
「囲碁界における史上最年少棋士」について考察していきます。
ミスリードの罠
囲碁界に突如として現れた「史上最年少棋士」として世間から注目を浴びている1人の天才少女をご存知でしょうか?
言わずと知れた「仲邑菫さん」です。
平成31年度から新設された「英才特別採用推薦棋士」の第1号である菫さんは4月に新入段を果たしています。
将棋界の藤井聡太七段が「史上最年少記録」を次々と更新していくのがたびたび報じられていることにより、菫初段にも大きな期待が寄せられています。
しかし仲邑菫初段は「史上最年少棋士」とは言い難いでしょう。
囲碁界における史上最年少棋士の名に相応しいのは「趙治勲」です。
棋士採用試験(日本棋院)の記録は以下の通りとなります。
・趙治勲 正棋士の最年少入段(11歳9か月)
・藤沢里菜 女流棋士特別採用試験での最年少入段(11歳6か月)
・仲邑菫 英才特別採用推薦棋士での入段(10歳0か月)
ちなみに「正棋士」と「女流棋士」と「推薦棋士」では採用の仕方がそれぞれ違います。
日本棋院所属の棋士の大半は「正棋士」であり、いわゆる「女流枠」は毎年1名となっています。
実は今年度から新設されたのは「英才特別採用推薦棋士」だけではなく「女流特別採用推薦棋士」という制度も新たに作られています。
今年は毎年行われているプロ試験に合格した6名の他、仲邑菫さんを含めた「推薦枠」として7名(いずれも女流)が新入段を果たしています。
※詳しくはこちらをご覧ください。
さて、新しい枠組みを作るのは大いに結構ですが、その枠組みの中から「史上最年少棋士」を誕生させるのはいかがなものでしょうか?
仲邑菫初段が現時点において「最年少棋士」であることには変わりありません。
採用方法がどうあれ、一棋士として入段しているわけですからね。
ただ「史上」という冠を安易に付けるのはやめていただきたいものです。
過去の制度とは比較のしようがありませんから、歴代を想起させるような表現は控えるべきでしょう。
はっきり言って「美人過ぎる○○」とか「1000年に一度のアイドル」という謳い文句と同じように聞こえます。
せっかく稀に見る才能を持っているにもかかわらず、周りの人間が舞い上がっているようにしか見えません。
仲邑菫さんが認められたのはあくまでも「将来性」であって、決して現時点の実力ではありません。
まあ、今の実力でもプロ棋士に「通用する」のは間違いないでしょう。
とはいえ「結果を残せるか」というのは、やはり勝負の世界では厳しいものがあります。
世間が注目しているのは「結果を出せるかどうか」ではないでしょうか?
囲碁界の人間にしてみれば「10歳でこんなに強いなんてすごい!」という認識です。
「今これだけ打てるなら、4,5年後はいったいどうなっているんだろう?」といった期待を抱いています。
それをあろうことか「史上最年少棋士」という冠を付けることにより、あたかも「囲碁界の藤井聡太」であるかのような錯覚を引き起こします。
これは明らかに「ミスリード」であり、日本棋院が世間の注目を集めたい一心に他なりません。
このままでは勝手に「期待外れ」の烙印を押され、そのうち見向きもされなくなるのは間違いないでしょう。
自信を取り戻せるか
そもそも小学生以下の子どもに「仕事」をさせるのはいかがなものでしょうか?
これは芸能界を始め、あらゆる業界に言えることでもあります。
囲碁界における小学生棋士は初めてではありませんから、前例を踏まえると「手合(対局)」に関しては文句のつけようがありません。
しかしそれ以外の「始球式」だの「一日警察署長」だのイベント関連の仕事は棋士本来の「本業」とは言い難いでしょう。
ここら辺は本人よりも親の意向が強いものと推察されます。
まあ芸能界で言えば「赤ちゃんモデル」とか「子役」とか、どう考えても本人の意思とは思えない仕事が成り立っています。
基本的に小学生以下の未成年者は判断能力が乏しいとされているため、何かあれば親が責任を持つのは当然のことです。
その点では周りがとやかく言えない部分もありますが、それにしても不相応なメディアへの露出は見ていて心配になります。
勿論、親はもとより本人が望んでいるのかもしれません。
「史上最年少棋士」という肩書の元、メディアに注目されて日本棋院・親・本人ともに「winwinの関係」を築いている可能性はあります。
ただこちらとしては、どういう心境で応援すればよいのか分からなくなっています。
先日「仲邑菫初段、初勝利」と報じられた際、どういう内容か非常に興味が湧きました。
ところが棋譜を見てみると「相手の田中智恵子四段が少しお粗末だったかな」という気がしてなりません。
メディアによっては「公式戦初勝利 史上最年少記録更新」と報じています。
確かに10歳4か月での初勝利は最年少記録になります。
とはいえ「相手による」こともまた確かでしょう。
相手の棋士が女流や低段なのは問題ありませんが、何でもかんでも「史上」だの「最年少」と言ってしまうのは違和感しかありません。
