言うとあらゆる分野の経験者は次のように語ります。
「いや、それは違う。思い通りにならないからこそ面白いんだ」
果たして本当にそうでしょうか?
あなたは何かしらの分野において、すでに「できる人」になっています。
少なくとも初心者の方とは比べ物にならないほど「成功体験」を積んでいます。
そんなあなたの言い分は「強者のたわごと」でしかありません。
「勝つ」「できる」「上手くいく」これらの成功体験に人は喜びを感じます。
初心者に限らず、物事に対して嫌気が差すのは「勝てない」「できない」「上手くいかない」ときでしょう。
囲碁における悩みなど、大抵は「〇〇ない」と相場が決まっています。
囲碁ファンの悩みは主に次のようなものです。
・(いくら打っても)勝てない
・(話を聞いても)分からない
・(理屈は分かるけど)できない
・(勝ちたいのに)上手くいかない
・(打ちたいのに)時間がない
・(指導碁を受けようにも)お金がない
・(一生懸命勉強しているのに)上手くならない
中にはこれらすべてに該当している方もいます。
そのような人には囲碁は楽しいというより「つまらない」と言ったほうが適切ではないでしょうか。
最近流行のスマホゲームなど、これらの悩みをすべて解決しています。
すなわち「勝てる」「簡単」「できる」「上手くいく」「隙間の時間」「基本プレイ無料」「レベルが上がる」というわけです。
しかし当然ながら、プレイを続けていると次第に難しくなっていきます。
するとやはり「勝てない」「難しい」「上手くいかない」「時間が足りない」「一部有料」「レベルが上がらない」となってしまいます。
結局のところ「思い通りに行くかどうか」によって人は面白いと感じたり、またつまらないと感じたりするのです。
確率(運)の要素
囲碁は「完全情報ゲーム」に分類されています。
もっと正確に言えば「二人零和有限確定完全情報ゲーム」となります。
つまり基本的には「運の要素はない」というわけです。
確かに初心者が経験者に勝てるゲームではありませんが、とはいえ必ずしも実力に応じて結果が伴うわけでもありません。
よく「3子差以内なら、互先で勝てる」と言われています。
囲碁の変化の総数は「観測できる全宇宙の原子の数」よりもはるかに多いため、必ずどこかで紛れが生じるものです。
※詳しくはこちらをご覧ください。
盤上のすべてを見渡しても「見えない部分」というのは確実に存在します。
その見えない部分はある意味「運の要素」と言っても過言ではありません。
運という言葉が適切でないのなら「確率」と表現してもよいでしょう。
この「確率の要素」があるかないか、それによって初心者が「取り組みやすいかどうか」が決まります。
国内で最も盛んなスポーツを例に挙げてみましょう。
日本で一番人気のあるスポーツは言わずと知れた「野球」です。
「なぜ野球が人気の高いスポーツであるのか」考えたことはありますか?
理由は明快です。
「ピッチャーが投げて、バッターが打つ」という分かりやすい構図に加えて、そこに「打率」という確率が存在するからです。
だいたい打率2,3割が平均的な数値と見よいでしょう。
つまり打者9人中、2,3人がヒットを打つ計算になります。
もちろん単打だけではなく、長打やホームランもあります。
上手くいけば打者一巡するうちに1,2点取れますし、逆にピッチャーの調子が良ければ凡退になるかもしれません。
この野球のルール、ゲーム性はプレイする側は勿論、見ている側にも非常に分かりやすいものでしょう。
「上手くいったかどうか」という基準が極めて明瞭なのです。
しかも「チームの勝ち負け」とは別に「個人成績」がつきます。
試合に負けても個人では猛打賞、あるいはマルチ安打ということもあり得ます。
もし野球素人の方がバットを振っても、なかなかボールに当たらないかもしれません。
しかし「ビギナーズラック」でヒットを打てる可能性は何パーセントかあります。
野球は囲碁と比べて「成功する要素」がふんだんに盛り込まれています。
その点、囲碁は「たまたま良い手」を打てたとしても、それに続く好手がなければ意味がありません。
また「一手ごとに」良し悪しを判断するのではなく、「一連の流れによって」善悪が決まるという非常に分かりにくいゲーム性となっています。
将棋のように駒を取る楽しさもなければ、麻雀のようにツキを頼りにすることもできません。
そして終局までの手数が長いため、実力以上の力を発揮する可能性が著しく低くなります。
