
「なぜ囲碁は難しいのか?」について考察していきます。
空間を構築するゲーム
あなたは囲碁を簡単だと思いますか?
それとも難しいと感じていますか?
一般的に囲碁は「よく分からない」と言われています。
「私、囲碁やってるんですよ」とか「最近プロ入りした女の子のニュース知ってます?」なんて聞くと大抵の場合「囲碁ってよく分かんないよね」と返されます。
「知らない」ではなく「よく分からない」と言われることが多いでしょう。
競技自体は知っていても、ゲーム性がよく分からないというわけです。
こういうことを言うと囲碁ファンは「囲碁のルールは簡単だよ」と説明します。
しかし果たして本当にそうでしょうか?
重要なのは「ルール」ではなく「勝敗の付き方」です。
「勝敗の付き方」が簡単であれば、誰でもすぐにゲームを始められます。
「ゲームの始め方」をルールだとすれば、「ゲームの終わらせ方」が勝敗といったところでしょう。
例えばサッカーなら「手を使わずにボールを蹴る」のがルールであり、「ゴールにボールを入れたら得点」というのが勝敗の付き方になります。
勝敗の付き方さえ明確であれば、あとのルールはやりながらでも覚えられます。
囲碁は「最後に陣地の多いほうが勝ち」ですから、それに向かってルールを補足していけばよいのです。
初めから「石を囲んだら取る」というルールを教える必要はありません。
着手禁止点、コウと同じく「出てきてから言えばよい」ことです。
9路盤であれば、初手から終局まで石を取らずに終わることも多くあります。
「石を囲んだら取る」というルールは勝敗の付き方とはほとんど関係ありません。
大切なのはあくまでも「どうやったら決着がつくのか?」という疑問に答えることです。
サッカーなら「ボールを蹴って、ゴールに入れる」ゲームであると説明します。
将棋なら「駒を動かして、王様を取る」ゲームであると説明するでしょう。
それでは、囲碁はどのように説明しますか?
多くの方は「囲碁は陣取りゲームですよ」と説明しています。
「陣地」のことを「地」と呼び、「領土」にも例えられます。
しかしながら、この説明の仕方では初心者の方には意味不明です。
なぜならゲーム開始直後、肝心の「地」がどこにもないではありませんか。
普通の領土争いは「土地」が最初からあるものです。
将棋のように初めから「布陣された状態」で始まってこそ、「陣地争い」または「領土争い」と表現するにふさわしい状況と言えるでしょう。
一般的に土地とは「あるもの」であり、決して「存在しないもの」ではありません。
この地球上の領土争いをしようものなら、それは「大陸制覇」に他なりません。
ところが囲碁は「陣地争い」ではなく、「空間を構築する」ゲームなのです。
つまり開始直後、地球(盤上)には「海(空間)」しか存在していません。
そこから「大陸」を作るのかと思いきや、地とは何もない「海(空間)」のほうだと言うのです。
囲碁における地とは「空間」のことを指します。
空間とは文字通り「何もない」という意味です。
囲碁は「最後に陣地の多いほうが勝ち」という勝敗の付き方ですが、「何もない場所」というのをどう解釈するのか難しいと言わざるを得ません。
囲碁が「よく分からない」と言われるのは、まさにこの部分なのです。
少なくともこれから囲碁を説明するときは「陣取りゲーム」ではなく「空間を構築するゲーム」と表現するほうが適切でしょう。
よく分からない理由
地(空間)を囲うためには「石」の役割が重要になります。
盤上におけるお互いの石数は変わりませんから、どこに配石するのかによって地を囲う効率が変わります。
普通は「隅」から固めていくのが基本となりますが、隅ほど厄介な場所はありません。
自分の地だと思っていても、中に入られるとあっさり裏切られてしまうからです。
「隅から打ち始めるのが効率的ですよ」なんて言っておきながら、星打ちに対してどこかのタイミングで三々入りしてきます。
地を囲う効率は一手ごとに変化しているため、隅にこだわっていると今度は辺・中央を広くされてしまいます。
すなわち「確定地」を初めから囲うことができません。
とりあえず、隅の地を確定させて「安心」を得たいと思うのが人情というものでしょう。
しかし「確定地=凝り形」になりかねませんから、やはり盤上全体をバランスよく打ち回すことが勝つための秘訣となります。
他の得点制の競技であれば、1点ずつ確実に得点は保証されます。
仮に3対1で負けたとしても、途中で「1点」を奪われることはありません。
囲碁は得点制の競技にもかかわらず、途中で「地(得点)」を荒らされる恐れがあります。
正確には荒らされるような地を「確定地」とは言いませんが、ともかく得点を確実に積み上げていくことができません。
たとえ確定地としても、局面次第ではコウによる「フリカワリ」を選択することがあるかもしれません。
また「ダメヅマリ」や「断点」を突かれて、予定していた地がなくなることもあり得ます。
地(空間)は石によって構築されるため、石の強弱を判断することが何よりも大切です。
とはいえ、石の強弱を簡単に判断できるはずもありません。
囲碁をやっている方なら「死活」を勉強していますから、石の形を見てある程度の判断を下すこともできるでしょう。
もちろん初心者の方が石の強弱を見極めることなど、到底不可能というものです。
石の強弱が分からない以上、どこが地になりそうか見当も付きません。
「石」も「地」も分からないというのは、もはや「何も分からない」というのと同じです。
将棋なら駒の強弱があらかじめ決まっています。
チームスポーツでも実力のある選手、期待されている選手というのは初めから分かっています。
とにかくどこに目を付ければよいのか、そこが競技の理解を深めるためには必要不可欠でしょう。
囲碁はどちらかと言うと「芸術(アート)」のようなものであり、見ている側は最後までどのような絵が描かれるのか分かりません。
初心者・初級者の方は「どんな絵を描こうか」と考えながら打っても、なかなか思い通りにはなりません。
囲碁は2人の共同作業によって絵を描くようなものです。
共同作業といっても勝負ですから、相手の構想を邪魔しつつ自分の空間を構築していきます。
一筆ごとにお互いの主張をキャンパスに描いていけば、布石はともかく中盤以降は「混沌(カオス)」になってしまうでしょう。
しかも「囲った石を取れる」わけですから、油絵のように上塗りすることもできます。
これではどこに目を付けて打てばよいのか、ますます分からなくなります。
1つだけ確かなことは「時間の経過(手数)」に合わせて、終局へと向かっていくことだけでしょう。
それも明確な時間(手数)が決まっているわけではなく、終局はあくまでも対局者の合意によって成されます。
盤上に関するあらゆる判断を「自分自身」で下さなくてはならないのは、自由というよりむしろ「よく分からない」と言うほうが正しいのではないでしょうか?
