
「仲邑菫初段はどうして勝てないのか?」について考察していきます。
自信の喪失
仲邑菫初段は先日7月8日にプロ初勝利を上げています。
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また7月10日にAIとの対戦があり、7月13日には芮廼偉(ぜいのい)九段と対局しています。
どちらも今の菫初段には荷が勝ちすぎる相手だったため、完敗してしまうのは当然の結果と言えるでしょう。
しかし入段してから手合い違いの上手とばかり対戦しているのは、はたして正しい上達法なのでしょうか?
周りは菫さんを大きく育てようとしています。
とにかく金の卵である彼女を名のある棋士やAIとの対戦により、はるか高みへ誘おうとしているのは見ていて分かります。
私の結論としては今の「明らかに上手との対戦」というのは悪手に他ならないと考えています。
彼女の立場が「院生(修行中の身)」であるなら歓迎しますが、すでに「プロ棋士(勝つ宿命)」を背負っている立場での負け戦はよくありません。
囲碁に限らず、プロ競技はいずれも「メンタル(精神力)」が大きく物を言います。
菫初段の実力が「プロの域」に達しているのは、棋譜を見ればよく分かります。
ただ「プロレベル」というのと「プロとして勝つ」のは根本的に意味合いが異なります。
アマチュアで言うところの「五段クラス」「県代表クラス」という表現と同じことです。
例えば段級位認定大会の五段戦において「3勝2敗(または2勝3敗)」だったとしましょう。
「五段クラスでここまで打てるんだから、もうほとんど五段のようなものだよね」と言って自ら五段を名乗り始めます。
同じように「今回はベスト4まで行ったから、あとは運次第かな」と言って県代表クラスと名乗り出します。
勿論、本番ではなく練習碁なら免状五段や県代表と互角に渡り合うことができるでしょう。
とはいえ実際に「全勝」や「優勝」した人との差は「自負」という点において歴然としてきます。
仲邑菫初段は確かに「プロレベル」ではありますが、正規の試験に合格してプロ棋士になったわけではありません。
いわば「あなたはもう初段で十分通用するから、初段を認定します」と囲碁教室の先生が言っているようなものです。
地力で勝ち取った初段免状と与えられた初段の地位では、真剣勝負における勝負強さがまるで違います。
菫初段はそれこそ、初めのうちは威風堂々とした自信に満ち溢れていたのかもしれません。
張栩名人との試験碁、黒嘉嘉(こくかか)七段との新初段シリーズ、大森らん初段との公式戦初手合では競り負けない見事な戦いぶりを見せていました。
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ところが先日のAIとの対戦や芮廼偉(ぜいのい)九段との対局では少し右往左往して迷っているような感じが見受けられました。
プロ初勝利の手合となった田中四段との対戦も布石の石運びが固く、思うように流れを引き寄せられなかった経緯があります。
菫初段の自信喪失のきっかけになったのは、おそらく5月に行われた「夢百合杯」ではないかと思われます。
対等であると認める
囲碁の上達において上手との対局は「是」でしょうか、それとも「非」なのでしょうか?
私は「強すぎる上手」との対戦は逆に碁を「萎縮」させてしまうのではないかと考えています。
というより、これは実体験に基づいた「事実」として認識しています。
私がこれまで囲碁に取り組んできたときも、今生徒さんたちの様子を見ていてもよく分かります。
これはプロ棋士も子供も決して例外ではありません。
囲碁の上達に欠かせない一番大事な要素は「自信」です。
自信があればどこまでも伸びていきますし、自信を無くせばそこで足踏みしてしまいます。
「この人なら勝てる」と思い込んだら、いずれ必ず勝てるようになります。
「この人には勝てない」と思っているうちは逆立ちしても勝てるようにはなりません。
菫さんの実力が日本のプロに通用しないとは思いませんが、中・韓のプロに通用するとはとても思えません。
菫初段に限らず、日本のほとんどの棋士は中・韓のプロ棋士にまともに勝てないでしょう。
5月に行われた「夢百合杯」では、予選に参加した18名の日本の棋士が全員返り討ちにあっています。
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菫初段は予選の一回戦で敗退していますが、内容はノーチャンスであったと言わざるを得ません。
また大会前には世界一のカケツと対局しています。
非公式なので棋譜は出回っていませんが、おそらく世界一のレベルを目の当たりにしたことでしょう。
棋譜を並べるのと実際に打つのとでは天と地ほどの差があります。
カケツは菫さんとの対局を謙虚に「日本碁界への恩返し」と言ってくれました。
他の中国の棋士も菫さんのことを「あなたはいずれ世界で活躍する棋士になる」と励ましてくれています。
ただ現時点での彼らとの差は比較にならないほど開きがあるのもまた事実です。
かつて藤沢秀行先生が海を渡り中国の棋士たちと手合をしたり、指導したように今まさにこちらが彼らに学ぶ立場になっています。
とはいえプロになりたての菫初段をいきなり世界戦の舞台に立たせるのはいくら何でも早すぎるでしょう。
日本棋院、応援している周りの大人たちは根本的な勘違いをしています。
すなわち「今はまだ経験を積むときだから、勝てなくても良い」と。
これはプロ棋士として推薦入段を認めた仲邑菫初段に対して、あまりにも無礼な態度ではないでしょうか?