さらに初心者の方が囲碁というゲームを把握するまでにやたらと時間がかかります。
野球なら「投げる、打つ」
将棋なら「駒を動かして取る」
麻雀なら「メンツを揃えて上がる」
このように短時間で、それぞれのゲーム性を理解することができます。
プレイ中に確率(運)にかかわる事象が多いゲーム程、やっているほうも見ているほうも楽しいものです。
野球の打席、サッカーの得点、相撲の番狂わせ、麻雀のツモ、その他の競技においても結果が出る前に過程を楽しめることが重要になります。
囲碁における成功や失敗は一局を通して見ないと分かりません。
一局ごとの良し悪し(確率)といった点で、囲碁は分かりづらいと敬遠されても仕方ないでしょう。
結果がすべて
囲碁はいわゆる「ガチャ」や「くじ引き」のようにすぐ結果が出るようなものではありません。
それでも唯一、過程よりも結果を楽しめるのは「プロ棋士の勝敗」でしょう。
好きな棋士や人気の棋士が結果を出すのは囲碁ファンなら誰しも嬉しいものです。
しかしながら、全盛期の囲碁界に比べてプロ棋士の先生方がやや小粒になってきました。
中韓が隆盛を極める今現在では、相対的に国内棋士の認知度も下がってきています。
そうそうたる木谷実門下の面々を始めとして、ひと昔前まで数えきれないくらいの有望棋士たちがいました。
その後は四天王と呼ばれた棋士たちとの世代交代を経て、今奮闘しているのは井山裕太くらいしか思い当たりません。
こういうことを言うと「おい、何を言ってるんだ。一力や許家元、余正麒に竜虎がいるじゃないか」なんて反論されそうですね。
確かに一力遼が韓国のイ・セドルを破ったり、芝野虎丸が中国のカケツに勝って日中竜星戦に優勝したことが話題にはなりました。
とはいえ、一回勝ったり優勝したくらいではしゃぎ過ぎではないでしょうか?
実際に世間の認知度は以下のように推察されます。
羽生善治=藤井聡太>井山裕太>仲邑菫>お悩み天国(趙治勲)
はっきり言って一般紙に載るくらいの結果を出さなければ、誰も囲碁に見向きもしてくれません。
囲碁の認知度を考えれば、井山裕太(国民栄誉賞)とその他といったところでしょう。
ちなみに将棋よりも囲碁のほうがはるかに勝敗によって世間の注目を集めやすいでしょう。
なぜなら「打倒中韓」という分かりやすい図式があるからです。
囲碁ファンのみならず、囲碁を知らない一般の方でも「中韓を破って優勝した」となれば注目せざるを得ません。
それだけ政治的にもいろいろある隣国に勝利するというのは価値のあることなのです。
囲碁がつまらない理由はまさしく「中韓に勝てないから」と言っても何ら差し支えありません。
勝てないどころか、国際棋戦は井山裕太を除いて負け過ぎです。
囲碁の世界ランキング上位は中韓が総なめにしており、日本勢は見る影もありません。
先日行われた「第4回夢百合杯世界囲碁オープン戦予選」では誰1人として予選を通過することができませんでした。
※詳しくはこちらをご覧ください。
もはや中韓との差は埋めようのないところまで来ているのかもしれません。
「こうなったら歴代の碁聖を現世に復活させようか」なんてヒカルの碁みたいなことを考えたくもなります。
とにかく結果を出せない競技に人気が出るはずもありません。
国内の人気競技はどれもトッププレイヤーが結果を出し続けています。
世界的に活躍すれば、本人のみならず競技そのものの認知度が高まります。
今の囲碁界は若干10歳の少女を「最年少棋士」と祭り上げて、何とか世間の注目を集めようと必死です。
仲邑菫さんをプロ入りさせたのは良いとして、あとは本人の努力次第でしょう。
勝てば注目され、負ければ見向きもされません。
入段前からこれまで、あまりにも特別扱いが過ぎます。
この記事の中で「かわいい顔してめちゃくちゃ強い、ゆるキャラ」を提案しています。
しかしまさか特例入段した女の子を棋院のマスコット代わりにするとは、もうどうしようもありません。
だから「囲碁はつまらない」と言われるのです。
これから囲碁界を面白くしていこうとするのなら、プロ棋士の先生方が結果を出すしかないでしょう。
「負けて当たり前」の位置にくすぶっている棋士や「全盛期を過ぎた」年配の棋士といえど、現役を続けている以上「勝ち(タイトル)」を目指すのは当たり前のことです。
これ以上「囲碁はつまらない」と世間に認知されないためにも、ぜひ棋士の先生方には気を吐いていただきたいものです。
1人の囲碁ファンとして、今後の囲碁界の行く末をもうしばらく見守っていきたいと思います。