仲間と先生
よく分からないゲームの筆頭である囲碁をわかりやすく伝えるにはどうすればよいのでしょうか?
答えは意外と簡単です。
すなわち「審判」を設ければよいのです。
客観的に局面を判断する人がいるだけで、ゲームの難易度はかなり下がります。
「終局判定」「死活判定」「形勢判断」など、初心者にわかりづらいところを補足してくれる存在はこれからの普及において必須となります。
初めのうちは以下の質問が考えられます。
・落とし穴(着手禁止点)に打ったらどうなるのか?
・コウ(同形反復禁止)になったらどうすればよいのか?
・盤の端に追い詰めたら、取れるのかどうか?
これらの質問は初心者の方からよく聞かれます。
大切なのは「教える」ことではなく、質問に「答える」ことです。
いきなり「着手禁止点」「同形反復禁止」なんて言葉を説明するのは、いかにも囲碁は難しいと言わんばかりでしょう。
先ほど「審判」と言いましたが、対局の進行を手助けする「ゲームマスター」と言ったほうが適当かもしれません。
質問に答えては「勝負」になりませんが、質問できなければ「ゲーム」になりません。
よくありがちなのは、初心者の方に経験者の方が打ちながら教えるパターンです。
しかしこれは初心者に対してあまりよくないパターンになります。
なぜなら勝ち負けが関係なく、勝負として成立していないからです。
最初に申し上げたように「勝敗の付き方」がわかりやすいかどうかによって、競技の理解度が大きく変化します。
そのためハンデを置かずに対等な条件のもと、勝ち負けを競うというのが一番わかりやすいでしょう。
初心者同士で勝ったり負けたりを繰り返しながら、対局の楽しさを味わうのが理想的です。
最初から勝ち負けが関係ないと何をしたらよいのか、分からなくなります。
囲碁を始めるなら初心者同士で打つ機会がある場所へ行くことをお勧めします。
さもなくば、勝ち負けの楽しさを知る由もなく「ここがよい」「ここが悪い」といった話をされることでしょう。
そういうテクニックは求められてから話すのが適切なタイミングになります。
「死活判定」「形勢判断」など、勝敗を決する重要なヒントも答えてよいでしょう。
これらは対局している両者にメリットのある情報であり、囲碁への理解を深めるためには欠かせない情報でもあります。
唯一答えられないのは「今どこに打てばよいのか?」という質問くらいのものです。
これが「さっきどこに打てばよかったのか?」という質問なら答えても勝負に差し支えありません。
この記事内でも述べていますが、「さっき」というのはスマホで撮れば見返すことができます。
分からないところは記録に残しておくと何かと便利でしょう。
打つだけではなく、対局を観るときも「解説者」が必要不可欠になります。
とはいえNHK杯や囲碁将棋チャンネルのプロ棋士の解説は、とても初心者向きではありません。
初心者に優しくないからこそ、囲碁が「よく分からないゲーム」として認知されているのも頷けます。
解決策としては「1人で囲碁を打たない(観ない)」ことです。
誰かと一緒に打ったり観たりすることで、囲碁への理解がより一層深まります。
ボードゲームで遊んだり、スポーツをするときも友達を誘うのが普通でしょう。
1人で碁会所へ行って「囲碁教えてください!」というのは論外です。
初めのうちは囲碁できる人を捕まえて、初心者の友達と3人くらいで始めるのが理想的かもしれません。
これは囲碁教室に通うときも同様です。
少なくとも1人友達を誘って行かなければ、絶対に長続きしません。
1人では同じ悩みを共有することができず、次第についていけなくなります。
囲碁を難しく感じるのは「1人で理解しようとするから」に他なりません。
1人ではなく、ライバル+指導者(アドバイザー)の存在が必須となります。
あなたが学生時代のとき、同級生や先生がいたのはなぜでしょうか?
家で自習するよりも、家庭教師に習うよりも「学友+教師」と学んだほうが効果的だからです。
部活動においても「部員+顧問」がいるのは当たり前でしょう。
もちろん自習も自主練も大切なことは確かです。
しかしより理解を深めるには「切磋琢磨する仲間」と「信頼できる先生」の存在が欠かせません。
今はAI相手に1人で対局できてしまうので、囲碁を学ぶ環境を疎かにしがちです。
囲碁に限らず、何事においても「仲間」と「先生」は学ぶ上でなくてはならない存在です。
「囲碁はよく分からない」と諦めてしまう前に今一度、一緒に対局を楽しめる仲間と教えてくれる先生を見つけてみましょう!