菫さんの推薦入段が決まったとき、各メディアは彼女のことを「すごく負けず嫌い」と報じました。
心底負けず嫌いだからこそ、若干10歳にしてここまで強くなったのでしょう。
それを「負けても良い」という雰囲気で応援しているのは、本人の意志を少しも尊重していません。
それどころか試験碁の「半目負け」を「持碁にしましょう」というのは、菫さんをどれだけバカにしているのか計り知れません。
菫さんが院生なら話は別です。
プロ修行中の身であるなら、負けることで得るものがたくさんあります。
とはいえ彼女はもうれっきとした「プロ棋士」の一員です。
最近の菫初段を取り巻く環境を見ていて「ああ、だから日本の棋士は弱いのか」と腑に落ちました。
結局は負けてもさほど悔しくないんでしょうね。
そりゃ負けた日は碁盤が頭から離れないといったことはあると思います。
アマチュアレベルの「ああ、負けた負けた」なんて気持ちとは比べものにならない悔しさがあるからこそプロ棋士なのでしょう。
しかし菫さんに対して、そういう心遣いを微塵も感じないのはなぜでしょうか?
プロ棋士として認めていないのか、あるいは子ども扱いしているのか。
いずれにしてもプロ棋士として「対等」であると認めないうちは菫初段を本当の意味でプロの世界に迎え入れたことにはならないでしょう。
スタイルの確立
試験碁を評し、張栩名人は「盤上にしっかり構想を立てていて、非常に難しい局面でも高い対応力を持っていた」と語っています。
構想とは「どうしたいか?」という想いですから、棋力にかかわらず誰しも盤上に構想を描いているものです。
問題は「やりたいようにできるかどうか」でしょう。
相手と盤上における利害が一致すれば、難なく構想を推し進めることができます。
勿論そうそう上手く住み分けができるほど甘くはありません。
趙治勲vs武宮正樹のように完全に棋風が真逆なら、実利vs模様という利害が一致しやすいでしょう。
しかし相手と「やりたいこと」がぶつかると抜き差しならぬ戦いに突入します。
菫初段は戦いになっても力負けしない「読み」に相当自信があるようです。
ただしなるべく「互角」の状態で戦いに臨まなくては、いくら何でも態勢不利のまま戦いに臨むのは無謀というものでしょう。
菫初段の弱点は「互角の状態で戦いに入る」技術がまだ未熟ということです。
つまり「布石」があまり上手くありません。
中盤戦は「手筋」「詰碁」を勉強すれば、割と短期間でも力をつけられる分野です。
ところが布石は「経験」が物を言うので、菫初段にとって相当厄介な問題になります。
今のところ手厚く打つことで中盤戦に備えていますが、手を進めるのが遅いと戦わずして負けてしまいます。
相手を戦いの場に引きずり出すには布石で相応の「戦果」を上げなくてはいけません。
この布石における「戦果」というのは判断が難しく、ひとえに「何」と言えるものではないでしょう。
「地でもなく、厚みでもなく、模様でもなく、形でもなく」それでいて「地であり、厚みであり、模様であり、形であり」といった感じです。
要するに碁形によって必要なものが変わるということに他なりません。
先番なら碁形をある程度コントロールできますが、後手番だと相手の構想に付き合わざるを得ないでしょう。
これからいろんなタイプの棋士と対局していくことにより、いずれ自分のペースを作る術を身につけるのは間違いありません。
それまでの間、布石はどのような心持ちで臨めばよいのでしょうか?
私が思うに菫初段は「実利を稼ぐべき」なのではないでしょうか。
今は「手厚く」打ち進めて、チャンスを待つ打ち方をしています。
ボクシングに例えるなら、ガード固めつつ相手懐に飛び込みインファイトをしようという感じです。
しかしこのスタイルでは足早に地を稼がれてしまい、ポイントで負けるのが関の山でしょう。
ちょうどボクシングの世界戦で「手数が足りない」といってポイントで負けてしまうのと同じことです。
そこをあえて「地を稼ぐ(手数を出す)」ことにより、相手に打ち合いを余儀なくさせます。
無論、地を稼いだ分「捌く立場」となりますが、菫初段の捌きは一級品です。
※詳しくはこちらをご覧ください。
周りは彼女に対して「大きく育って欲しい」と願っています。
それはつまり「ホームランバッター」のようなイメージです。
長嶋茂雄や王貞治を連想すると分かりやすいでしょう。
とはいえ昭和の大スターをイメージしても令和の現代にはそぐわないかもしれません。
平成の大スターであるイチローのように今までにない新たなスタイルを確立するのが時代を切り開くスターの宿命ではないでしょうか?
そう考えるとプロ棋士を始めとする周りが考える菫初段の未来像はまるっきりズレている可能性があります。
かつて木谷門下の弟子たちがそうであったように菫初段も周りの雑音を気にせず、自由な発想で自分自身のスタイルを確立していくのが望ましいと思います。
周りの大人は余計なことはせず、彼女を1人の棋士として認め、対等に接することが大切です。
彼女が落ち着いた環境で囲碁に励むことができれば、近いうちに周囲が納得する結果を出してくれると信じています。