これではいくら世間の注目を集めても逆効果になりかねません。
まさかこのネット全盛のご時世に「メディアの報道」をそのまま信じて疑わない人は少数派でしょう。
仲邑菫初段に注目している人は「どこら辺がすごいのか?」を知りたがっているはずです。
※興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。
この2つの棋譜解説は仲邑菫さんがプロ入りする以前のものです。
これらを見る限り、仲邑菫初段の実力は本物と認めざるを得ません。
相手が女流のアマチュアであるとはいえ、ほとんど完封勝ちしている内容となっています。
菫さんがすごいのは「威風堂々」とした物怖じしない度胸ではないでしょうか。
読みが優れているのは当然として、その読みを信じきる心の強さが碁の内容に表れています。
しかし入段してからというもの、その自信がだんだん揺らいできたように見受けられます。
プロ入りする前は「神通力」でもあるかのような、良い意味で何を考えているのか分からない碁を打っていました。
それが新初段シリーズを始め、初手合(対局)や世界戦の予選とことごとく苦戦しています。
同レベルのライバルを相手にするのではなく、力の及ばない上手を相手にするのはまだ早かったのかもしれません。
今さらですが、菫さんが自信を取り戻せるような環境を整えていくしかありません。
単なる客寄せパンダではなく、1人の棋士として育てていく気が周りにあるのかどうかでしょう。
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英才の発掘と育成
今後、仲邑菫初段が活躍していく舞台として真っ先に挙げられるのは「女流棋戦」でしょう。
数年先には「女流タイトル」を取っていても何らおかしくありません。
ただ問題はそこから先です。
一般棋戦においてリーグ入りできるのか、そして「女流棋士初のタイトルホルダーになれるのか?」というのは興味が尽きません。
もし「仲邑菫名人」なんてことになれば、日本碁界における歴史的な快挙となります。
はたしてそんなことが本当に起こり得るでしょうか?
これは来年度以降の「英才特別採用推薦棋士」の是非に懸かっています。
要するに「上は怖くないけど、下は怖い」というわけです。
菫初段が全盛期を迎えるであろう20代のときには、もう井山裕太棋聖は40代になっています。
張栩名人を始めとする四天王世代も第一線からは退くでしょうから、あとは今の若手棋士たちしか残りません。
韓国や中国と違い、日本の若手棋士は「不作」と言ってよいでしょう。
歴代の名だたるタイトルホルダーの若手時代と比べても明らかに見劣りしてしまいます。
中韓やAIの台頭により、囲碁のレベルは過去最高となっています。
ところが日本碁界のレベルはとても過去最高とは言えません。
四天王と激戦を繰り広げてきた井山棋聖より下の世代には「ポスト井山」と呼べる人材はいないでしょう。
唯一「芝野虎丸七段」だけは世界と対等に渡り合える可能性を秘めています。
芝野七段の最年少・最短記録は以下の通りです。
・入段からタイトル獲得までの年数(2年11か月、第26期竜星戦)
・最年少・最短本因坊戦リーグ入り(17歳9か月、3年0か月)
・最年少名人戦リーグ入り(17歳11か月)
これらの記録は掛け値なしの「最年少・最短記録」になります。
さらに「第4回日中竜星戦」において、世界一のカケツを破って優勝しています。
井山棋聖は菫初段の憧れですが、芝野七段は目の前に立ちはだかる大きな壁となることでしょう。
将来的にはそこまで行って欲しいという願望があります。
将棋ほどではないにしても、女流棋士が男性棋士に及ばないというのは周知の事実です。
囲碁をやる女の子が少ないというのもありますが、やはり既成概念を覆すのは並大抵ではありません。
仲邑菫さんには是非とも囲碁界の常識を打ち破って欲しいものです。
とはいえ今後「英才枠」で入ってくる期待の新星たちと渡り合うのは困難を極めるでしょう。
今いる棋士たちの実力は知れていますが、これから棋士を目指す「AI世代」の実力はまだ未知数です。
もしかすると「英才枠」で入段してくる棋士の年齢が今後「7,8歳」になるかもしれません。
将来性を認められさえすれば、問題なく入段できるわけですからね。
私としては呉清源や趙治勲のように大陸から幼くして海を渡ってきて欲しいと思います。
日本だけで人材を集めて育成をしていくのは、どう考えても無理があります。
時のトップ棋士である呉清源、趙治勲、張栩名人は小さい頃に海を越えてきています。
もし毎年のように英才枠に足る人材が現われてくれるなら、それはもう願ったり叶ったりでしょう。
恐らくこのままでは「英才特別採用推薦棋士枠」が仲邑菫さん入段させるためだけの制度になりかねません。
今の現状を何とかしようと考えるだけではなく、もっと先を見据えた方策を練ることが大切です。
「史上最年少」などという言葉遊びをせず、本当の意味での「英才」を発掘し育成する姿勢が求められています。